第9話

あれからひと月ほど過ぎる頃には、ヴィーデの戦い方も幾分まともなものになりつつあった。
誰に教わることもなくただひたすら毎日魔導兵相手に訓練を積み、身体に刻まれるあざの数が減りつつあるのはその腕が磨かれ始めた証だった。

とはいえ、あの日ヴィーデにトラウマを与えた戦闘特化タイプの新型魔導兵はあれ以来起動することは出来ずにいた。

「あぁー…疲れた…。さすがに休みなく毎日続けたらバテるわ…」

今日の午後は訓練を休み街に買い物にでも出かけてみようかと思っていた。
帝国へ来て以来、ただの一度も城内から出ていない。ここでの生活にもだいぶ慣れ、わずらわしかった給仕たちの噂もいつの間にかなりを潜めた。
アーデンがいなければ部屋の外に出ることさえ恐ろしいと思っていたヴィーデだが、ここ最近は一人で城の中をうろうろと歩き回ることも多くなっていった。

「よーし、シャワー浴びて外行こう。またねみんな」

無口な訓練相手にそう声をかけ、倉庫の扉を閉めその場を後にした。



ヴィーデの足音が消えた頃、倉庫前の揚陸艇の影から白い男が姿を現した。

「…いくらかマシになってきたようだな…そろそろ始めてやるか」






その日の夜、ヴィーデは自身の部屋に新たに加わったオブジェをうっとりと眺めていた。
美しい光沢をもった、細微な装飾が施された木製の箱である。それを開くと中には円盤状の板と先端に針のようなものが付いた管が見える。
音楽を再生する道具、電気式蓄音機だった。かなりの年代物で、いったいいつの時代に作られたものかは定かではない。

帝都グラレアを散策中、立ち並ぶ高層ビルの間の細い路地に立ち入った時に偶然入った骨董洋品店で見つけたものだった。
村にいた頃のヴィーデの自宅には、これよりもさらに古いゼンマイ式の蓄音機があった。
娯楽のない村で唯一ヴィーデが楽しみとしていたのは、蓄音機で音楽を聴くことだった。
こちらへ来るときにそれだけでも持ってくれば良かったかと後になってから後悔したので、全く同じものとはいかずとも、
これを見つけた時は非常に興奮しアーデンからもらってあった有り金をすべて使ってまで手に入れた。

肝心のレコードは、これもまた大変に古いもので一枚しか手に入らなかったが、しっかりと音楽を聴くことができた。
時折ブツブツと途切れるような音が混じるが、それもまた趣があっていいものだとヴィーデは思う。

「アーデンにも見せたいのに…そういえば一昨日から顔を見てないな」

宰相という立場なのだから忙しいのは当然だ。何しろ皇帝に代わり政務を取り仕切るのだから、各国とのやりとりもアーデンが担っているのだろう。
ヴィーデがこの宮殿でまともに会話ができるのはアーデンだけなので、ここ数日会話したのは魔導兵だけだ。もちろんほとんど独り言ではあるのだけれど。

「それにしても…こんな穏やかな時間にはワインが付き物よね〜」

そう呟いて、室内の小型ワインセラーを開く。ヴィーデがワイン好きだと知ったアーデンが置いてくれたものだ。
そこから一本の白ワインを取り出す。ラベルを見ると、テネブラエが原産国のようだ。棚からグラスを出そうとしたところで、部屋のドアがノックされた。

「ヴィーデ、オレ」

ドアを開けるとアーデンが立っている。ほんの数日顔を見ていなかっただけなのに妙に懐かしく感じた。

「なんだか久しぶりな気がする」
「あれ、そうかなあ?」
「丸二日会ってないわよ」
「んー、研究機関部でちょっと忙しくてねえ…さみしかった?」
「…うん…」
「やけに素直だね。じゃあ二日ぶりのハグを…」

両手を広げて近づくアーデンをすり抜けて、ハグなんてしたことないでしょとヴィーデが笑う。

「それより見て見て、これ」
「そいつは…、また随分古い蓄音機だね。買ったの?」
「これ知ってるの?今日ね、初めて街を歩いたの、一人で!小さい骨董品屋さんがあって、そこで見つけたのよ」
「ここまで年代物だと高かったんじゃないの?金は…」
「…全部使っちゃった……」

