柳御所に着くと、四郎の手が離れた。
「呼ばれてるのは楓だけだから。俺は帰るよ」
「‥うん、ありがとう」
珍しく、四郎はふわりと笑う。
それがすごく、優しくて。
離れた熱を奪うような秋風が、寂しさを呼んだ気がした。
通されたのはがらんと広い室内で、私と御館は向かい合って座った。
「呼び立ててすまぬ。そちとは一度、ゆるりと話がしたくてな」
「いえ‥‥あの、お話とは‥?」
「堅くならず、足を崩すが良い。そちは正座に慣れぬであろう?」
上座の御館が上機嫌に笑う。
申し訳ないけれど実際に長く座ってられないので、「すみません」と言いながら有り難い言葉に従った。
「基治と乙和が申しておったが、先の世から参ったそうだな」
唐突な、それは質問ではなく確認。
胸がどきりと鳴った。
「は、はい」
「‥‥‥ふむ」
それは本当か?とか聞かれると思ったけれど。
御館は疑う様子もなく、一度頷き目を閉じる。
「あの、向こうでの鞄とか持って来ていれば見せられたんですけど。こっちに来た時に失くなってて‥」
基治さん達は、私の制服姿を知ってるから信用してくれた。
けれど制服は大鳥城に置いて来ているし。
スクールバッグに至っては何処に行ったのか、四郎が私を保護した時にはなかったらしい。
ああ、鞄さえあれば。
筆箱とか鉛筆とか、携帯とか‥‥この時代に在り得ない物の宝庫なのに。
「‥‥だから、証明するものが」
「よい。あやつらは我には決して嘘を吐かぬ。ゆえに我もそちを信じよう」
「‥‥‥え?っと‥ありがとうございます‥」
びっくりした。
此処は、お礼を言うべき?と疑問に思いながらも頭を下げる。
「黄金の都」と呼ばれたあの平泉のトップが、こんなに簡単に他人を信用していいんだろうか。
「‥‥して、そちの世では平泉は如何している」
緩やかに開かれた眼差しが、私を捕らえる。
‥‥あ、また。
また、あの眼だ。
穏やかなのに底に鋭さを隠すような。
雪国の冬を感じさせるような、あの眼が私を静かに捕らえる。
「平泉は‥‥」
私のいた、平泉。
平泉に争いなんてなかった。
世界にはまだ争いが絶えなかったけれど‥‥。
少なくともこの国には戦はなかった、と言えばいいんだろうか。
この人が聞きたいのは、そんな事なんだろうか。
ううん。きっと違う。
「‥‥‥私の時代の平泉は、藤原氏が支配していません」
「ほう?」
「誰かが支配する国家ではありません」
日本の象徴は天皇で。
天皇ってこの時代で言う今上帝のことで。
第二次世界大戦で敗戦を喫した後、国自体が変わった。
人を傷付けて土地を奪い合うのではなくて、もっと別の方法で国を動かしている。
「私はあなたの名を知っていました。でも‥‥」
【奥州藤原氏】、【黄金の都】
歴史の授業で習った。
今でも平泉には、その輝かしい歴史のいくつも、伝説として大切に残っている。
ただ、藤原氏が平泉を治めてはいないだけで。
争いでなく、国民が国を統制する人達を選ぶ世の中だから。
「きっと御館がお考えの世の中じゃないと思います。誰かが支配するんじゃなくて、民が投票して国の代表を決めます。国民の選んだの代表達が協議して国家が運営しているから」
「‥‥‥」
私ってば馬鹿だ。
御館の望む答えを言えば良かったのかもしれない。
この世界の誰も、未来なんて知らないのだから。
卑怯な言い方をするならば、私を預かってくれた御館に夢を見せる事だって出来た。
私はその『夢を見せる』言葉を、知っている。
御館が信じるかどうかは別として。
「気に入った」
そんな私の耳に飛び込んだのは、豪快な笑い声だった。
「え?」
「我の望む言葉など幾らでも用意出来た物を。そちは嘘が吐けぬ性質らしい」
その後「すまぬ」との一言に、どうやら試されてたのだと気付いた。
けれど時既に遅く。
「楓、名はなんと言う?」
「え‥‥っと、藤崎花音です」
「ほぅ、家名を持っておるのか」
「私の時代は皆が苗字を持ってます。全ての民が」
「ふむ」
ああ、そうか。
この時代に名字を、家名を持つのは一部の特級階層だけだから。
「ならば、藤崎花音。今日から藤を頭に名乗るがいい」
「え?とう‥‥?」
「なに、そちには何不自由させぬ。絹も金銀も玉も、手に入らぬものはないぞ」
「‥‥‥え?」
「まだ分からぬか?」
意味が分からないんですが。
思い切り怪訝な顔をしているだろう私に、御館は低く老成された声で笑う。
何が楽しいのか、よく笑う人だ。
「これは初めから基治と乙和も了承しておる。そちは今日から我の娘。藤原楓と名乗れ」
「‥‥‥は?」
「後々、息子達にも会うが良い」
「‥‥‥はぁぁぁっ!?」
とにかく意味が分からなくて、叫ぶ他なかった。
『寂しく思う時はいつでもおいでなさい。楓‥‥いえ、花音。私はもう、あなたの母上の代わりなのですから』
『改めずとも良いがの、乙和の申す通りじゃ』
あの時の二人の言葉。
真の意味を知るのは、ずっと後になってのことだけど。
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