第3話

巨神との対話を終えた直後、地面からは真っ赤なマグマが吹きだし、揺れと地響きはさらに大きなものになって行く。脱出しようにも道は塞がれ、四人の焦りは募るばかりだった。

「かなり…やべえな…!!」

グラディオの言葉に、どこか逃げ道はないかと辺りを見回す。吹きすさぶ熱風に思わず顔を伏せた時、目の前に帝国軍の揚陸艇がゆっくりと降りてきた。

「…帝国軍…」

このような状況で襲われでもしたらさすがに助かる術はない。この場を切り抜けるには何が最善かをイグニスが考えかけた時、開いた揚陸艇の口から見覚えのある男の姿が現れた。

「おーい、無事?」
「……!!」

この地までノクト達を導いた本人、アーデンだった。唖然とした表情の四人を見下ろし男は言う。

「オレの名前さあ、別に略してなかったんだよね」
「………」
「アーデン・イズニア、本名」
「…帝国の、宰相…!!」
「そうなんだよ。でも今はさ、助けに来たんだ」

そう言って、四人を迎え入れるかのように両手を開いて見せた。そこでふとイグニスは、アーデンが預かると言っていたフィオレの事を思い出した。
大切な妹を預けた相手が敵国の宰相であったと判明し、血の気の引く思いがした。

「おい……妹は、フィオレはどうした!?まさかお前…」
「……ふふ、やっぱりお兄さんは心配性だな」

アーデンは首を後ろに向け、左手で手招くような仕草をした。すると奥から出てきたのは、小一時間ほど前に別れたフィオレだった。

「兄さーん!みんなー!大丈夫ー!?」
「フィオレ!!」

イグニスは元気な妹の姿に安堵した。アーデンはフィオレに視線を向けて少しだけ肩をすくめて言った。

「ここで捕まえたりしないって。どうする?選択肢は二つ…生きる?……なんだよ、死ぬの?」
「みんな、早く乗って!!逃げないと!!」

フィオレが大きな声でそう叫ぶ。選択を迫られた四人は顔を見合わせたが、意を決したイグニスがノクトに言った。

「とりあえずここでは死ねない。行こう!いいなノクト?」
「…わかった」

ノクト達を乗せた揚陸艇は、いまだ揺れ続けるカーテスの大皿を眼下に上昇していく。そのまま当初ここへやってきた時にアーデンと別れた場所までたどり着くと地面に着陸した。

「はい、じゃあ確かに君達をここで降ろすからね」
「…ほんとに何考えてんだか分かんねえ野郎だ…」

そう呟きながらグラディオが開いた口から降りる。ノクトとイグニスもそれに続こうとした時、アーデンが声をかけた。

「あ、イグニス君。ちょっと君はここで待ってて、話があるんだ。フィオレも降りないでね」
「はあ?なんだよそれ…おいイグニス、かまわねえから行くぞ」
「まあまあ、すぐに済むから。王様は先に降りて待っててよ」

そう言って先に行くようノクトに促す。いぶかしげな表情で視線を向けるノクトに、大丈夫だから先に行けとため息交じりにイグニスは言った。
グラディオとノクトが離れたのを確認すると、アーデンはイグニスを揚陸艇の奥へと手招きした。フィオレを遠ざけてから、わざわざ悪いねと言う。

「…それで…話とは何だ?手短に頼む」
「うん、じゃあ単刀直入に言おうか。君の妹さん…フィオレを、一度帝国へ招きたいなあって思ってね」
「……断る…」

眉間の皺を深くしてイグニスがそう言うと、話を最後まで聞けと返した。

「フィオレを助けたいと思わない?オレならできるかもしれないんだけど」
「……何の話だ…」
「あの子…星の病に感染してるでしょ?お兄さんはそれ、知ってるんだよね」
「…!!…それは…フィオレがお前に言ったのか!?」
「いや、一目見て分かったからさ。悩みがあるでしょって言ったら、話してくれたよ」

その言葉に、どうしてこんな男にとイグニスは頭を振った。素直で愛想のいい自慢の妹だけれど、相手を選ばない所が兄にとっての悩みの種だった。

「しかもすでにシガイになってるけど、それには気が付かなかった?」
「…っ…バ…バカなこと言うな…!感染はしてるがまだ…」
「そう、見た目が変わらないんだよ。だからお兄さんが気づいてなくても仕方がない…帝国ではシガイの研究が進んでてね、オレはそこの部門を取り仕切ってる。だからすぐに分かったってわけ」
「…しかし…しかしシガイと言うのは一度死んでからなると話に聞いたが…」

