第7話
太陽が傾き始め夕方を迎えようとしている頃、アーデンを乗せた揚陸艇は間もなくニフルハイム帝国上空へと差しかかろうとしていた。
ニフルハイム帝国とルシス王国の停戦協定の調印式が行われる筈だったその日、帝国による裏切りで王都は陥落。
ルシスのレギス王は崩御し、息子であるノクティス王子が事実上の国王となった。
アーデンは王都襲撃事件の起こる直前に、ルシスの若き王子と顔を合わせていた。
極めて未熟な、ただの子供だと感じた。王どころか、人としての器も小さい。
なぜあれが「真の王」なのか。
先ほど王都周辺の封鎖状況を確認するため向かったインソムニアは、見事なほど破壊されていた。
ほんの数週間前まで、高層ビルの立ち並ぶ発展都市だったとは思えないほどに。
生まれ育った国の残骸を見たら、あの青年はどう思うのだろう。
「でもねえ…まだまだだねぇ。今のままじゃあ、真の王にはなれないんだよ…ノクティス王子…」
揚陸艇がゆっくりと宮殿裏の魔導兵保管倉庫前へと着陸する。
「さてと…ヴィーデはちゃんと訓練してたかなぁ」
あれから少なくとも5時間は経過している。アーデンはコートの内側のポケットに手を入れ倉庫のカギを取り出した。
内部はやけに静かで物音一つしない。
「随分静かだねぇ…おーいヴィーデ大丈夫?」
倉庫の中央に目を向けると、多くの倒れた魔導兵に混じるようにしてヴィーデが横たわっていた。
さすがに二日酔いのヴィーデには厳しいものがあったかと近づいていく。
ヴィーデと声をかけると、真っ赤な顔をわずかに動かしてうっすらと目を開いた。
口元をもごもごと動かして、小さな声で死ぬ、と言った。
「あれ?ねぇヴィーデ、もしかして熱あるの?」
うつぶせになっているヴィーデを抱き起こし、汗ばんだ額に手を当ててみる。身体を動かした時、一時的に体温が上がる生理的なものとしてはあまりにも熱い。
「ヴィーデ、今朝から頭痛いのって、風邪だったんじゃないの?」
アーデンの腕の中でぐったりとなったまま答えない。
村を初めて出て、緊張の連続の中体調を崩したのだろう。もう少し注意して見るべきだったかとアーデンは思った。
取りあえず部屋へ運ばなければと、ヴィーデを肩に担ぎ立ち上がる。
周囲に転がった魔導兵をよく見ると、首が切断されていないにもかかわらず動かなくなっている個体が多くある。
この初期訓練用の魔導兵は対人訓練を最大の目的として作られているので、腕や足などの部位を破壊しただけでは動きは止まらない。
首を切り落とすか、あるいはもうひとつ。
アーデンは足でうつ伏せになっている魔導兵を仰向けにひっくり返した。
「…ああ、そこに気が付いたのね。やるじゃないの」
魔導兵の胸の中心辺り、人間でいうと心臓部分に当たる場所だけ他よりも脆い材質で小さく円形状に覆われている。
そこを上手く突くことができれば、この魔導兵はすぐに動かなくなる。
朦朧とした意識の中で、可能な限り無駄な動きなく魔導兵を破壊することを優先したのは正解と言える。
「………ん…う…」
「戻るのちょっと遅かったかもねぇ、ごめんねヴィーデ」
「…きもぢわる…い…」
「え!?待って待って…!オレにぶっかけないでよ!」
大きく揺らさないように、けれど足早にヴィーデの部屋へと急ぐ。ドアを開け、そのまま寝室へと向かう。
ベッドに寝かせ、履いたままだった靴を脱がせてやった。
「まだ気持ち悪い?吐きそうかい?」
「……気持ち悪いけど……何も…食べてないから…出ないの…」
切れ切れにそう言った。ひとまず汗と泥でまみれた衣服を替えさせなければと思い、ベッドの脇にある大きなクローゼットを開く。
勝手に開けるなと文句を言われるかと思ったが、すでにヴィーデの目は開いてはいなかった。
寝間着らしいものを一つ手に取り声をかける。
「ヴィーデ、そのまま寝たら体が冷えるから。ほら、ちゃんと着替えて」
「………このままでいい…」
