天つ風 雲の通ひ路吹きとぢよ
をとめの姿しばしとどめん
「楓!楓、何処に居るのー?」
城の荘園で花を積んでいると、私を呼んでいるのが聞こえた。
確かに、この場所で屈んでいれば見つけ難い。
花は片手で余るほど摘んだしもういいだろう、そう思い立ち上がる。
「浅乃!ごめん、此処よ!」
私を探していたのは、女房の中で一番仲の良い子。
確か十五歳だった筈だけど、私よりもしっかりしているので教わる事も多い。
浅乃と呼ばれているが、勿論此処での通称。
「いたいた。御方様がお呼びよ。急いでね」
「御方様?丁度良かったわ」
「丁度?‥‥あ、綺麗な花ね。藤袴よね?」
「そうよ。昔から好きな花なの。満開だったから、奥方様にお持ちしようと思って」
「成る程‥‥やっぱり香りはないか」
ひょいと浅乃が顔を近づけ、花を覗き込む。
そうして見ると彼女は年下らしいあどけなさが残っていて、微笑ましくて。
普段はとても大人びているだけに新鮮。
「このままだと無臭。でも花弁を乾燥させると、桜餅の香りになるの」
「桜餅?素敵ね楓!」
顔を輝かせる浅乃の子供みたいな可愛らしさに思わず吹き出して、「じゃぁ、後でね」と踵を返した。
まだほんの一部しか覚えていない、本丸の廊を歩く。
御方様──つまり、乙和さんの住まう一番見晴らしのよい一室を訪なうのも、私は割と頻繁だ。
ひっきりなしにお呼びがかかるのだから。
他の女房と私が違う扱いなのは、まずそこから始まっている。
つまり、私は城主夫妻の「お気に入り女房」なのだと、誰もが思っている事。
‥‥‥真実はほんの少し違う気がするけれど。
「御方様、楓にございます」
「お入りなさい」
「はい。失礼致します」
室内に入った瞬間、わぁ‥‥っと広がる景色が好き。
開かれた窓から一望できる、舘の山の緑と、空。
「ふふ、また楓のぼんやりが始まりましたわね」
「あ!‥‥申し訳ございません、御方様」
私はいつもこの光景に圧倒してしまい、くすくすと笑われてしまう。
「楓、此方に来た時は言葉遣いを改めよとの約束でございましょう?」
「‥‥‥はい、乙和さん」
「そうですわ。私はあなたの母代わりなのですから」
一応とはいえ、私は女房の立場。
それゆえに公私の区別は付けたいと、普段人前では「奥方様」もしくは「北の方様」と呼ぶ事にしていた。
基治さんには「お館様」と。
乙和さん、基治さん、と呼ぶのはごく限られた場所だけ。
そうしたいと初めて言い出した時、二人が小さく笑っていた事を思い出す。
「あら、藤袴かしら?」
「はい。庭園に咲いていたので、乙和さんに」
「‥‥‥まぁ!私に?嬉しい」
「喜んでもらえて良かったです。窓際に活けましょうか?」
「ええ、楓にお任せしましょう」
薄紫の花を潰さないようそっと手渡せば、乙和さんの眼差しが柔らかくなる。
本当に、花の似合う人だと思う。
そしてどんな花にも負けない華を持つ人。
活ける為の花器を貰ってこようと、室を出た私は前方不注意だったらしい。
視界が真っ黒になり、頭から壁にぶつかった。
「──きゃっ!」
‥‥待って。
出入り口に壁なんてない。
それに、痛くなくて。
という事は‥‥と視線を上げれば目が合って、思わず「うわ」と呟いた。
「‥何だ楓か。猪が突っ込んできたかと思った」
私がぶつかったのは、この男。
花に負けない乙和さんに外見『だけは』そっくりの男。
「誰が猪よ!大体ね、猪が乙和さんの部屋に居たら大変でしょ?あなた達の警護が甘いってなるんだから」
「ああ、それは母上がお飼いになってる猪じゃないか?最近城中で専ら噂のさ」
「そんな噂なんて聞いたことないわよ」
「何言ってるんだ、有名なのに。近頃城主夫妻が可愛がっている猪みたいな新入り女房の噂」
「‥‥私だといいたいのね、四郎」
いつか成敗してやる。
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