イグニスの声が心なしか震えている。これまで長年側にいた妹が知らぬうちにシガイへと変貌していると突然聞かされたのだからそれも当然だとアーデンは思った。
一般的なシガイとは、見た目が人間からはかけ離れ、また日の当たる場所で生存する事はできず、さらには無差別に人に襲い掛かるとされているものなのだ。

「それなんだけどね、あの子から聞いた話によると…一度河で溺れてるんだって?」
「あ…ああ…三年ほど前に…」
「心肺停止状態で発見されその後蘇生した、って…」

そこまで言って、アーデンはフィオレに聞こえないようさらに声を小さくした。

「オレ思うんだけどさ、フィオレはその時心肺停止から蘇生したんじゃなくて、そのまま死んでシガイとして蘇ったんじゃないのかなって」
「………そんな…そんなこと…」
「ありえなくはないと思うよ。ねえお兄さん、あの子、三年前から成長が止まってるって思ったことはない?二十歳にしては、すこーしだけ幼いように感じるけどね」

イグニスを見ると、言葉も無くただ項垂れている。アーデンはふうと息を吐いて、気持ちは分かるよと小さな声で言った。

「フィオレはお兄さんと血のつながりがないって言ってたけど、それは事実かな」
「……ああ…そうだ…フィオレは気づいてたのか…」
「君には黙っててって言われたんだけどね。あの子がどこの誰なのか、君は知ってる?」
「………あの子は……生まれてきてはいけない子だったんだ…」
「……随分と酷い言い方するね」

イグニスは興味深そうに魔導兵を眺めるフィオレに視線を向けた。その愛らしい顔からは、すでに化け物と呼ばれる存在になってしまっているだなんて想像もできない。深くため息をつき、背中を壁にもたれかけながら言った。

「フィオレは、ルシス王家の遠い血筋の者から生まれたのだそうだ。しかしあの子の身体は生まれながらにして星の病に侵されていることが分かった。王族からそのような者が出たと分かれば沽券に係わる…」
「なるほど、それで君の家に…あの子の母親は星の病にかかっていたのかな?母子感染がないとは言えない」
「いや、それが母親のみならず家族も近親者も誰一人として病にかかっていた者はいなかった。それで余計に気味悪がられたのだそうだ…」
「…ああ…やっぱりフィオレの言ってたことは本当なんだねえ。あの子は母親を助けたんだよ」
「…?…何を言っている?」

アーデンが一度フィオレの方を見ると、その視線に気づきこちらを振り返った。軽く右手を上げ笑顔を見せると、少しだけ恥ずかしそうに笑顔を返した。

「フィオレは、他人の寄生虫を身体に取り込む特殊能力があるそうだ。癒す…って言葉を使うと美しすぎるかな…例えば、今の神凪のようにね」
「…そ、そんな話オレは聞いてない!!だとしたらあの子は…」

大きな声を出したイグニスに、アーデンは人差し指を唇に当てて見せた。

「あの子は自分の力に気付いてたよ。けど神凪と違う所は、フィオレの意思とは関係なく病魔に侵された者の身体から病を吸い取ってしまう所だ。恐らくあの子が母親の身体に宿った時、母体から全ての病の元凶を自分の身体に取り込んで生まれて来たんだよ」
「……………」
「母親が病に侵されていないのに生まれたばかりの子供が感染してるなんてありえない。生まれてきてはいけない子供だったとお兄さんは言ったけど、そのおかげで母親は病を逃れ、あの子の近くにいる感染者は知らぬうちに病魔をフィオレに押し付けてるってわけ。当然体内にたまった寄生虫はその濃度がどんどん濃くなり、あの若さでシガイになっちゃったんだよ」

可哀相だよね、アーデンは言った。家族の中で一人だけ血が繋がらないことも、その身体がすでにシガイと化していることも誰にも告げずにこれまで一人で苦しんでいたと思うと、イグニスの心は引き裂かれそうな思いがする。
今まで見せてきた無邪気な笑顔が彼女の精いっぱいの強がりで、そしてそれに気付かずに微笑んでいた自分が馬鹿みたいだと己に腹が立った。

