第8話
いつの時代もどこの国でも、女というものはおしゃべりな生き物である。
昨日の出来事からたった一日で、ヴィーデはアーデンの女だという噂が宮殿内に広まった。
やれどこそこで抱き合っていたのを見ただの親密そうに腰を抱き寄せられていただの、根も葉もないとはまさにこの事だ。
宮殿の給仕など、位の高い者への奉仕でさぞストレスも溜まるだろうし仕事内容は実質退屈なものなのかもしれない。
皇帝に召し抱えられたはずのヴィーデとその国の宰相の逢瀬など、これほど女の好奇心をくすぐるものはない。
要するに、退屈な給仕たちの恰好の的というわけだ。
今も魔導兵保管倉庫へと向かう最中、給仕たちはヴィーデに深々と頭を下げはするものの、通り過ぎたとたんにひそひそと声が聞こえる。
「まったく…楽しそうでけっこうですこと…」
アーデンから借りた鍵を使って倉庫の扉のロックを解除する。
真っ暗な倉庫内にオートライトが点灯し、物言わぬ魔導兵たちがヴィーデを迎えた。
「おはよう、今日もよろしくねーっと…」
初めこそ不気味に映った魔導兵だったが、今のヴィーデにとっては噂好きの給仕よりよほど心が許せる存在だった。
魔導兵の指揮権を持たないヴィーデは、小さなリモコンを使って彼らを操作する。
「えっとー…入って右側がレベル低いんだったっけ?」
ひとまず先日の訓練相手である初期訓練用の魔導兵を起動する。左腰に下げた剣を抜き、近寄ってくる魔導兵の首や腕の関節めがけて振り下ろす。
高熱で朦朧とした中でやっていた割に身体は覚えているものだ。
「身体は温まってきたわ…今日はもう一段上の魔導兵を使えってアーデンが言ってたわね」
ズボンのポケットからリモコンを取り出す。どのボタンを押せばどれが起動するのかの説明を詳しく受けていないので、ひとまず先ほど押したボタンの隣にある黄色のボタンを押す。
カシャカシャと音を立てて動き出したのは、初期訓練用魔導兵よりもより滑らかな動きで近づいてくる。
よく見ると、その手には木の棒が握られている。
「えっ…あ…!そういうこと!?こ、今度は攻撃してくるの!?」
慌てて距離を取り、改めて剣を構える。中期訓練用の魔導兵であるそれは、ある程度ヴィーデに近づくと攻撃を仕掛けてきた。
間合いを取りつつ、距離が近すぎればおのずと離れる。
ここでヴィーデは、この魔導兵の剣の振るい方を真似ればそれなりに形になるかもしれないと思った。
やられたことをひたすらやり返す。幾度も腕や腰を打たれたが、それでもほんの二日前まで草刈りと包丁程度の刃物しか持ったことのない人間としては上出来だと自分を褒めた。
「はあ…はー………ちょっと…さすがに疲れたわ…」
ここへ来てから3時間は過ぎただろうか。今日はひとまずお終いにしようとリモコンを取り出す。
「あれ?このリモコン…」
それは本の様に開くことができるようになっていた。中にはさらに複数のボタンが色分けして配置されている。
下の方を見ると、「CCP」の文字が書かれていた。
「なんだろ…CCP?」
何気なくひとつのボタンを押してみる。すると、倉庫の左奥からガシャンと物音がした。
姿を現した魔導兵は、より人体に近いデザインで、それでいながら顔が緑色という不気味なものだ。
何よりその手に持たれているのは斧である。それも木こりが持つようなそれよりも大きさがけた違いにでかい。
「…え?あれオモチャ…?じゃない…よね…待って…!」
リモコンの停止ボタンを探す。手当たり次第に押すと、さらに別の魔導兵が起動してしまった。
おろおろとしている間に魔導兵がヴィーデに向かって斧を振り落す。
ぎゃあと悲鳴を上げて間一髪で避けるも、今度は大剣を持った魔導兵が襲い掛かってくる。
反撃などまるでできない。ぐるぐると倉庫内を逃げ回りながら停止ボタンを探していると、再び振り下ろされた斧がヴィーデの右腕をかすめた。
「っつ…!!」
その瞬間リモコンを床に落とし、あろうことか踏みつけ破壊してしまった。
「嘘っ!!リモコン…!」
