「───え?」


活け終えた花を満足そうに見遣った乙和さんが、その笑顔のまま落とした言葉の意味が分からない。

四郎はどうだろう?と思いながら隣に目を向ければ、彼もまたぽかんとしていた。


「申し訳ありませんが‥‥母上、もう一度」

「ですから、楓には御館の元に行って貰いましょう、と申し上げました」

「平泉に‥‥ですか?しかし急に何故‥」

「急ではございません。基治殿と私は以前から御館に、楓の事を文で奏上しておりましたもの」

「ですが‥‥楓では荷が重いゆえ、務まらぬでしょう。代わりの者を立てるべきでは」

「御館が仰られたのですわ。楓が良いと」

「母上、ですが」


四郎が真顔なのも、乙和さんがにこやかなのも見ていられず。
さらにはその会話すら頭に入ってこなかった。



『かえでをみたちのもとに』



‥‥私を、みたちの、元に?

みたち、って三郎くんが教えてくれた『御館』の事よね?
奥州藤原家三代目当主・藤原秀衡。
確か彼には成人した子供が何人かいて、そのうちの一人が総領として実務に当たっていると教えて貰った。
歳で言えばもうオジサンなのでは‥?
という事は、つまり‥‥‥つまり。

そんな馬鹿な。


「私に、御館の妾になれと?」

「楓に御館の伽が出来る色香があると思えません!」


私が愕然と叫ぶのと同時、四郎も珍しく声を上げた。
綺麗に重なった声にハッと我に返って、私達は顔を見合わせる。


「‥‥無礼な発言だよ、楓」

「四郎こそ!」


随分失礼な事を言ってなかった?
人の事は言えないかも知れないけれど、四郎の方こそ。
私が‥何だって?


「あら、まぁ、仲がよろしいですこと」

「‥‥」

「‥‥」


乙和さんの笑顔とたった一言。
それが、面白いくらいに私達を脱力させてくれた。











「‥‥左様でしたか。楓殿も大変でしたね」

「そうなの!私の苦労を分かってくれる?」

「いやっ?‥‥‥え、ええ」


三郎くんが若干引いている様にも見えるけれど、気にしない事にした。
あの後、失礼発言をした四郎とは口も聞かずにいる。


「ほんと、御館の客人の話し相手って役目で良かった」


再びほ、と息を吐いた。
一時は 【年老いた権力者に献上される哀れな若い娘】 の役目を負うのかと、かなり泣きそうになったけれど。
実際はただ単に、私の事を佐藤夫妻から聞いた御館が
「もうすぐ平泉にやってくる客人の話し相手になって欲しい」
とお願いしてきたらしい。
ついでに藤原家で行儀作法を叩き込んでくれるという、ありがた迷惑な特典付き。


「話し相手の子って、どんな女の子かしら?楽しみね」

「楓殿?」

「ん?何三郎くん?」

「‥‥‥いえ」


三郎くんは何かを言いあぐねている様だったけれど、結局黙った。



あれから、乙和さんの御前を下がってすぐのこと。

曲輪から鍛錬を終え本丸に戻ってきた三郎くんを捕まえて、話を聞いて貰っているのだけれど。
私の言葉に一つ一つ頷いてくれる、彼の優しさに癒されるばかり。


「では三日後の朝に出立されるのですね」

「うん。冬になる前に平泉を出ればいいって、乙和さんがね」

「それが宜しいでしょう。奥州の冬は厳しいので、早めに戻られた方が良い」

「平泉って奥州よね?そう、冬は厳しいんだ」

「楓殿、大鳥城下も奥州なのですよ」

「え?そうなの?」

「ええ。奥州、もしくは陸奥とも呼びますが。我らは御館に仕え、この奥州を鎮護する一族ですから」

「‥‥そうなんだ」


舘の山、とはこの大鳥城のあるこの山。
まだ詳しくはないけれど、今まで城中で聞いたことをそれなりに整理してみて、頭の中に朧げな地図を描いた。
舘の山から奥州・平泉までの道程は、女の私には遠く感じるらしい。

確か、平泉って岩手県平泉町のことだと地理で習った記憶があった。
そして【奥州】というのは範囲が広く、東北の幾つかの県を跨ぐ地方を指す、とも。
はっきり覚えていないのが悔しい。

つまり。
大鳥城が奥州にあるという事は、東北のどこかだと言うことで。
そう言えば夏がとても涼しく過ごせたのも、此処が奥州だから。


「楓殿?」

「──あ、ごめんなさい。道中、皆の足を引っ張らないように頑張って来るね」


私の護衛に何人かの兵を付けてくれるそうだ。
けれど、だからと言って私が楽を出来るわけじゃない。

歩くのはきっと、自身の足。
此処に来てから少し体力が付いたけれど、まだまだ頼りない私。
他の人の足を引っ張らないように、と考えればたった三日の準備期間じゃ何も出来なくて、もどかしい。
今更、鍛えることも出来ないんだもの。


「ご心配には及びません。私も四郎も騎乗には些か自信がある故、楓殿が懸念される事など、何も」

「え?だって、三郎くんも四郎も大鳥城に居るんでしょ?」


だって。
乙和さんが私に平泉行きをお願いした時、二人のことなんて言ってなかった。
今の三郎くんみたいににっこりと、それは優雅に笑いながら
『心配には及びませんわ。楓には誰よりも確かな者をつけましょう』って言ってくれたけれど。

‥‥あれって、まさか。


「昨夜遅くに父上の命を受けました。楓殿を平泉まで守護せよと」

「‥‥え?」

「勿論、四郎も共に」


四郎って、どの四郎?


「‥‥は?四郎、知らなかったんじゃないの?」

「いえ。四郎と私が二人で、父上にお会いしましたが」


爽やかに言い切る三郎くんの眼に、面白そうな光を発見した。


「そんな馬鹿な!」


乙和さんの前での、あの動揺した素振りは演技だったのか。

‥‥‥ああ、だから乙和さんも楽しそうだったの。
二人して私が「御館の妾説」と盛大に勘違いする姿を、楽しんでいたなんて。
四郎の馬鹿。


「‥‥‥いつか絶対、四郎に仕返してやるんだから‥!」


決意を込めれば、三郎くんが耐えられないという様に吹き出した。





青い夏の終わりが刻々と近付く、そんな大鳥城の夕方でのこと。



 

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