「ダメ。辛いかもしれないけど起きてって。出来ないならオレが着替えさせるよ?」
「………お……な…」
全く聞き取れない。アーデンはため息をついて、ヴィーデの軍服に手をかけた。ボタンの数が多く外すのが思いの外面倒だ。
上半身を少しだけ浮かして、上着から腕を引き抜く。真っ黒いタンクトップの下に、窮屈そうな下着が少しだけ見える。
「どうする?下着も替えてやろうか?」
そう問うと、うっすらと開けた瞳がそれはやらなくていいと訴えている。
「ま、そりゃそう思うよなぁ。んじゃあこれだけ」
そう言って、ヴィーデの背に手を回しタンクトップの上から器用にブラジャーのホックを外した。
とたんにヴィーデの呼吸が楽になり、思わずほうと深い息を吐く。
「少し楽になったろ?あとはその汚れたズボンな…ベッドが泥だらけになっちまう」
ズボンのベルトに手をかけたとき、ヴィーデが重そうに手を持ち上げてアーデンがクローゼットから出したナイトワンピースを指さした。
「…あー、あれを先に着せてから脱がせろってことね」
病人相手に欲情なんてしないのにとブツブツいいながら、ヴィーデの頭からワンピースをかぶせひとまず足首まで裾を下げる。
そのあと腰まで手を突っ込みずるずるとズボンだけを抜き取った。
「よし…と。喉乾いてるだろう?水持ってきてもらうから」
リビングまで戻り、壁に備え付けてある受話器を取る。
「あ、悪いんだけどさぁ、ヴィーデの部屋まで水持ってきてもらっていいかな?うんそう。早くね」
手早く用件のみを伝え一度寝室まで戻り、汚れた軍服を手に取る。ついでにヴィーデを抱えた時に汚れてしまった自身のコートも脱いだ。
それから少し後に、部屋のドアがノックされた。
「ああ、悪いねぇ」
「…え…あ…宰相…?」
「ワゴンごと預かるわ。それと明日の朝さ、消化にいい朝食にしてもらえるかな?オーケー?」
「…は、はい…!」
ヴィーデの部屋から宰相が顔を出したことに狼狽した様子の給仕に、ついでにこれ、と言って汚れたヴィーデの軍服とコートを手渡す。
「洗濯頼むわ。じゃ」
軽く右手を上げてばたんとドアを閉める。ワゴンに乗せられたピッチャーからグラスに水を注ぎ寝室へ向かった。
「ヴィーデ、水。飲める?」
「………」
言葉は発さないが、口を小さく開いた。力の抜けた上半身に手を回し僅かに身体を起こし、その口元にグラスを添えてやる。
こぼれないように少しずつグラスを傾けて水を口に流し込むと、相当喉が渇いていたようで半分ほど飲んだ所で頭の力がかくんと抜けた。
もう一度体を横たえて、掛け布団を肩までかけてやる。
汗で額に張り付く髪をどけてやると、やはりかなりの高熱が出ているようだった。
アーデンはタオルを一枚手に取り軽く濡らし、それをヴィーデの額に乗せるとその上にさらに自身の右手を乗せた。
「今冷やしてやるからね…」
そう言うと、アーデンの右手から白い冷気が登り始めた。その手は真っ白に凍りついたようになり、触れたタオルをぐんぐん冷やしていく。
「………きもちいい…」
囁くような小さな声でヴィーデが言った。
普段からしっかりと訓練された軍人や、生き物ですらない魔導兵ばかりを目にしているため少々ヴィーデに無理を強いてしまったとアーデンは思った。
「こんなに弱々しいものだったっけなあ…人間ってのは…」
ヴィーデの胸元を見ると、その呼吸は浅く速い。明日は一日休みを与えて様子を見るしかないようだ。
薄暗い部屋でその寝顔を見ていると、こちらまで眠気に誘われる。ヴィーデの額に手を添えたままベッドサイドの椅子に腰を掛け目をつむりかけた時、部屋のドアノブが回る音がした。
「…なんだ?」
リビングへ行くと、ガチャガチャとドアを開けようとしているものがその外にいる。
「誰?ヴィーデはもう寝てるよ」
一瞬の間を置いて、足音が遠ざかっていく。
「…あの足音…カリゴ准将か。狸が…昼間の忠告が全く効いてないねえ…」
