第6話

翌朝、ヴィーデは頭の中でガンガンと大きな金盥を叩かれているような頭痛で目が覚めた。
運ばれてきた食事に手を付けることもできず、異様に乾く喉を潤すために水ばかり飲んだ。

そんな状態のヴィーデを、アーデンは無慈悲な笑顔で強引に着替えさせ部屋の外へと連れ出した。
吐き気こそないものの、一歩二歩と歩く振動さえ脳みそに響くようだった。

「ヴィーデ、大丈夫?…でもなさそうだけど」
「……頭痛いです…」
「そりゃあね、あんだけ飲めば二日酔いにもなるよ。ほとんど一人で飲んでたじゃん」
「…今からどこへ行くんですか…?」
「昨日言ったろ?君は今日から軍に配属される。取りあえずレイヴス将軍と、三人の准将に会ってもらうよ」
「あー……」

すっかり忘れていた。深酒でむくんだ顔したまま顔を合わせて、そのまま訓練なんて事になりでもしたら第一印象は最悪だとヴィーデは思う。

「こ、怖い人たちですか…?」
「うーん…それはどうかなぁ。ヴィーデがどう受け取るか次第だよね。少なくともオレは、彼らを怖いなんて思ったことはないけど」
「そうですか……」

ただ…とアーデンは付け加える。

「レイヴス将軍。この男は食えないやつだから…まぁ、少しだけ気を付けな。少しだけね」
「…気を付けろって…」

何をどんなふうに気を付ければ害がないのかを教えてほしい。取りあえず、余計な口応えやおしゃべりは慎み、込み入った質問をされても適当に誤魔化す。
これで当面はやっていくしかないと思った。
適当に誤魔化す方法が、今の所さっぱり分かりはしないのだけど…。

「ところでさ、敬語なんて使わないでって言ったのに」
「部屋を出たら注意しろってアーデン宰相はおっしゃいましたよ。二人きりの時だけ、でしょう?」
「あー、そっか…うん、確かにそう言ったね。いや、でもいいねぇそういうの」
「何がですか?」
「ホラ、なんていうか…秘密の関係?みたいな」
「顔合わせの部屋ってどこですか?随分歩きましたけど」

アーデンの戯言を無視して歩みを早める。なんで無視すんのよという不機嫌な言葉を更に無視して進むと、長く続いた廊下の突き当たりに行きついた。

「ヴィーデ、こっちの部屋ね」

そう言ってアーデンは右方向を指さす。ドアの前に立ち、緊張から深く息を吐いた。
ニフルハイム帝国の将軍と言うほどなのだから、さぞ恐ろしい風貌で厳しい人間なのだろう。
村を出るまでこの国の詳細は知らなかったが、時折出会う旅人からその評判は耳にしていた。
どれもおおよそロクなものではなかったとヴィーデは記憶している。

行くよとアーデンが声をかけドアを開いた。ヴィーデは無意識にその大きな身体の背後に身を隠す。

「遅いご到着で、アーデン宰相」

ドアが完全に開ききる前にそう声がした。

「いやぁ悪い悪い、待たせちゃった?この子がさ、二日酔いだったもんでね」
「…っちょ…」

なぜ本当のことを言う。

「二日酔いだと?随分といいご身分のようだ…」
「そりゃあね、皇帝陛下直々のご命令で連れて来たお嬢さんだよ?大事にしないとねえ…」

そうだよねヴィーデ、と声をかけられ、アーデンの右腕の影からおずおずと顔を出す。
目に入ってきたのは三人の男だった。

一人は細面で長身の男だった。肌も髪も白い。雪でできた狐のようだと感じた。左腕を覆っている厳めしい器具は鎧の一部だろうか。
そこから少し離れた場所に立っているのは、ごつい甲冑を身に着けた、小太りの中年。メディクスの飼い犬の餌を盗みに来ていた太った狸によく似ていた。
最後の一人は女の子のような顔立ちの、まだ若い少年のような風貌だった。隣に立つ狸と同じような甲冑を纏っているがどうにも似合っていない。

「紹介するよ。この子が噂の、名もなき村のヴィーデ。ヴィーデ、こちらの白髪の青年はレイヴス将軍。隣はカリゴ准将とロキ准将…っと、アラネア准将は?」
「今日は出勤日に入っていなかったそうで…まったくこれだからたかが傭兵は…」
「ふーん、そっか。まあいいさ。もう一人、女性の准将がいるからね。まあそっちはいずれってことで」

女性の准将がいるのなら、ぜひ顔を合わせておきたかったとヴィーデは思う。同性の顔見知りは一人でも多い方がいい。
今の所、給仕の女性たちとしか話したことがない。話すといっても、一方的にヴィーデが話しかけただけだけれど。

「ヴィーデはこの先レイブス将軍から軍のことを勉強してもらうことになるからね。訓練も彼が…」

アーデンが言いかけた時、レイヴスは素早い動きで左腰に差した細身の剣を抜きヴィーデの喉元に突き付けた。

「!?」

触れてもいない切っ先の冷たさが、ヴィーデの細い首に伝わる。喉を逸らしたままの数秒間が随分と長く感じられた。
それからレイヴスは剣をしまい、アーデンに視線を向けて言った。

