思春期 | ナノ




03




ゆっくりと目を開けた。背中が汗でべとべとだ、気持ち悪い。枕元にある電波時計には小さく8/29と表示されていた。(ああ、ああ、良かった。)こんなこと言ってはいけないかもしれないけれど、空き巣に殺されてしまうくらいなら、バイクに突っ込まれたほうがよほどマシだったに違いない。きっと今日、謙也は生きている。俺はそんな夢みたいな、夢かもしらんけど、少なからず現実には有り得ない現象を信じてしまうほどに参っていたのだ。
俺は8月29日をループしている。夏休み最終日前日から、謙也の葬儀までをループしている。漫画や小説のような話である。そうでないのならば、俺は夢の中で何度も夢を見ているのだ。どちらにしても、俺には謙也を助けるという選択肢以外ない。神様が助けてくれたのか、はたまた笑っているのかは分からないが。
ともあれ、これが同じ8月29日なのかを確認するためにやるべきことがある。俺は携帯のロックを解除し、履歴に新しい
番号をタップした。

『……はい、もしもし』

生きているとは思っていたが、謙也の声が聞こえたところでやっと安堵した。やはり、謙也は生きている。

「もしもし」
『なんやびっくりしたわ、俺も白石にかけよう思っててん』
「……ほーか」

思わず泣きそうになってしまう。リアルな夢のせいで。

『まぁちょうどよかったわ、どないしたん』
「あー、…あのさ、…明日会えたりする?」
『え?なんやいきなり、平気やけど、……あー、でも俺あれやねん、宿題終わってへんねんな』
「知っとるわそんなん」
『んなっ、どーいう意味やねんそれー』

(そんまんまの意味です。)謙也が死んでしまうと言うならば、俺が近くにいて止める他ないのではない。それが1番早い。

「せやから、俺の宿題見せたる」
『は?お前いつも見せてー言うたらそんなん自分でやらな意味無いやろーって言うやん』
「…ほんならいらへんのやね」
『うっそー!いる!いります!ありがとうございます!』
「素直でよろしい」

口実になるのなら自分の宿題なんて安いものだ。そう、謙也の命と比べたら。本当は今すぐにでも駆けていきたいのだが、謙也に本当に心配されてしまいそうなので、それはやめておく。きっと、謙也の運命が変わるのは明日だ。

「ほんなら宿題持ってくからな、数学以外は平気なん?」
『ほかは感想文とかやしまぁ適当にー、……ん?数学ってなんで知っとんの?』
「………数学、難しかったから?」
『……やっぱ白石でも難しかった!?よかったわー、俺数学得意とかもう言えんのちゃうかなって自信無くしててんな!』

謙也が馬鹿で良かった。そう思わざるを得ない。前回と前々回は、この電話を最後に謙也は居なくなってしまった。もうそんな思いはしたくない。(なぁ、謙也、お前のことは、俺が守ったるから)
だから、死なないでおくれよ。それからの謙也の会話は特にそれとない、世間話だった。明日、何があっても謙也を守らなくては。


朝起きて早々に支度を終えてしまったはいいものの、時計はまだ午前の8時を指していた。謙也のことだ、夏休みにずれ込んだ睡眠時間を正せてはいないだろう。そうは言っても俺には寝直すことをする図太い神経はないし、朝だからといって謙也になにもないなんて確証はないのだ。(2回の経験では、どちらも午後の出来事だったけれど)そわそわとしてしまい落ち着かない。電話をしようか、いやでも早めに行っても謙也の家に迷惑だろうか、この後に及んでそんなことを考えてしまうのだから十分呑気で図太いのかもしれない。そんなことをもやもや考えていると、携帯がメッセージの受信を告げた。

『今日何時に来る?』

そう書いてあった。謙也からのメッセージだった。なんだ起きているのか、と少し感心してしまう。(もしくは、徹夜して宿題をやっていたかだな。)

「何時からなら行ってもええ?」
『別に何時でもええけど昼ないから買い行かな』

どきり、と心臓が嫌な跳ね方をした。今日は俺が一緒に居れるかもしれないが、外に出ない方がいいことは確かだ。なるべく謙也を外に出したくはない。

「俺買ってったるよ」
『え?なんで?そんなん悪いやん』
「お前宿題やらなあかんやろ」
『せやけど』
「行くついでやし買ってくから」

俺がここまで強く出るのも部活以外で珍しかったようで、そのあとすぐ了解とメッセージがきた。ふぅ、と一息ついて謙也に昼食のリクエストを聞く。がっつりしたもん、と書かれたメッセージに少し安堵して、何を買っていこうか、と考えながら立ち上がった。