「…オレは…今まであの子の何を見てきたんだ…」
「まぁ無理もないよ…ここからは憶測なんだけど、多分フィオレは普通のシガイが身体から排出する黒色粒子や感染の元になるエレメントをほとんど出していないんじゃないかな。放出よりも吸収が勝ってるって事」
「オレ達が長年フィオレの側にいてもなんともなかった理由がそれか…」
「でね、ここからが本題。君の妹の身体をこっちの施設で調べたいんだよね。あの子がどういうタイプのシガイなのかが分かれば打つ手が見つかるかもよ」

そう言うと、イグニスは強張った表情でアーデンに視線を向けた。

「帝国を信じろと言うのか…」
「帝国じゃなくてオレを信じてほしいなーって思ってるんだけど」
「…フィオレがシガイになっていると分かったのなら、これから先はオレが自分の手で守る。これ以上感染者の病を吸い取らずに済む様に…」

そんなイグニスの言葉に、ちっとも分かってないなとアーデンは言う。

「フィオレはさ、君たちがシガイの多い場所に入って行くとき必ずついて来ようとしただろう?あれ、どうしてだと思う?」
「……置いていかれるのが嫌だったから、じゃないのか…小さな頃からずっとそうだった」
「彼女が言ってたんだけどね、今回の様にシガイが多い場所に君たちが行けば万が一にでも病を貰うかもしれない。でも自分が側にいれば、それを身体に取り込むことでお兄さんたちを守れるからって…そう言ってたよ」
「……!!」
「君は妹をいつも守ってるつもりだったかもしれないけど、守られてたのはお兄さんの方なんじゃないかなあ」
「…フィオレ…」

俯いたイグニスの拳が震えているのが分かる。あとほんの僅か力を入れて押せば、この兄は折れるとアーデンは確信した。

「いいかな、君は妹を守れたとしても…助けることは出来ないんだよ。分かる?」
「…………」
「でもうちには、そのための知識と技術があるんだ。取りあえず、検査だけでも妹さんに受けさせてあげたら?」
「……フィオレは何て…?」

小さな声でそう問うイグニスに、直接聞いてみろとアーデンが言う。フィオレを呼びつけ、お兄さんから話があるそうだと伝えた。

「兄さん…お話終わったの?」
「………フィオレ…すまなかった…これまでずっと…お前の側にいたのにオレは…」
「…兄さんは、いつも私を守ってくれてたよ。謝る事なんて一つもないからね…」
「お前は、自分の身体を調べたいと思うか?この男について、帝国へ行くのは怖くないか?」
「…全然怖くないかって言ったら嘘になるけど……でも、もしも私の身体を治す可能性がほんの少しでもあるなら、やってみたいの」
「……………」

これまでただの一度も離れて暮らすことはなく、妹の危険には常に先回りをしてそれを排除してきたイグニスにとって、ましてや帝国へ送り出すことなど本来ならば絶対に許容できるはずもない。
しかし妹の覚悟を聞き、それを受け入れないわけにはいかなかった。きっと不安なのは、フィオレよりもイグニスの方かもしれない。
腕を伸ばし、大切な妹の身体を抱きしめる。思ったよりも小さな背中に、イグニスはフィオレの背負った物の大きさを思い泣いてしまいそうだった。

「フィオレ…お前がそう思うのなら行って来い。オレは待ってるから」
「…うん、ありがとう兄さん…」
「そうとなれば、これを持って行け」

イグニスはフィオレのリュックを手に取り、再びマジックボトルを詰め込んで行った。

「これはファイア、カーズ効果付きだ。こっちはサンダーポイズン、そしてブリザドのケアル付き…ハイポーションにフェニックスの尾も入れておく」
「こ、こんなにたくさんいらないんじゃない?」
「あとは念のために、ダガーも入れたぞ。いいか?くれぐれも身の危険を感じたら躊躇はするなよ」

そう言って、ずっしりと重くなったリュックをフィオレに背負わせる。もう一度ぎゅっと抱きしめ、そのまま側に立つアーデンを睨むように見た。

「検査が終わったら速やかに戻すんだ。約束しろ」
「オーケー、分かってるよお兄さん。大丈夫だって、検査だけだし危険なことなんてひとつもないよ」
「……お前が一番危険な気がするのは何故だろうな…」

