「ほぅ、城下をの」

「はい。こちらにお世話になってから、まだ一度も出てませんから。一度出てみたくて‥‥あの、ダメですか」

「‥‥そうじゃのう」


城下を散策したい。

大鳥城の主であり四郎の父上であり、私を庇護してくれている佐藤基治さんに直談判したのは、四郎に柑子の皮を剥かされた三日後の事だった。
勿論、朝の仕事は終わらせてから。


「まぁ、良いではありませんの。楓は女房として一生懸命尽くしてくれているではありませんか。あの志津が褒めておりました」


基治さんの隣で、北の方の乙和さんがにこにこと綺麗に笑っている。
四郎はどう見ても母上似。
まだ二十代に見えるこの方が北の方だと聞いた時は、腰が抜けそうになる程驚いた。

とは言え、基治さんも相当な童顔なので似た者同志かも知れないけれど。


「女房一人、散策にすら出してやらぬ城主など、武士の風上にも置けませんわ」

「ご、誤解を生む発言は止めてくれ。かような意味で申しておるのではないわ」

「ならばその意味を教えてくださりませ。この娘には身寄りがありませぬゆえ、私が母代わりになると決めました。子の願いを叶えるのが親でございます。叶えられぬなら、理由を親が聞くのは当然のこと」


‥‥ああ、乙和さん絶対楽しんでる。
つられてくすりと笑いながらも、その言葉が嬉しかった。
すると乙和さんが私を見て、更に笑う。


「寂しく思う時はいつでもおいでなさい。楓‥‥いえ、花音。私はもう、あなたの母上の代わりなのですから」

「‥‥‥はい」

「改めずとも良いがの、乙和の申す通りじゃ」

「‥‥‥はい」


涙が出そうになった。
こうして、他に人が居ない時に『楓』じゃなく『花音』と呼んでくれる、この行為も。
親ゆえだと暗に教えてくれるようで。

男の『諱(いみな)』と女のそれはまた違い、女の諱は特に深い親族や夫しか知らない位、世間には公表されてない。
世に名高い『清少納言』もあれは名前でなく、殿上人だった父の階位である『少納言』に、彼女の姓の清原から取った通名(とおりな)だとか。
実際、歴史の授業で昔の女性の本名が後世に残っているケースは、殆どないと教えられた。

‥‥‥佐藤夫妻が私を花音と呼ぶのは、そして『楓』の通名をくれたのは、つまりそういうこと。


と、しんみりしたのはそこまでで。


「さぁ、訳を話してくださりませ!さぁ!さぁ!」

「わ、わかった!おお落ち着け乙和!花音も笑っておらずに乙和を止めよ!」


この若作り夫婦のラブラブっぷりに笑い転げながら、基治さんに掴みかかる乙和さんを宥めにかかった。














簡単に城下に出られない理由というのは、やはりというか想像通り。
私がこちら(の時代)に馴染めていないうちは危険だから、といった物だった。

確かに、方向感覚も地理も把握できてない私は、迷ったらきっと帰れないだろう。
それにこの時代の風習も良く分かっていない。


『花音は赤子のようなものじゃ。この近辺では時折山賊も出るからの』


心配げに眉を顰める基治さんだったけれど、結局は私を出してくれた。
勿論、一人ではなくて‥‥。


『花音が一人で心配なのでしたら、三郎を供にすれば良いではありませんか。四郎は今留守ですが、あの子なら曲輪の庭で鍛錬しておりましょう』


城主のご子息(しかも武将)を供にだなんて畏れ多い!
と必死で遠慮したが、子を産んだ女は強し。
あっさりと言いくるめられてしまった。


それから僅か四半刻後、初対面の三郎さんと門をくぐり外に居る。



佐藤三郎継信つぐのぶ

『三郎』と名前がつくものだから、てっきり四郎のお兄さんかと思って構えていた。
けれど、現れたのは私と同じ歳位の若い武士。
どうやら四郎の弟君らしい。兄と聞いていたのは私の勘違いだったようだ。

この夫婦の子供の名付け方って変わっている。

四郎が兄で三郎が弟。
なかなかユニークだな、なんて一人納得していた。


「そちらに大きな石があるので、足元に気をつけて下さい」

「あ、はい‥‥わっ」

「‥っと!怪我はありませんか?」


緊張の余り石に躓いてよろけた私を、咄嗟に腕が支えてくれた。


「ご、ごめんなさい!‥‥三郎くんこそ大丈夫?」

「いえ。私はほら、この通り」


不安定な山道で咄嗟に、崩れかけた体勢の私の腰を掴んで腕一本で支えて。
それでも全く自分は体制を崩さないなんて、どれだけ力があるのだろう。
見た目は全然ゴツゴツしてないのに。

三郎くんが笑うと、首の後ろで無造作に纏めた栗色の髪が、ふわりと揺れた。
そうするとまるで少年のようで、可愛い。

四郎が乙和さん似なら、三郎くんは父上似。
性格も、四郎よりうんと素直で真面目で、優しくて。
彼となら仲良くなれそう。
というよりも、弟に欲しい。

  

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