第5話

それからヴィーデは深い眠りにつき、目を覚ましたのは夜の帳が降りてからだった。
生まれて初めて村を出て、見たこともない乗り物に乗せられ、さらに大国の皇帝と顔を合わせるという大事が続き心身ともに疲れ切っていた。

ゆっくりとベッドを降りて窓の外を眺める。夜だというのにこんなにも明るい。
あちこちで黄色や赤の電灯が灯され、宮殿から見下ろす街には多くの人々が夜を楽しんでいるように見えた。

ヴィーデが生まれ育った村は夜の7時も過ぎれば辺りは真っ暗になり、まばらに建つ家からオレンジ色の灯りがぽつぽつと見えるだけだった。
娯楽もないのだから、外を出歩く者など一人もいない。

「…また村のこと考えてる…」

そう呟いてカーテンを閉める。
ふとリビングのテーブルを見ると、ここへ連れてこられる際持ってきたざるがそのままになっていることに気が付いた。
薬草は水分を失いしおれ、茶色く変色していた。

このまま陰干しにして乾燥させれば薬が作れるかも知れない、と思ったところで息を吐いて頭を軽く振る。
村から持ってきた物などここではもう必要ない。こんなものをいつまでも大事に取っておくから幾度も思い出すのだ。

ヴィーデはざるの中身を室内のゴミ箱に捨てた。

「…お腹空いたなあ…」

村を出たのが昼前。それから口にしたのはコップ一杯の水だけだった。
ここでの食事はどうすればいいのだろうかと考えた直後、部屋のドアがノックされた。

「はい…」
「ヴィーデ様、夕食をお持ちいたしました」

女の声がした。なんというタイミングの良さだろうとヴィーデは感心した。
ドアを開けると、給仕の女が一礼し食事の乗ったワゴンをガラガラと押しながら室内へ入ってきた。
風呂の世話をしてくれた給仕と似ていたがよくよく見ると違う女だった。
髪型も衣装も同じなので見分けがほとんどつかない。

女がリビングのテーブルに食事を並べ終えると、

「何か御用がございましたら、そちらの受話器をお取りください。給仕室へ繋がりますので」

と言った。示された方の壁を見ると、確かに受話器が取り付けられている。

「お食事が済みましたらワゴンをお部屋の外へお願いいたします」

そう言って一礼し、部屋を出て行こうとするその女に、

「ありがとうございます、頂きます」

と礼を述べた。給仕は一瞬だけ僅かに驚いた顔をこちらへ向け、失礼いたしますといい残し部屋を後にした。
テーブルを見ると、見たことのないほど美しい食器の上に、見たこともないような料理が乗っている。

「な…なんだろうこれ…すっごくいい匂い…」

椅子に座り、ナイフとフォークを手に取る。黄金色のソースがかかった白身魚のようだった。
一口大に切り頬張る。魚の甘みと、甘辛く香ばしいソースが口いっぱいに広がった。

「…んん!美味しい…!」

主食に副菜、メインディッシュ。どれもこれも美味しくて、運ばれた料理は10分もかからずに空になってしまった。

「…んー…足りない…ていうか、なんでこんなに大きなお皿にこんなちょびっとしか乗せないのかしら…」

人間というものは、どんな境遇にあっても腹は減るものなのだと実感する。逆に言えば、腹が減る元気があるなら大丈夫ということなのかもしれない。

「それにしても、お部屋にご飯を運んでもらえるみたいで助かったわ…あの皇帝や後ろに立ってた怖そうな人たちと食べるなんてことだったら食欲なくなるもの」

そう呟いて両手を上に伸ばし伸びをする。腹が膨れたら少し元気が出てきたようだとヴィーデは思った。

「これで美味しいワインでもあれば最高なのにな」

そう言って少しだけ笑った。さすがにそれは要求できないだろう。
そう思った時―

「ヴィーデ、オレ」

アーデンの声がした。ドアを開けると、どうかなと思って、と言いながら掲げた手にはワインが握られていた。

「…え?」
「ん?」
「…っちょ…ここ、監視カメラでもついてるんですか…?」
「…何言ってんの?」




部屋にアーデンを通し、先ほどからあまりにもタイミングの良すぎる待遇に監視を疑ったと告白すると声を出して笑った。

「いやいや、さすがにそこまでしないって。だってホラ、さっきオレここで皇帝を爺さん呼ばわりしたろ?」
「あ…まあそうですけど…」
「ここでは自由にしてもらっていいよ。部屋を一歩出たら、少しだけ注意が必要だけど…」

そう言いながら、器用にワインを開けて二つのグラスへ注ぐ。やや黒味のかかった血のような色だ。

「…注意が必要って…どういうことですか?」
「ま、飲みなよ。美味しいよこれ」
「……はあ…」

大きなワイングラスに口を付けごくりと飲み込む。
しっかりとしたタンニンのコクと、それとバランスの良く取れた酸味。口当たりはやや重めだが呑み込んだときに鼻を通る香りはとてもフルーティだった。