イグニスの言葉に、酷いなあと笑いながら頭を掻いた。

離れるのを惜しむ様にフィオレの頭を撫で、何度も振り返りながらイグニスは揚陸艇を降りて行った。その背中を見送るフィオレの目に、ほんの少しだけ涙が浮かんでいた。
戻ってきたイグニスにプロンプトが駆け寄る。

「イグニス、話終わったの?何言われて…って、あれ、フィオレは!?」
「…………」
「……ちょっとイグニスってば!フィオレがまだ降りてきてないよ!揚陸艇行っちゃうよ…!?」
「…いいんだ…」

上昇する帝国軍の揚陸艇を見上げる。次に妹の顔を見ることができるのはいつなのか、帝国の宰相であるアーデンにフィオレを預ける事に不安は拭えない。
悲痛な表情のイグニスの肩をグラディオが叩いた。

「どういうことだイグニス?どうしてフィオレが戻ってこない…!?」
「…あの子を助けるためなんだ…大丈夫、すぐに帰ってくるさ」
「だ、大丈夫ってお前…」

イグニスの表情を見ていると、その言葉とは裏腹な心情が見て取れる。
上昇した揚陸艇が遠い空に消えるまで、心配性の兄はその姿を見送り続けた。






それからしばらくすると、フィオレを乗せた揚陸艇は帝国領へと入った。テネブラエ上空を飛び、ニフルハイムへ向かう。口数の少ない娘の側に行き、もうすぐ着くからとアーデンは言う。

「平気?少し疲れたかな」
「おじさま…ううん、大丈夫」
「向こうに着いたら、まず君が使う部屋に案内するから」
「はい…」

口元に笑みは浮かべているものの、兄と離れた不安からか検査への戸惑いからか、それとも敵国へ一人で赴く恐怖なのか。その表情には憂鬱が色濃く見える。

「…フィオレ、オレがいるからなんの心配もいらないよ」

アーデンはそう言ってフィオレの右手を強く握る。細く長い繊細な指の兄とは違い、節くれだった男らしく逞しい手をしている。
大きく温かいそれを控えめに握り返すと、アーデンは一度手を開き互いの五本の指をそれぞれ交差させ、まるで貝殻の形になるように繋ぎ直した。

インソムニアの街で恋人同士がしていた手の繋ぎ方だとフィオレは思った。頬が熱くなるのを感じ少しだけ俯く。
ウブで愛らしい様子にアーデンは気を良くした。大人の付き合いに慣れた女ばかり相手にしていたのでは見る事の出来ない反応だ。

「向こうに着いたらさ、今日は取りあえずゆっくり休んで。検査は明日からにしよう」
「明日からで大丈夫なの?」
「出来るだけ疲れの溜まっていない万全な状態を調べたいんだよ。だから検査も一日では終わらせずに、分けてやることになると思う」
「そうなのね……ねえおじさま…検査って痛いのかな?」

そう言って不安げな顔を見せる。

「私、注射も苦手なの。もう子供じゃないのにね」
「あー…血液は採らせてもらうことになると思う。もしかしたら注射もするかなあ」
「…うぅ…頑張る…」

アーデンはフィオレのしかめた顔を笑い頭を撫でた。
そうこうするうちに、揚陸艇はニフルハイム帝国へとたどり着いた。シガイ研究を行っているジグナタス要塞へ向かい、そこの宿泊室へフィオレを連れて行く。
通された部屋は、広いけれど無機質で簡素なベッドや机が置かれているだけだった。

「若い女の子が喜ぶような作りじゃなくて悪いんだけどね」
「いいの、観光で来たわけじゃないんだから」
「観光もしようよ。せっかくだから、グラレアの街も見てって。オレが案内するからさ」
「ルシス人の私がうろうろしても平気なの…?」
「そこまで閉鎖された国じゃないよ。帝国人が外の国に出ていくこともあるし、逆にこっちに移住する人もいる。特にアコルドの人はこっちに嫁いで来たりしてるかな」
「結婚してこっちにくるの?」
「そう。アコルドは帝国の属領だから、一般の帝国人だけじゃなく兵士も普通に出入りしてる。そこで出会って…ってことだね」

ルシス王国とニフルハイム帝国の関係の悪さを考えると、ルシス人が帝国人と家族になるということはなさそうだとフィオレは思った。
あくまでもこの帝国は母国と敵対する国。他国の侵略を続けているという漠然としたネガティブなイメージ以外は、その国民性すら定かではないのだ。

