「失礼する。御館、継信と忠信が目通りに来たと聞いたが───」




場の空気など気にならないのか

気にもしていないのか。

颯爽と。まさにそんな形容を背負ったかの如く。





───室内に乱入してきた人物に、私は絶句してしまった。


「ああ、もう着いてるのか。二人共、久しいな」


深い紺色。
四郎の髪が闇のような濡れ羽色なら、彼は‥‥‥夜空。


「御曹司‥」

「どうした継信?また偏頭痛か。そなたはよくよく頭痛と相性が良いと見える」

「‥‥‥何度も申し上げております。廊は走らぬよう、入室の折には一声あって然るべきと。貴方様は由緒正しき───」

「ああもう皆まで申すでない。そなたは俺の乳母か」

「何を仰います。一つ違いの御曹司の乳母などなれる筈がありません」

「阿呆か。それ位は見て取れるわ」

「それに、男の私には乳は出ません」

「止めろ‥‥お前に乳を貰うなど、悪夢ではないか」


深い深い溜め息が聞こえた。
頭が真っ白になったまま、それでも首だけを向ける私の前。
こめかみに指を当てている三郎くん。

はっはっは!と笑う太い声は御館。

俯き、肩が震えている四郎。



楽しい光景なのかもしれないけれど、今の私にはそれ所じゃない。

どくどくと血が逆流するような。

だって、だって‥‥‥。



間違いない。この人だ。

学校帰りだった私を引きずり込んだ、辺鄙な喫茶店のマスターっぽい男───


「ところでこの娘は?見かけないな」

「‥‥ざけ、ないで」

「ん?」


だん!と強い足音と共に立ち上がったのは、私。
自己記録を超える速さで床を蹴り、胸倉を掴むと「お、おい!?」と上擦リ声。
けれどもう、私の耳には入らなかった。


「ふざけないで!!あなたのせいなんだから!責任を取ってよ!!」

「‥‥‥‥は?」

「お、落ち着いてください楓殿っ!!」

「覚えてないとは言わせないんだから!私はあなたの顔を忘れてない、一日足りとも!」

「ま、待て‥‥話が見えぬが」

「楓?とにかく離れなよ。首を絞めてる」


襟元を掴み上げぐいぐいと締め上げている私。
肩に熱が、と思った瞬間にぐっと後ろに引っ張られ、思わず手を離してしまった。


「は、離して四郎!私はこの人に話があるんだから!!」


振り解こうと暴れても、がっちりと抱き込まれては身動きが取れない。


「無理。これ以上すればあんた、不敬の咎で斬り捨てられる」

「と、咎!?知らないわよそんなの!とにかく私は───」


はぁ、と擦れた溜め息が耳を掠る。


「‥‥本来は俺が言うべきでないけどさ」


いかにも気乗りしない、といった感じに私の頭上で四郎が口を開いた。


「この御曹司は女に不自由していない上に手が早い。何処で一夜の情けを貰ったか知らないけど、後になって責任を取れと喚く女も多いから、うんざりなさってる。諦めたら?」

「‥‥‥忠信、それでは私が余りにも不甲斐無い男の様だが」

「事実に相違ありませぬ」

「継信まで‥‥しかしその娘には、真実心当たりがないのだが」


四郎の言葉の意味が、体にゆっくりと浸透した頃。


「‥‥四郎」

「ん?」


ぱん、と響く高い音は気持ち良い。
私はにこやかに笑ったまま、盛大な平手打ちをその綺麗な顔にお見舞いしてあげた。

胸倉を掴まれた彼こそが、何を隠そうあの「源義経」だと知るのは‥‥、この後数十分のドタバタ劇を終えてからの事になる。




 

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