拾い上げ、カチカチと押してみても一切の反応がない。ひとまずこの倉庫内から逃げ出さなければ。
そう思って腰を上げようとしたとき、ヴィーデの頭上に大剣を大きく振りかぶる魔導兵が目の前にいた。
殺される―
そう思った。
「……アーデン…!!」
思わずそう叫び目をぎゅっと閉じた。
その瞬間鋭い金属音が響き、続いて少し離れた場所で大きな機械音とガシャンと何かが倒れる音がした。
静かになり、頭を覆っていた手をどけてうっすらと目を開ける。
きっとあの男が助けてくれたに違いない。
「アーデ……」
全身白づくめの男が背を向け立っている。その前にはヴィーデを襲った魔導兵が見事に破壊されていた。一体は真っ二つだった。
「…レイヴス…将軍…」
こちらを振り返ったレイヴスはゆっくりとヴィーデに近づき、通り過ぎざまちらりと見下ろすだけだった。
せめて助けてもらった礼は言わなければと声をかける。
「…あの…あ、ありがとうございました…」
「…貴様のせいで二体の魔導兵が無駄になった」
「……………」
レイヴスが右手を上げると、数十体の魔導兵がぞろぞろと倉庫から移動を始めた。
それらを引き連れて男はそのまま倉庫前に待機させてあった揚陸艇に乗り込んでいった。
呆然とそれを見送った後、ヴィーデは腹の底からふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。
「…何アレ…大丈夫かの一言もないわけ……」
初対面から印象の悪い男だったが、二度目の顔合わせでレイヴスに対する嫌悪感は決定的なものになった。
あんな男が軍のトップで、しかも今後ヴィーデに訓練をつけるというのだから最悪だ。
大の字に寝ころび、あーあと大きな声を出す。ふと顔を右側に向けると、魔導兵のもげた首がこちらを向いていた。
こっち見ないでと呟いてそれを放り投げる。
ヴィーデが逃げ惑うしかなかった魔導兵を、レイヴスは一瞬で倒してしまった。
いけ好かない男だけれど、アーデンの言うように実力は相当なものなのだと実感した。
自分にもあれだけの力があれば、そもそもあんな窮屈な村で理不尽な運命に揉まれて生きる必要もなかっただろうなどと考える。
すると、ヴィーデの顔の真上にアーデンがひょっこりと顔を出した。
「ただいまヴィーデ。寝てたの?」
「…アーデン…」
ゆっくりと身体を起こす。アーデンは周囲に転がる新型魔導兵の残骸を見ておおと声を上げた。
「ヴィーデ、これを倒せたの?こいつは新型の戦闘特化タイプの魔導兵だよ。Current Combat Prototype、略してCCP」
「……どうりで…訓練用じゃなかったのね…」
「あれ、リモコンは?」
そこ、と床を指さすと潰れたリモコンの破片が散らばっている。
「……もしかして何かあった?」
「………はあ……」
ヴィーデは深い溜息を吐いて、落とした剣を拾い上げ左腰に差した。倉庫のカギをアーデンに押し付けそのまま外へと出ていく。
ちょっと待ってよと言いながら倉庫のカギを閉め扉をロックする。
すたすたと足早に部屋へと向かうヴィーデの右腕に切り傷があるのを見つけた。
「ヴィーデ、腕」
「え?」
「ケガしてるって。気づいてなかったの?」
「…ああ…平気です、こんなのツバつけとけば治るわ」
「じゃあ、つけてあげようか?」
「………もう…」
アーデンのこの調子に慣れているものだから、あのレイヴスという男の態度が余計に心無く感じたのかもしれない。
けれどこの場ではきっと、あれが通常なのだろう。
部屋のドアを開け、腰に巻きつけていたホルダーごと剣を外してテーブルへ置く。
斧を持った魔導兵に切られた傷は、右の二の腕に細く長く赤いラインを残している。
暑苦しい軍服の上着は身に着けず、上半身は黒いタンクトップのみでいたのが災いした。
ふとドアの方を見ると、アーデンがその向こうで突っ立っている。
「…入らないんですか?」
「入っていいの?」
「…え?だって何度も…」