「もしフィオレが、この国を…オレを気に入ってくれたならずーっといてくれてもいいけど」
「…え…私がここに…?」

目を丸くしたフィオレがアーデンの顔を見上げる。想像し得なかった言葉に心から驚いていると言った表情だ。アーデンは少しだけ笑い、冗談だよと言った。

「君は向こうでお兄さんが待ってるもんな。忘れて、変なこと言って悪かったね」
「あ…いえ…私は、あの…」
「さて、夜までゆっくりしててよ。テレビも見られるし、ラジオは王都の放送が入ると思う。トイレと風呂も好きに使って。夕食の時間になったらまた来るから」
「う、うん…分かった…」

また後で、と告げてアーデンは部屋を出て行った。ベッドに腰を下ろし、はあと深いため息をついてごろりと身体を横たえた。

「…冗談…か…それはそうだよね…」

いくら敵国とはいえ、アーデンは宰相と言う皇帝に次いで高い地位を持つ男なのだ。対してフィオレは、兄がルシス王国の王子の護衛をしているというだけにすぎない。身分が違いすぎるとフィオレは思った。
そもそもアーデンが未婚と言う確証はどこにもない。たった数回会っただけで、フィオレはあのミステリアスで魅力的な赤い髪の男に心を奪われ翻弄されていた。

「はー…もう…おじさまのバカ…冗談であんなこと言わないでよ…!」

ああと声を上げて顔を枕に押し付ける。そんなフィオレの嘆きを、アーデンはドアを背にして聞いていた。
自分のアクションひとつひとつに、想像通りの反応が返ってくる事が楽しくてたまらない。声を出さずに肩を揺らして笑い、ゆっくりとその場を後にした。





その日の夜、レガリアという移動手段を失ったノクト達はチョコボをレンタルし、雷神の啓示を受けるために三ヶ所あるという石碑を探していた。
標でのキャンプで夕飯の支度をしていたイグニスは、数時間前に別れたフィオレの事を考えていた。

今頃何をしているだろうか。食事はちゃんと与えられているか、風呂には入れるのか、着替えは…。
考え出したらきりがない。イグニスは野菜を切る手を止め、スマートフォンを取り出して妹の番号を押してみた。しかし王都固有の通信機器であるそれの電波は、当然帝国へ届くはずもなかった。
深くため息を吐き、再び包丁を握る。そんな様子のイグニスに気付いたグラディオは、隣に立ち煮立つ鍋をかき混ぜながら言う。

「心配か?」
「…ああ…なにしろ普通の相手じゃないからな」
「帝国の宰相…ときたもんだ。よく行かせたな」
「あの子の病が治るならな…奴に言われたよ。オレは妹を守ることは出来ても、助けることはできないと。何も言い返せなかった…」

揺らめく炎に照らされたイグニスの横顔はいつになく寂しげで、また自身の無力さに対し怒りを感じているようにも見える。

「まぁなんにせよ、検査が終われば一度戻ってくるわけだろ?信じて預けたからには待つしかねえな…」
「ああ……だがまともな食事をしているのかが心配だ」
「向こうってどんなもん食ってるんだろうなぁ」
「ここ何年もオレが作ったものを食べさせてきたんだ…栄養のバランスも彩りも熟慮に熟慮を重ねて考えたレシピに基づき心を込めて作った食事を…誰かもわからない帝国人が作った料理を体内に取り入れてそれがフィオレの栄養となって身体を構成していくなんて考えただけでも鳥肌が立つ…!」
「……オレはお前のその発想に鳥肌が立ったぞ…」

もともと責任感が強く生真面目なイグニスは、幼い頃から妹の面倒をよく見る実に模範的な兄だった。それはフィオレが大きくなっても変わることはなく、それどころか歳を追うごとに美しく成長する妹への異様とも取れる愛情は時折グラディオが頭を抱えるほどだった。しかし血が繋がっていない事からフィオレを異性として見ているかと言えば、それは全く異なるのだ。
イグニスの親バカならぬ兄バカっぷりは、王都警備隊の中でも有名だった。

「フィオレが帰ってきたら、好物をたくさん食べさせてやりたい…」
「ああ、そうだな。いろんな食材採っておこうぜ」
「人の血液は約4か月で入れ替わるそうだ。向こうで摂取した成分が循環し、オレが作った食事の栄養素で満たすためには…」
「だから!そういう考え怖いっての!!普通にしてくれよ!」