ふうと短い息を吐き、再び寝室へ戻る。幾分穏やかさの戻ったヴィーデの頬を冷えた指先で撫でると口元に緩やかな笑みを浮かべた。
「やれやれ…赤ん坊の世話してるみたいだ…」
そう呟いてもう一度額に手を乗せようとしたとき、ヴィーデの手がアーデンの指先をきゅっと握った。
その手はやはり熱を帯びている。
アーデンはその手をそっと握り返し、今度こそ椅子に腰を下ろして目を閉じた。
翌朝、カーテンから差し込む柔らかい光でヴィーデは目を覚ました。昨日まで酷く重かった身体は嘘のように軽く感じる。
ふとベッドの左側に目線を向けると、アーデンが椅子に腰かけたまま目を閉じている。寝ているようだ。
そこでようやく、ヴィーデはアーデンから伸びた手を握ったままであることに気が付く。
「……………」
なぜ自分はアーデンと手を繋いでいるのだろう。
力の抜けているその手をそっと外した時、アーデンがゆっくりと目を開けた。
「んー……あぁヴィーデ、起きてたんだ。どう調子は?」
「大丈夫です…ウソみたいに…」
「そいつは良かった。オレが一晩中看病したかいがあったかね」
「看病…してくれてたのね。ありがとうアーデン…ん?あれ…」
ヴィーデは自分が寝間着に着替えていることを知った。昨日は朝から帝国の軍服を着ていたはずなのに。
一体誰が?
アーデンの顔を見ると、どうしたのと問いかけてきた。
「あのね、私…昨日の記憶がほとんどないんだけど…魔導兵相手に剣を振っていて、だんだんとふらふらしてきて…それで、今寝間着でここにいるわ…」
「え?君何も覚えてないの?ちゃんとオレと話してたよ」
「…誰がここまで運んでくれたのかしら」
「ああ、オレオレ」
「着替えさせてくれたのは…?」
「それもオレ」
「…………」
ありえない、そんな目線をアーデンに向けた。
「いやいやいや、オレちゃんと君に許可取ったからね?覚えてないみたいだけどさ…だいたいあんな汗と泥にまみれた服着たままじゃあ治るもんも治らないでしょう」
「…どこまで見た…?」
「残念ながらほぼ見てない。下着替えてやろうかーって言ったら断られたからね」
無意識状態でもそこんとこはしっかりしてるんだから大したものだとアーデンは言った。
「…そう、ならいいけど…。迷惑かけちゃったみたいでごめんなさい」
「いや、それを言うならこっちの管理不足だわ。もっとここの環境に慣れさせてからにするべきだったよね」
悪かったねと言ってヴィーデの頭をぽんぽんと撫でた。
「今日は一日ゆっくり休んでもらって、体調を万全にして」
「うん。あー…身体がべたべた…シャワー浴びてきます」
「ああ、そうしておいで」
ゆっくりとベッドから降りて、バスルームへ向かう。体中の筋肉が軋むような痛みに思わず顔を歪める。
普段からの運動不足が祟ったとヴィーデは思った。
衣服をすべて脱ぎ足元の籠に放り込む。タンクトップを脱ぐと、なぜか下着のホックが外れていることに気が付いた。
これもあの男の仕業だろう。気が利きすぎだとため息が出る。
熱いお湯を頭から浴びると、ようやく気分がシャキッとした。体調を崩すなんて何年振りだろうかと考える。
一日も早くここでの生活に慣れて、兵士として外に出て行けるようにならなければ。
軍人になると聞かされた時最初こそ戸惑いはしたけれど、よくよく考えてみればその方がルシス王家、ひいてはフルーレ家に上手く近づけるはずだ。
身体じゅうの泡を洗い流し、シャワーの湯を止める。
籠からナイトワンピースを取り出し身に着け、頭を大きなタオルでがしがしと拭きながら寝室へ戻るとアーデンの姿がない。
なにやら話し声のするリビングの方へと向かった。
「アーデン、何を独り…言…」
「ああ、ちょうど今朝飯持ってきてくれたよ。昨日一度も食ってないだろう?さすがに腹減ったんじゃない?」
「…………」
給仕の女があんぐりと口を開けてこちらを見ている。