「…いい…ワインですねこれ…」
「あ、分かる?君の故郷でもこういうの飲むの?」
「ええ、村の近くにブドウ畑があったから作ってましたよ。売るわけでもないから量も少ないし、こんなに丁寧な味はしないけど美味しかった」
「へえ…」
「ワイン用のブドウが収穫期を迎えると、村の娘たちが大きな桶の中でブドウを踏むんです。その時何か歌を歌ってたっけ…村中ブドウのいい匂いがして…」

そこまで話して、ヴィーデはアーデンの視線に気が付いた。

「…ヴィーデ、村に帰りたくなっちゃったかな?」
「…か…帰りたくなんて…!」

そう言ってごくごくと残ったワインを飲み干す。口元に付いたそれを手の甲でぐいっとぬぐった。

「おいおい…!ワインの一気飲みは危険だよぉ。せっかく美味いの持ってきたんだから、時間かけて楽しまなきゃ」
「分かってます……きっとまだ、村を出て一日も経っていないから…」
「そうだね、少しすればそんなこと思い出す暇もなくなるさ」
「…?…そういえばさっきの、注意が必要って…」

そう言うと、アーデンはヴィーデのグラスにワインを注ぎ足しながら言った。

「残念なお知らせです」
「え…?」
「君、明日から軍に配属されることが決定した」
「……なに…?ちょっと待って…私が軍人になるっていうの!?」
「そういう事。ま、ちょっと落ち着いて」

思わず椅子から腰を浮かしたヴィーデを制するように右手をかざす。

「ヴィーデを軍に置くのは、恐らく地位を与えてここから逃げられなくするためじゃないかなーってオレは思ってるんだよねぇ。帝国軍人としての肩書を背負ったまま他国へ逃げることはできないからね」
「…べ、別にそんなことしなくても私は…」
「うん、逃げたりしないだろうね。オレもそう思ってるよ?でも連中はそうじゃないってことね。そういう意味で注意が必要ってことさ。ここの皆が君の味方ってわけじゃない。そんなこと提案したバカは大体の見当はついてるが…イドラ皇帝がイエスと言ってしまったからねえ」
「アーデンさん…私、戦ったことなんてただの一度も…」

あの村では銃器の類は一つもないし、もちろん扱えるものなど一人もいなかった。
武器になりそうなものと言えば雑草を刈り取るときに使う小さな鎌くらいだ。

「これから訓練を受けることになると思うよ。気の毒だけどね…だから残念なお知らせってわけ。ああそれと、アーデンでいいよ。「さん」はいらないから、二人きりの時は。それと堅苦しい敬語もなしにしよう」
「…アーデンさ…アーデンが私に訓練を付けるということはできないの…?」
「オレが取り仕切ってるのは、政府首脳部と研究機関なんだ。軍を任されてるのはグラウカ将軍…ああ彼はもういないから、レイブス将軍か。この男の元で動いてもらうことになると思うよ」
「…………」

まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。さっきまで呑気に美味しい食事に浮かれていたのが馬鹿みたいだとヴィーデは思った。

「ああでもね、安心してほしいことが二つ」
「…?」
「今うちの軍でのメイン戦力は魔導兵だから、そうそう人間の兵士が先陣切って戦うってのはない。多分君も、基本的な戦闘力がついたら魔導兵を従える准将クラスになるんじゃないかな」
「…そうなんですか?」
「それくらいのポジションを与えなけりゃ、軍人としてヴィーデをここに縛り付けておくことはできないよ」
「も、もう一つは…?」
「もう一つは…」

アーデンが顔をぐっと近づけて笑顔を作った。

「可能な限り、オレが君の側にいる」
「!」
「だって考えてもみなよ。そもそもヴィーデがここへ連れてこられた本来の理由。危なくて一人にはさせられないねえ」

ヴィーデの能力に誤解があることを知ったらどうなるだろうかと考えた。
村に帰されるか、最悪無用な者として処刑されるかもしれない。そもそもここへ連れてこられたことは千載一遇のチャンスだったはず。
ならば皇帝の後ろ盾を最大限に利用して目的を達成することを最優先にしなければとヴィーデは思った。

「…ありがとう…アーデン」
「どういたしまして。まぁオレもそのうち君からもらうから」
「何を…?」
「ヴィーデの力を?」
「……また言ってる……」

呆れたようにわざとらしくため息をついて、今度は手酌で自身のグラスにワインを注ぐ。

「でもオレは、見たとおり紳士だからねぇ。君のナイトを務める交換条件として寄こせなんてことは言わないから」
「紳士ですか……。ならその紳士はどうやって私から力をもらうのかしら」
「…口説いてみせるよ、その時はね…」

そう言って、アーデンは片方の眉を上げて見せた。

不覚にも、ヴィーデの心臓がドキリとなった。この男はどこまでが本気でどこからが冗談なのかが非常にわかりにくい。
掴み所のない調子の良さを見せたと思ったら、鋭い観察力と有無を言わせない言動で人を追い詰める。
そして突然、今の様に男として意識させるような表情と声色でヴィーデを惑わすのだ。

「…変な人…!」

がしっとワインボトルをつかんで直にラッパ飲みをした。こう見えて酒には強いのだ。
アーデンに制止されてボトルを取り上げられた頃には、ほとんど空になっていた。


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