目を逸らしながらヴィーデが言う。かなりの金額を預けていたはずなのにとアーデンはため息をついた。

「ヴィーデ、けっこう浪費家?」
「ろ、浪費家じゃないわ!向こうではそれこそお金なんてほとんど使わない生活だったんだから!」
「あー、その反動かな…?」
「…と、とにかく…ノーミュージックノーライフ!人生に音楽は付き物なの!」

聞かせてあげる、と言いながら電気式蓄音機の針をレコードにそっと乗せる。
流れてきたのは少しだけ悲しげなスローテンポなワルツだった。弦楽器とピアノのみで構成された美しい四拍子。

「…へえ。いいね…」
「でしょ?もう少し明るい曲があればよかったんだけど、何しろこの蓄音機で再生できるレコードがこれ一枚しかなかったから」
「このレコードも相当な価値があるわけだ」
「………全部使っちゃった…」

先ほどと同じことを言った。

「まあ、ヴィーデが喜んでるならそれでいいよ。不自由のない生活をさせるって約束してあるからねぇ」
「もう少しレコード増やせたらいいんだけどなあ…どこかに売ってないかな」
「ところでさヴィーデ、ご機嫌なところ悪いんだけど…」
「なぁに?」
「イドラ皇帝がお呼びだ。一緒に来てくれる?」
「……え…?」

一瞬でヴィーデの体が冷えた。脳裏に初めて皇帝の顔を見た時の恐怖が蘇る。
それ以来こちらへ来てから、本来の目的も忘れてしまうほどそれなりに穏やかな日々を過ごしていたのになぜ急に…

「…な…なんでこんな夜に…」
「…まぁ、夜だから…かな」
「やっぱり…そういう事なの…ねぇアーデン、言ったよね?もうあんなことしなくていいってアーデンが」

すがる様な目で見上げるヴィーデに、アーデンは大丈夫だからと言った。

「何が大丈夫なの…!?姿を見ただけであんなに怖かったのに…大丈夫なわけないよ…!」
「落ち着けヴィーデ。大丈夫なんだよ、行けば分かるから。取りあえず着替えて、ね?」

小さな子供を宥めるようにヴィーデの背を撫でる。そしてクローゼットからシンプルなドレスを一枚手に取りそれをヴィーデに渡した。
俯いたままそれを受け取り、寝室でのろのろと着替えを始めた。

ここへ来たときに、すでに覚悟を決めたはずじゃないか。
全てを利用して、目的を果たすためならどんなことでもやると誓ったはずだ。
けれど、アーデンが大丈夫だと何度も言うから、もうあんなことをして生きなくていいなんて優しいことを言うから。

「…信じちゃったじゃない…バカ…」

考えてみれば、政治を任されているとはいえアーデンの立場はあくまでも宰相。
皇帝の言葉はなによりも重く最優先されるべきもののはずだ。いくらヴィーデを守ると言ったところでそこには必ず限度がある。

馬鹿なのは、浮かれていた自分の方だとヴィーデは思った。

「ヴィーデ、終わったね?」
「……はい…」

寝室の鏡の前に立ったまま小さく返事をした。
アーデンは鏡台の上に置かれている、自身がヴィーデに贈ったイヤリングを手に取った。

「ヴィーデさ、せっかくあげたのに、これ着けてないだろ」
「…だって、きれいなガラスだから割れたりしたら…」

そう言うと、アーデンはがっくりと頭を垂れた。

「オレが女にガラスなんてプレゼントすると思う?それ…ダイヤだよ」
「…ダ、ダイヤなの…?こんな大きい…」
「着けてよ、ね?」

そう言って、ヴィーデの耳たぶに初めて出会った日と同じように自ら着けてやる。
そして背後から小さな背中をを覆うように抱きしめた。

「ヴィーデ、オレを信じてくれる?」
「………………」
「側にいるって言ったのは嘘じゃないよ。大丈夫っていうのも、嘘じゃないから」
「…うん…」

本当は嘘つきだと言ってやりたかったけれど、アーデンの立場をくみ取って答えるしかなかった。
この人が悪いのではないと、ヴィーデは自分に言い聞かせた。




城が音を吸い込んでしまったのではないかと思えるほど、辺りは静まり返っている。
長い廊下には灯をともした燭台が等間隔で置かれ、炎が風に揺らめくたびに不規則な影を床に落とした。