フィオレが帝国から戻ってくるまで、この哀れな兄の心配は続くことになるのだ。時折心ここにあらずといった状態になってしまうため、一日も早く戻ってくることを願ってやまないグラディオだった。





翌日、朝食を取らずに白い検査服を着せられたフィオレはアーデンに連れられて研究室へとやってきた。
一見すると病院の手術室の様にも見えるが、人一人入れるような大きなカプセルが複数並んだその部屋は薄暗くとても不気味に見えた。
これからここで何をされるのか、不安に駆られたフィオレの背中は少しだけ丸まっていた。

「フィオレ、怖い?」
「うん…昨日あんまり眠れなかった…注射やだなあ」

そう言うフィオレの顔は少しだけ疲れているようにも見える。落ち着かなそうにきょろきょろと辺りを見回していると、研究員と思わしき白衣の女がフィオレの前に現れた。
長い髪を一つにまとめ、赤い縁のメガネをかけている。非常に痩せており、また背丈の高い女だった。

「アーデン宰相、お疲れ様でございます。こちらが例の検体ですね?」
「その検体って言い方やめようか。うちの研究に協力してくる子なんだからさ」
「……失礼いたしました。フィオレ・スキエンティアさん、どうぞこちらへ」

奥の部屋へと促す様に女が右手を前方に差し出す。一瞬だけ戸惑い、フィオレはアーデンへ視線を向けた。

「行っておいで。オレも後から行くからね」
「…うん…」

こちらを振り返りながら奥の部屋へと入って行った。その直後背後の扉が開き、ヴァーサタイルが姿を現した。

「貴殿自ら立ち会われるとは珍しい…」
「ああ、彼女に関しては勝手なことされると困るからね。一応見学させてもらうよ」
「またそのような…心外だな」
「あの子はこれまでの被験者とは違うから…くれぐれも丁重に扱うように、さっきのメガネの彼女にも言っておいてね」
「……了解した…」

『丁寧』ではなく『丁重』に、とアーデンは言った。それはフィオレを単なる研究対象物としてではなく、一人の人間として扱っていると言う事だとヴァーサタイルは思った。
これは非常に珍しい事で、さらに言えば検査結果を受け取ればいいだけの所を、わざわざその過程まで見届ける事などこれまでただの一度もなかった。
一体どれほど貴重な検体なのかと、ヴァーサタイルの研究者としての血が騒いだ。手元の紙に書かれた今日の検査項目に目を通すと、それはやはりどれもフィオレの現在の状態を調べるためのもので、実験は一つも含まれてはいない。
実に残念だと思わず唇を噛む。

そんな科学者を横目で見たアーデンは、

「検査が終わったら、元の場所に帰してあげなきゃいけないからね。傷一つ残すわけにはいかないんだ…頼むよ?」

と言った。心を見透かされたヴァーサタイルは深々と頭を下げ、見えぬところで歯ぎしりをした。

検査が始まると言う呼びかけに、アーデンは扉の奥へと入って行く。そこにはガラス張りの箱の中に横たえられたフィオレがいた。まるで玩具屋に陳列された女児が遊ぶ人形のようだと思う。
アーデンの姿に気付くと、両手をガラスに張り付けて『おじさま』と口を動かした。互いの声は届かないけれど、彼女の不安は十分すぎるほど伝わってくる。
そんなフィオレを見下ろし、ガラス越しにその手に触れた。

「ここに、いるよ」

フィオレに伝わる様に、ゆっくりと口を動かして言った。それを理解したフィオレは小さく頷くと、しだいにゆっくりと瞬きを始めた。幾度か繰り返し、そのうちにしっかりと瞳を閉じて眠りについた。
17歳で時が止まったフィオレの寝顔はことさら幼く見える。邪魔なガラスさえなければ、その柔らかそうな頬をじかに撫でてみたい所だった。

アーデンの予想が全て当たっているのなら、フィオレは自身とほぼ変わらない体質の持ち主と言うことになる。この検査は、いわばフィオレを側に置くにふさわしい娘かどうかを判定するテストのようなものだった。

「…大丈夫、きっと合格するよ。君ならね」

そう言って、アーデンは物語に出てくる美しい眠り姫のようなフィオレに微笑みかけた。












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