「いや、女性の部屋に無断で入るわけにはいかないでしょ、緊急事態を除いて」
「…へえ」
妙なところで本当に紳士的なのだとヴィーデは思う。どうぞとアーデンを招き入れ、そのまま救急箱を取り出す。
「やってあげるよ。左手じゃやりにくいだろ?」
そう言うと、ヴィーデは無言のままそれに応じた。一見すると浅そうに見えたその傷は思いの外パックリと割れている。
傷口をぐっと押さえつけしばらく待ち、ある程度止血できたところでガーゼを当てて包帯を巻きつけた。
「はいよできた。念のため、今日は傷口濡らすの止めときな」
「ありがとう…」
「で?」
何があったのとアーデンは言った。ヴィーデの頭の中に、あの腹立たしい白い狐のような男の顔が浮かぶ。
倉庫で起きた出来事をぽつりぽつりと話すと、それは難儀だったねと笑いながら言った。
「でもさ、レイヴス将軍が来なければ君死んでたね」
「………そうね…でもあの言い方…」
「まあ彼は誰にでもそうだからさ、そんなに気にしなくても」
「気になるわ!」
どうしても気になって仕方がない。レイヴスに感じる嫌な思いは、何もあの男の態度や言動だけに対するものではないような気がしてならなかった。
レイヴスを見ていると、正体の分からないざわつきが胸の奥底から湧いて出てくるのだった。
俯いていると、アーデンがヴィーデの眉間を指先で撫でた。
「おいおい、そんな怖い顔しないでよ。可愛い顔が台無しだよ?」
「…アーデン」
「そんなに気になるの?ああいうのがタイプ?」
そんなポジティブな感情ではない。もはや嫌悪に近いのだとヴィーデは思う。
でもあの強さは―
レイヴスから訓練を受ければ、自分もああなれるのだろうか。
いっそのことネガティブな思いを押し殺して、彼から全てを学べれば…
そう思った時、アーデンがヴィーデの頬を両手で挟み込んだ。
「まぁた考えてる。やだなあオレが目の前にいるのに他の男の事なんて考えないでくれない?」
「…アーデンは…戦ったりはしないんだよね?」
「うーん、まぁオレは宰相だからね。軍人じゃないからさ。多少の心得はあるけど」
「そう…よね…」
一日でも早く戦えるようになりたいとヴィーデは思った。戦争が好きなわけではもちろんない。
けれどレイヴスから向けられた蔑む様な視線を浴びるのは我慢ならない。
それは村の女たちがヴィーデを見つめる視線とよく似ていたのだ。
「ヴィーデ…」
「…ん?」
「キスしていい?」
「へ?」
突拍子もなくそう言われ、ヴィーデは目を丸くした。そんな発言が出るような流れがあっただろうか。
答える間もなく、アーデンはヴィーデの顔を上に向け顔を傾け近づけた。
ああ唇が触れるな、と思った時。
互いの鼻が軽くぶつかり合った所でアーデンが顔を離した。
「なんちゃって、本当にすると思った?」
「アーデン…!」
からかわれたことに腹を立て腕を振り上げた。アーデンは両手を上げて降参のポーズをとりながらドアの前に立ち、
「ほら、今ので今度はオレのことが気になってきただろう?」
と言って片目を閉じてみせた。本当に掴み所のない男だ。
おやすみと言って部屋を出ようとするアーデンにヴィーデは言葉をかけた。
「本当はね…魔導兵に襲われてもうダメだと思った時、アーデンに助けてほしいって…そう思ったよ」
「……そっか…オーケー。なら今度はレイヴス将軍より先に駆けつけるよ、絶対ね」
「…うん」
ドアの向こうでアーデンの足音が遠ざかっていく。
右腕の傷が今さらピリピリと痛み出した。
アーデンの鼻が触れた瞬間、ほんの少しだけ煙草の香りがした。あのまま唇が触れていたら、この口に広がるのはどんな煙草の味だろう。
頬に触れた赤色の髪は思ったよりも柔らかくくすぐったかった。
そんなことをぼんやりと思った。
「…あれ…本当にあの人のことを考えてるわ…」
そう呟いて、ヴィーデは一人で笑った。
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