幾ら新米とはいえ仕事手が減るのだからそれなりの挨拶はすべきだ。
そんな思いから、取り敢えず志津さんに平泉行きを告げると、案の定頷かれた。


「ええ、奥方様に御伺いしておりますよ。大役を仰せ仕ったのですから、ゆめゆめ粗相のないように」

「う‥‥‥粗相、ですか」


そんな事言われても、此処に慣れるのが精一杯な私が、人様に迷惑をかけないでいる自信なんてない。
よほど情けない顔をしていたのか、志津さんが私を見、小難しかった眉間を一気に綻ばせた。


「ほほほ、冗談ですよ」

「じょ、冗談って志津さんまで‥‥」


昨日美形親子にからかわれた為、殊更読めない笑顔に過敏になっている私は溜め息を吐いた。
大鳥城の人は皆して人をからかう癖でもあるのか。
そう一瞬だけ思ったけれど、違う。

これは志津さんなりの気遣いなのだろう。と思う。


「御館は、楓の事情を御存知なので心配無用ですよ。いたく同情されたようですし」

「‥‥そう、ですか」


ほら、やっぱり。
その眼差しに宿る労りの光。
嬉しくて、でも少しだけ罪悪感を感じて、私は少し俯き加減になった。

ほんわりした空間に染まったとしみじみ思った瞬間、今度は志津さんの口調がいつもの堅さに戻って、


「ですが、廊を走らない。欄干を飛び越えない。自室でも裾を乱して寝転ばぬよう。あなたには注意が足りませんからね」

「‥‥ど、どこから見てたんですかっ?」


志津さんの前では気をつけていたのに。
くどくどと始まったお説教。
この人が何故、乳母だけで収まらず城中の女房達を統括しているのか、つくづく実感した。

ともあれ、私にとって大鳥城の人達は、親鳥の様な存在になっている事だけは、確か。











───大鳥城に連れて来られた時。

私は火の熾し方はおろか、着付けすら出来なかった。
さらに言えば案内された厠に愕然とし、ガラスのない窓に驚き。
正座をすれば短時間で足が痺れると言った具合。

当たり前だ。
生きてた時代が違うんだから。


けれど事情を知らない人からすれば、さぞ奇妙に映っただろう。
実際、怨霊に憑かれている様に見えたと思う。

そうならない様に、と、私が舘の山に来た経緯を聞いた後、基治さんが 『事情』 を作り上げてくれた。
山賊に襲われそうになった私を、偶然通りかかった四郎が助けて。
そのショックか頭を強打していたのか知れぬが、私が目覚めた時には、何も覚えていなかった、と。

人間の心理とはよく出来ていて、理由さえあれば簡単に受け入れられるらしい。

基治さんのお達しが無ければ、城内の人達はおろか志津さんにもこんなに優しく接して貰えなかっただろう。




その前に、四郎に拾われなかったら‥‥‥私は今頃生きていられただろうか。
野垂れ死んでいるか、それこそ山賊に襲われて死よりも悲惨な目に逢っているか‥‥‥。
四郎にも感謝しなきゃダメだ、そろそろ無視も止めて上げよう。

そう思った私はほんの少しの感謝を胸に、三郎くんと四郎との平泉道中を満喫することにした。















平泉に到着した私達は、御館に会う前に身形を綺麗にする為、一旦湯を使わせて貰うことに。
通されたのは立派な伽藍のような場所で、そこが御館の住居だと思ったが、客人用の邸だそうだ。


「‥‥‥黄金の都」


ぽつり。呟きが零れる。
窓からですら圧巻される、広がった土地と重厚な建物。
どこか神聖な、濃い仏教色を思わせるような。
それでいて、町の賑やかさも伴っているような‥‥。

これが、平泉。


「最初は誰でも圧倒されるんだ」

「‥‥うん。でも‥‥‥美しさで言えば、私は館の山が好き」


振り返った私に四郎は何も言わず、小さく笑った。















この時代の朝は早い。

陽が昇り始めた頃に起きるようになったなんて、通学していた頃じゃ考えられない。
ここの人達は皆そうなのか。
ともあれ日の出と共に朝餉を頂いて、御館の居る 『柳之御所』 に向かったのは翌朝のことだった。


「───佐藤継信、忠信。御館の御前に失礼仕ります」

「お久し振りに御座います、御館」

「おお!継信に忠信、久しいな。遠路事なきを得て目出度く思うぞ」

「はっ。有り難き仕合せに御座います」

「継信、そちは相変わらず堅物なことだ。基治と瓜二つだと思わぬか、のう忠信?」

「それはもう。兄上は父上の写しの様だと舘の山でも有名ですから」

「し、四郎!御館の前でなにを‥‥」

「俺は事実を申し上げただけです、三郎兄上」

「ばっ!馬鹿を申すな!」

「はっはっは!そう言う忠信も乙和に生き写しだぞ。我も昔から乙和には口で勝てた例がないからのう」

「‥‥‥」



流石に思い当たる節が多すぎるのか、四郎が黙り込む。
それを見て、


「ほれ、分が悪いとだんまりを決め込む所もそっくりであろう」


と益々笑い、最後には三郎くんや四郎まで釣られて笑わせてしまった、この人。
なんと言うかもう、豪快に笑っている。

童顔の基治さんよりずっと年上に見えるこの人が、御館(みたち)と呼ばれている人。
奥州藤原氏第三代当主、藤原秀衡。
大鳥城主の佐藤家が仕えている奥州藤原氏の当主。
歴史の教科書に出てきていた、あの奥州藤原四代のうちの、ひとり。

───私は今、凄い瞬間を体験しているんじゃないか。
普通に生きていれば叶うことなんてない、歴史上の有名な人物との対面しているんだもの。

三郎くんと四郎の後ろに座り息を詰めてまじまじと見ていると、鋭い視線を感じた。
我に返れば、御館が静かに私を見ていた。
風のない湖面を思わせる、静かな眼差し。


「で──そちが乙和の言うておった娘だな」

「あ、はい。楓です。初めまして」

「‥‥ほう、楓か」


静かな、視線。
なのに圧迫されるような何かを感じて首を竦めた、時───。


たんたん、と小気味良いリズムの足音が廊に響いた。


 



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