「全くの素人…ということだな。話にならん」
「おいおいレイヴス将軍…随分な歓迎じゃないの?優しくしてやってよ」
「最低限の体力と剣術を身に着けたら、オレが直々に教えてやる。それまで当分、その娘の稽古の相手は魔導兵で十分だ。忙しいので失礼する」

そう言い残すと、通り過ぎざまヴィーデをちらりと横目で睨みつけそのまま部屋を出て行った。
額に浮かんだ冷や汗が、首筋へと流れ落ちる。

「相変わらずだねぇ彼も…大丈夫?」

アーデンは動けないままのヴィーデの顎を少しだけ上に向け、傷の有無を確かめた。

「ところで…ヴィーデとやら。ここニフルハイムへ呼ばれた理由は聞かされているのだろう?いつ空いている?」
「なんで?」

カリゴの問いに答えたのはアーデンだった。

「何故とは?宰相もご存じのはず。この娘の持つ力を軍で共有することを陛下はお許しになったのですよ」
「…あぁ?」

ひときわ低い声で短く言った。その顔からはつい先ほどまでの笑顔は全くない。

「それってさぁ、つまりアレかなあ…この子を君たちの間で回すって…そういう事?」
「今や軍を指揮する部隊長は貴重な存在。グラウカ元将軍が鬼籍に入られた今、残された我々が長くその力をふるうことが求められる」
「…いやはや…ゲスだねえ…」

極めて品がない、呆れたようにアーデンが言う。

「そんなことさせるわけがないだろう?娼婦じゃないんだからさぁ」
「…しかしアーデン宰相、あなたは軍への指揮権はお持ちでないはず」
「ヴィーデは今日付けでニフルハイム帝国軍部の軍人になった。その誇り高い任務に就く人間が、内部で身体を売るようなマネしてるなんて帝国の沽券に関わるよ。その問題は軍内でとどまるかねぇ?皇帝陛下に変わり内政を任されているオレが許可しない…」
「…なっ…何を…」

白い歯をむき出してなおも食って掛かろうとするカリゴを残し、アーデンは行くよと言ってヴィーデを連れて部屋を出た。

「待たれよ…!」
「…なに?まだ何か用?」

カリゴはヴィーデの手首を掴み行かせまいと尚も食いつく。手甲ごしに握られた部分が生ぬるく酷く気持ちが悪かった。

「宰相殿…この娘、随分と貴殿に懐かれておられるようだが?よもやすでにお手つきか…」
「んー…もしそうだとしたら何だっていうのかな?」
「…力を…永遠の命を独り占めされるおつもりか!」
「ははっ……永遠の命ねえ…」

軽く笑って、くだらないと小さな声で呟く。そこにどれ程の苦痛が伴うかも知らずによく言ったものだと思った。
終わることのない時間の中で増幅する憎しみと焦燥感はとどまる所を知らない。
幾度も気が狂うほどの思いをし、それでもたった一つの復讐心にすがって今日この日まで生きてきた。
目の前にいる狸のようなこの男など、アーデンにとっては昨日今日生まれたばかりの赤ん坊と同じなのだ。

「オレさ、そういうのには全然興味ないんだよね。その手、放してくれる?」

そう言ってカリゴの右肩を力強く掴む。骨がみしりと音を立てるほどの痛みでカリゴは苦痛に顔を歪め、ヴィーデの腕を解放した。
背を向けて立ち去ろうとするアーデンの背中に向かって負け惜しみとばかりに言葉を吐いた。

「アーデン宰相…!このことは皇帝陛下にご報告させていただく!」
「ご自由に…」

そう言って、カリゴを振り返ることなく右手をわずかに上げた。







「悪かったねぇヴィーデ。気分悪くしたろ?」

ただでさえ二日酔いなのに、とアーデンは言った。

「いえ…私は別に。ああいうのは慣れてるから…でも貴方は」

言いかけると、アーデンは歩みを止めてヴィーデの頭に手を置きまっすぐ前を見据えたまま、そんなものに慣れなくていいと言った。

「君のいた村とここは違う。昨日も言ったけどさ、もう別の生き方が始まってるんだよヴィーデ」
「…でもあの狸みたいな人、皇帝に言うって…」
「狸…!オレもさあ、カリゴ准将を狸そっくりだなーってずっと思ってたんだよねぇ」

そう言って笑った。

「大丈夫だよ、彼は告げ口なんてできやしない」
「…本当かしら…」
「言ったろう?オレには君ひとり守るには余りあるほどの権力を持ってるってさ」
「……うん…」
「だからさ、その辺は心配ない。それよりどう?あの連中の印象」