薄いナイトワンピース一枚だけ着た濡れた髪の女と、早朝からその部屋で朝食を受け取る宰相。
見てはいけないものを見てしまったと給仕の女の顔に書いてある。
「あっ…あの…!違うんです…これは…私夕べ体調崩して…その」
「…しっ……失礼しました…!!」
「ちょっと!!お願い待って…!」
ごゆっくりどうぞ、と叫び、逃げるようにして女はドアを閉めた。この状況は非常にまずいのではないかとヴィーデは呆然とする。
「ア、アーデン!これって…誤解されるわ…!」
「んー?何が」
「…だ…だって…私こんな格好で…宰相のあなたがこの部屋に朝からいるなんて…どう考えても…」
「こいつらデキてるって?」
楽しそうにそう言うと声を出してアーデンは笑った。
「笑い事じゃないわ!広まったらどうするの!」
「いいじゃないの。大いに広まった方がいいよ」
「私はイドラ皇帝のために連れて来られたという体裁なのに、それを宰相のあなたが先に手をつけたなんて噂が広まるのよ?」
濡れた髪をそのままに、ヴィーデはアーデンを睨んだ。何が起きても楽しそうにするこの男に少しだけ腹が立つ。
アーデンは床に落ちたタオルを手に取りヴィーデに椅子に座るよう促すと、背後から長い髪の水気を取り始めた。
「…もう…聞いてますか宰相?」
「聞いてるよー。だからさ、その方が君にとっては好都合なんだって」
「どういうこと?」
「夕べ、オレが君の看病をしてる時にさあ、来たよ…狸准将が」
「…え!?」
ぞわりと鳥肌が立った。カリゴ准将の顎のたるんだ肉を思い出し身震いする。
「…何をしにきたの…?」
「ノックもせずに無言でドアノブがちゃがちゃやってたからねぇ。声かけたら帰って行ったけど…オレがいなかったら、君どうなってたと思う?」
「……………」
「まだ諦めてないみたいだねえ彼…だからさ、ヴィーデがオレの手つきだって噂が広まった方がかえっていいわけ。さすがにオレの怒りを買うようなマネはできないでしょう」
部屋のカギは絶対かけようね、とアーデンは付け加えた。
「でも…私はそれで良くても、あなたの評判が下がるわよ?」
「オレの事なら心配ご無用。オレにとって軍の人間の評価なんて一切の価値はないからさ」
「…皇帝に…怒られたりしない…?」
「皇帝は、もうオレの裁量なしじゃこの国を保てないことをよーく分かってると思うよ?事実上、帝国の政治を取り仕切ってるのはオレだからね」
「アーデンは…この国を乗っ取るつもりなの?」
「んー…」
顎の無精ひげを軽く撫でて、どうしてそう思うの?とヴィーデに質問を返した。
「初めてあなたが私の村に来たときに言ってたわね。『立場上、今は皇帝には逆らえない』って…今はって言葉が、その時引っかかったのよ」
「あれー…オレそんなこと言っちゃってた?ちょっとうかつだったかねえ…」
「…それは別にいいんだけど…アーデンにとって不利益が及ばないかって思っただけよ」
「平気だよ。むしろ君がここであんな連中にベタベタ触られる方が不愉快さ」
洗いたてのヴィーデの髪から、ふわりとローズの香りが漂う。先ほどまで濡れて真っ直ぐだった髪は、水分を失うと毛先が緩やかなカーブを描いた。
光のあたる部分だけ銀色に輝く、不思議な色だとアーデンは思った。
「はいよ、乾きましたお嬢さん」
「…ありがとう…何から何まで…」
「そうだ、噂が嫌ならさ、事実にしちゃってもいいんじゃない?」
「………またそっちの話?」
「そっちの話」
「さて…朝ご飯食べよう」
こんなやり取りもだいぶ慣れてきた。
きっとこの国でヴィーデの味方はたった一人、アーデンしかいないのだろうと思った。
それでも、一人として守ってくれる人のいなかったあの村よりはよほどいい。
わざとらしく不貞腐れてみせるアーデンが、赤い羽毛のチョコボのように見えてヴィーデは声を出して笑った。
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