「はい、ここだよ」

イドラ皇帝の寝室など、これまでも極限られた者しか入室したことのない場所だった。
ここから先で起こるであろうことを思うと全身が小刻みに震える。

「じゃあヴィーデ、オレは君の部屋で待ってるからね」
「…え…ここにいてくれないの…?」
「さすがにこの時間に皇帝の寝室の前に突っ立ってたらおかしいだろう。人に出くわしたら、出歯亀だと思われちゃうよ」
「……………」

さあ、と背中を押され、ヴィーデは寝室の扉からゆっくりと中に入って行った。



重く静かな音を立てて扉が閉まると、アーデンはそのままヴィーデの部屋へと戻って行く。
リビングへ入ると、ヴィーデが飲もうとしていたであろうワインボトルが目に入る。
グラスを二つ取り出し、ワインオープナーでコルクを抜きひとつに注いだ。

ソファに腰を下ろし、ポケットから超小型のワイヤレスイヤホンを取り出し小さなスイッチを押した。
それを右耳に入れ、ワインを一口流し込む。

すぐに床に響く足音と、ヴィーデの震える息遣いが聞こえてきた。浅く速い呼吸に、よほどの恐怖が伺える。

「ああ…怯えてるねヴィーデ。可哀そうに…」

思わず口元に笑みが浮かぶ。アーデンは彼女の笑顔が好きだけれど、初めてイドラ皇帝に謁見した際の怯えに満ちた表情もたまらなくそそられた。
自分がついているからと安心させて、この手で守るからと笑顔を見せて、けれどその手で怯える背中を押してやる。
さらに言葉で追い詰めた時の、逃げ場を失った小動物のような顔はアーデンの加虐性をくすぐるのだ。
どれもアーデンにとっては楽しい遊びのようなものだった。

右耳に聞こえる足音が止まった。皇帝陛下、とヴィーデの声がする。
かすかに布のこすれる音と、しわがれた小さな声がする。イドラ皇帝がベッドから身体を起こしたのだろう。

手を…

そう聞こえた。
一瞬息を飲む音に、ヴィーデの様子がありありと浮かぶ。おぞましい皇帝と暗く広い寝室で二人きりなんてこれ以上の恐怖もないだろう。
今日はあの日の様に、すぐに助けの手を差し伸べてくれるアーデンはいない。

「ちゃーんと側にいるよヴィーデ。全部、聞こえてるからね…だから、安心して」

万が一のことがあれば駆けつけるつもりではいたが、今の皇帝にはヴィーデを抱くことはおろかまともに立って歩くことすら難しくなってきている状態だった。
ルシス襲撃の日まではこれほどの症状はなかったが、クリスタルを帝国へ運び込んで以来悪化の一途をたどっている様子だ。

ヴィーデの言うような、相手に力を与える能力がどのようなものか定かではないが、それによってイドラ皇帝が再び実権を握るようでは都合が悪い。
アーデンにとってニフルハイム帝国は、ルシス王家への復讐の踏み台にすぎないのだ。

「…だいたい、オレだってまだ試してないのにあんな爺さんにくれてやるのは癪じゃないか」

そう呟いてワインをもう一口飲み込んだ。
そこからは、イドラ皇帝の一方的な会話が続くだけだった。しばらくすると、その声さえも途切れてアーデンの耳には一切の音が届かなくなった。

そろそろかと立ち上がりイヤホンを内ポケットへ戻す。部屋を出て、皇帝の寝室へと歩き出した。
すると、廊下の先から壁に手をつきながらふらふらとこちらへ歩いてくるヴィーデを見つけた。

ヴィーデ、と声をかけるとぱっと顔を上げて駆けてくる。両腕を差し出せば、そこにすがる様に倒れこんできた。

「アーデンっ…!」
「怖かったなヴィーデ…でも大丈夫だっただろう?」
「うん…何もされなかった…でも怖かった…話するだけだったけど、クリスタルがどうとか…良くわからなかったの…」
「どんな話をしたの?オレが聞くから、部屋へ戻ろう」

内容は全部、知っているけどね。

震える小さな肩を抱き寄せて、心の中でそう呟いた。






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