そう問われて、まだ名前と風貌が一致していない彼らを思い浮かべる。

「あの人はなんだか…かなり怖い人ですね。名前、何だったかしら…白い狐みたいな人。突然剣を突き付けて…殺されるのかと思った…」
「白い狐、うん、レイヴス将軍だね。少し気を付けろって言ってたのは彼の事。生真面目で融通利かないし冗談も通じないんだこれが…でも、相当強い男だから」
「あとは、太った狸みたいな…なんだかいやらしい顔の…正直触れられて鳥肌立ったわ」
「カリゴ准将ねぇ。さっきの様子だと、彼も要注意人物かもな」
「あとは、随分可愛い顔した、子犬みたいな男の子?一言も喋ってなかったけれど」
「ロキ准将。あの歳で准将にまで上り詰めるくらいだからね、才能も野心もたっぷりって感じかなあ」

それにしても、とアーデンは付け加える。

「全員動物で例えたわけ?いや、すごーく的確だったけどさ…ちなみにオレは?」
「何?」
「オレは、ヴィーデの目にはどんな風に映るのかな?」
「アーデンは…」

少し前を歩くアーデンを見た。強い光が左右の大きな窓から差し込み白い床に反射し、その姿をまるで神聖な者のように飾り上げる。
僅かに体を斜めにしてこちらを向き、口元に笑みを浮かべたその姿はまるで―

「アーデン…どこかの国の…王様みたいだよ」
「…え…?」

どこかの国の王様。ヴィーデはアーデンをこう例えた。

王として認められず、そればかりか王家から命を奪われその復讐のためだけに生きている自分を王のようだと言うのか。
何も知らないヴィーデの、無垢な皮肉に思わず伏し目がちになった。

「…ヴィーデ…君は優しいね。優しくて、残酷だよ…」

小さな声でそう言った。

「何?…聞こえない…」
「いや、何でも…さ、行こうか」
「…あ、待って!」





アーデンに連れて来られた場所は、とても広い倉庫のような場所だった。
驚いたのは、壁を埋めるように置かれた大量の魔導兵たち。みな同じように真っ黒ではあるが、よく見るとそれぞれデザインが異なるようだ。

「みんな、動いてないのね」
「ああ、こいつらは指示があるまで動かないし、再び指示されるまで止まらない。それこそ、壊れるまでね」
「………壊れるまで…」

不気味だけれど、人型なだけに気の毒な思いを拭いきれない。
なんだか可哀想、とヴィーデは呟いた。

「でもさヴィーデ、良く考えてみなよ。こいつらが開発される前までは、生身の兵士を使う他なかったんだ。魔導兵を導入してからは、人間の兵士を使う数が格段に減ったんだよ」
「…でも…そもそも戦争なんてしなければいいのにね…」
「…あー…それ言っちゃう?」

そう言って、困ったように笑いながら後ろ髪を掻いた。

「ここにいる魔導兵ね、それぞれレベルが違うんだよ。あっち側にずらーっと並んでるやつが一番低レベル。んで向こうに行くにつれて戦闘能力が高く作られてるってわけ」
「そ、そうなの…」
「んでこいつがね」

アーデンがパチンと指を鳴らすと、ひときわ地味な作りの魔導兵がゆらりと動き出した。
それはアーデンの側まで来るとぴたりと動きを止めた。

「これは、初期訓練用の魔導兵。さっきさ、レイヴス将軍が言ってただろう?基礎訓練は魔導兵相手にやれって。冷たいなあなんて思ったんだけどさあ、多分その方がヴィーデにとっては楽だと思うんだ」
「え?なに?待って、今から?」
「もちろん、はいコレ」

アーデンが腕をひと振りすると、その手には小型の剣が握られている。一体どこに隠し持っていたのだろうか。

「はいこれって言われても…わ、私剣の振り方なんて知らないのに!」
「大丈夫大丈夫。こいつらはただ君に向かって来るだけ。攻撃はしかけてこないよ。取りあえず今日の所は、片っ端から破壊してみようか」
「無理よ!私…」
「平気だって、いいか?こうやるんだよ」

そう言うと、アーデンは剣を握らせたヴィーデの腕を背後から握り、目の前の魔導兵の首めがけて思い切り振り落した。
あっけなくゴロンと床に落ちた魔導兵の首を見て、ヴィーデはきゃあと悲鳴を上げた。

「ご、ごめんなさい…!!ああ…首が…!」
「こいつらはさ、関節部分がもろく作られてるからそこをめがけて、ね?草刈りの要領でさ」
「ね?って言われても…!」
「んじゃあ、オレちょっと用事あるからさぁ、戻ってくるまで頑張ってね」
「え!?ま、待ってアーデン!!一緒にいてくれるんじゃないの!?」

複数の魔導兵に詰め寄られ、もがきながらヴィーデが叫ぶ。

「心配ないよ、あの狸将軍が来れないようにちゃんと鍵かけておくから」
「…え…?そ、それじゃあ…」

ここから逃げたくても逃げられないじゃないか。

「じゃあ後でねヴィーデ。オレが戻ってくるまで、ちゃんと稽古に励むんだよ」

そう言い残し、魔導兵に埋もれるヴィーデに手を振りながら扉を閉めた。
戻るまでに何体の魔導兵が床に倒れているだろうか。

倉庫から聞こえるヴィーデの罵声に声を出して笑い、アーデンは待機させていた揚陸艇に乗り込んだ。



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