「おはよう」
「おー、おはよ、昼飯さんきゅな」

生きてる謙也の顔を見るのは俺にとってはかなり久しぶりで、とても込み上げてくるものがあったが、そんなの謙也は知らずといった様子で(そりゃそうだ)昼食のとんかつ弁当を覗き喜んでいた。特に変わった様子のない謙也と謙也の家に安堵しながら、謙也の家にお邪魔して鍵をしっかり閉めたことを確認する。

「あ、開けといてや、翔太鍵忘れていきよってん」
「………翔太くん帰ってきたら俺が開けるから」
「?いや、めんどいやん」
「最近空き巣流行ってんねんで、用心せんと」
「???そやったっけ?」

まぁええけど、と言いながら謙也はリビングに向かう。

「もう食べる?」
「どっちでもええよ」
「腹減ったから食べよ」

最初からそう言えばええのに、と思いながら少し笑ってしまう。失ってから大事なものに気付くというのはよくある話だが、俺にリベンジの機会が与えられていることには感謝しなければならない。2人分の弁当をあっためながら、謙也は麦茶をコップに注いでいた。その後ろ姿が、懐かしくて、ずっと眺めていたくなったけれど、そんなこと本人には言えやしない。

「上持ってくから白石先行っとって」
「ええよ、待っとる」
「?……ええけど」

なんだこいつ?と言いたげな目を無視して電子レンジを見つめて誤魔化した。(いや、わかる。気持ちはわかるよ、謙也。)

「なんや今日の白石は変やな」
「…そうか?」
「おん、昼飯やって2人で買い行ったら良かったやん」
「……どうせ謙也の家行く途中にスーパーあるしさ、ついでやん」
「せやけど」

なんかそういうことじゃなくて、とうーんと謙也が首を傾げているうちに、2つ目の弁当があたたまったようで、楽しげな電子音が響いた。

「あ、ほんならここで食ってまう?」
「あー、うん、その方がめんどくないか」
「そうしよ」

割り箸を取り出して、2人で向かい合って座る。少し熱いくらいの弁当は猫舌の俺にはすぐに手を付けられそうにないが、謙也は今すぐにでも食べたいようで、腹の虫に急かされていた。

「…ほんなら食べよか」
「おん、いただきます」
「いただきます」
「あ、後で金払うからな」
「はは、別にそんな心配してへん」

そう言って弁当にがっつく謙也を、なんだか愛しく思った。


「ごちそうさまでした」
「ごっそーさん、いくらやった?」
「ええよ」
「いやいや、そういう訳にはいかんやろ」
「変なとこ真面目やなぁ」
「お前もな」
「……ほんなら、明日学校で返してや」

???、とたくさん疑問符を浮かべた謙也に、俺はふざけたように笑ってみせた。

「明日返してくれたらええよ」
「なんで?今返せんで?」
「ええねん、明日返して」
「……ほんまになんかおかしな白石やなぁ」

なんの効果もないかもしれない口約束を、しておきたいと思ったのだ。
後片付けを終えて、麦茶だけ注ぎ足して上に上がる準備をする。

「どこまで終わってんの?」
「聞いて驚け、もう数学しか残ってへんでえ!」
「え、自由研究とかは?」
「翔太の紫キャベツのなんちゃらを写さしてもらったわ」
「……ふ、はは、せこいやつ」

何故か誇らしげな笑顔におかしくなって笑ってしまう。すると謙也も嬉しそうに笑った。

「…、…な、なに?」
「なんや白石おかしかったからさ、おかしかったっちゅーか顔暗かったから、なんかあったんかなぁて」
「…、……」
「俺には言えんこと?」

(いや、お前にこそ言いたいのだ、本当は)しかし寂しそうなその顔を前に、お前死ぬんやでとか言えるはずもない。

「……夢見悪くて」
「夢?」
「おん、…人が死ぬ夢を見んねん」
「え、そうなん、怖」
「はは、夢やねんけど」

夢にしなくてはならないのだ。俺だけの夢での出来事にしなくてはならない。

「でも人が死ぬ夢っていい意味っていうよな」
「?そうなん」
「なんかそうらしいで、夢占いかなんか」
「ふーん」
「夢かぁ、しんどいやろなぁ、嫌でも見てまうもんやしなぁ」

そう言いながら謙也は麦茶を持って立ち上がった。俺も慌てて立ち上がってあとから付いていく。

「誰が死ぬん?」
「……それは、…うーん」
「覚えてへんの?」

謙也が、と言ったところで夢と言っている以上大したことはないと思うのだが、(そもそも1回言ってしまったし)謙也が階段を上り自分の部屋へ向かう。どくんと心臓が跳ねる。(あ、あかん、嫌な感じや、これは)

「、っわ、」
「っ、謙也」

謙也が足を滑らせて、宙へ浮く。落ちる、スローモーションのようだ。
(大丈夫、大丈夫や)
今日は俺が居る。ゆっくり落ちてきた謙也を抱きしめるように抱えて、そこでスローモーションは終わった。






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