第2話

アーデンに手を引かれ乗り込んだ空飛ぶ箱の内部は思いの外広かったが、座席らしいものはあまりなく内側まで真っ黒だった。
なぜこんな物が空を飛ぶのか…幼いころに読んだ本に描かれていた飛行機とはだいぶ様子が違う。

機械仕掛けのような兵士たちはみな壁沿いに立ち物ひとつ言わない。時折不自然に動く頭部が非常に不気味だった。

「さてと、んじゃあ到着までくつろいでてね…って言ってもお茶が出てくるわけでもないんだけどさ」

アーデンが微笑みながら言った。

「取りあえず座ってもらってと…あー、念のため君はシートベルトつけとこうか。こんな乗り物、慣れてないだろ?揚陸艇っていうの、知ってる?」

そう言いながら、お世辞にも座り心地がいいとは言えない固いシートに座らせられ、がちゃがちゃと肩からたすき掛けをするようにベルトを締められた。

「どう?大丈夫かな、痛くない?」
「はい…」
「…あれ?それ、持ってきたんだ。っていうか、手荷物それだけでよかったの?」
「…あ…」

先ほどまで摘み取っていた薬草を入れたざるを持ってきていた。見知らぬ地に連れ去られるというのに、大事そうに持ってきたのがこんな思いれのない物だなんて。
いや、そもそも思いれのある大切な物なんてただのひとつだって持っていないはずじゃないか。

ヴィーデは自嘲気味に笑った。

「こう言っちゃあなんだけどさ、多分、もうあそこには戻れないと思うよ。まぁ慌ただしく連れ出したオレが言うのもなんだけど。」

今なら戻れるけどどうする?と床に膝をつきながらアーデンが言った。

「いえ、大丈夫です。これだけで」
「……あそ」

ふうと鼻から短い息を吐いてアーデンは立ち上がった。
このヴィーデという女の、やけに落ち着き払った様子に違和感を覚える。
無駄に騒いで相手の怒りを買うのを避けるため、と考えれば納得はできるがどうもそれとは違うようだった。
初めてヴィーデを目の前にした時の、穏やかにも強い意志と覚悟を感じさせる瞳は何だったのだろう。

揚陸艇に乗り込んで以降目が合うことはなく、今も大きなざるを抱えた女は顔の幅ほどしかない小さな窓から外を眺めていた。
一見するとどこにでもいるような女だ。イドラ皇帝が欲しがるほどの価値がどこにあるのかがわからなかった。

帽子を脱ぎ髪をがしがしとほぐしてから、もう一度膝をつき、目線をヴィーデに合わせる。

「まあでも、心配しないでね。君の住む部屋も必要な物も全部こっちで揃えるから。欲しいものあったら遠慮なく言って?」
「わかりました…」
「…あー…元気ないなあ。ってかまあ、無理もないよねえ。突然知らない人たちに連れて行かれるんだもん。やっぱ村が心配でしょ?」

ヴィーデが村を案じ、そして恋しがっている風ではないということを理解した上でそう問いかける。

「村は……別にいいんです…」
「えっとー、家族は?」
「いません」
「んー、じゃあ恋人とか?」
「いいえ」

手元のしおれ始めた薬草をいじりながらごく短い返答をする。相変わらず視線は交わらない。
おびえている様子は感じられず、なお言葉数が少ないのは、自身の情報を相手に渡したくないから。
表情がないのはそこから何かを悟られるのを避けるため。

今日アーデンらニフルハイム帝国の人間が名もない村にやってくることは知らなかったはず。
まるで村から連れ出されたことを好機と捉えているようにも見えるヴィーデの様子に、アーデンは右目をわずかに細めた。

「ねえ…あの村長さんさ、君を村の守り神だって言ってたね。君は村でどんな役割だったのかなぁ?」
「………!」

緩んでいた目元の筋肉が、一瞬引き締まるのをアーデンは見逃さなかった。

「それともー…あの村の人たちが君に何かしていたのかなあ?」
「……いえ……あの……」

ほんの僅かだが目線が揺らいだ。
ヴィーデが連れ去られることを、殊の外嘆いていたのは村の男たちのようだったとアーデンは記憶している。

イドラ皇帝が喉から手が出るほど欲しがる田舎の女と、その「不思議な力」。
ヴィーデを使って何をしようとしているのかはいまだ定かではない。

(なんだろうな…利用されるのは、ひょっとしてオレたちの方だったりして…)

口元を真一文字に結んで、いよいよ真下を向いてしまったヴィーデに、最後の質問だからと声をかける。

「あと一個だけ。君さ、あの村から出られて……良かったと思ってるよね…?」

その問いに、ヴィーデはゆっくりと顔を上げた。ようやく視線がぶつかる。大きく見開かれた瞳は言葉など必要としないほどに、アーデンの疑問を肯定してた。

「…ええ、せいせいしてるわ…」

小さいけれど、はっきりとそう言った。
捉えたはずの女に、捉えられているかのような錯覚を覚えたアーデンはたまらなく嬉しくなった。

色々と聞いて悪かったねと言って立ち上がり、操縦席の方へと歩き出した。
途中、顔だけ僅かに後方へ向け、

「いいねえ…君、いい女だ」

と呟いた。




それから程なくして、ヴィーデを乗せた揚陸艇はニフルハイム帝国上空へと到着した。
想像を絶するほどの巨大な都市。多くの人々。
村から出ることのほとんどなかったヴィーデにとって、機械文明の発達したこの国は絵本の中の世界のようだった。

宮殿を目の前にし、まさに開いた口が塞がらないといった様子のヴィーデにアーデンは苦笑した。

「なんだかやっと、素の君を見られたみたいでホッとしたよ。あんまり大きいんでびっくりした?」
「は…はい…お城みたい…」
「うん、お城だもん」

そう言って、アーデンはいよいよ声を出して笑った。
恥ずかしそうに薬草の入ったざるをぎゅっと抱えるヴィーデの頭にぽんと手を置き、

「さてと、皇帝にお目見えする前に君に使ってもらう部屋へ案内しよう」

と言った。そしてアーデンらを出迎えるようにずらりと並んでいる宮廷の使いのような者達の方を指さし、頼んだよと一言言うとそのまま城の中へと姿を消した。
アーデンがその場からいなくなると、あの不気味な魔導兵と呼ばれる者たちもいなくなった。

相変わらず口を開けたままでいると、給仕と思われる一人の女がヴィーデの目の前で膝を僅かに折り曲げ頭を下げた。

「こちらへどうぞ。お部屋へご案内いたします」
「………はい…」

召使なのに私よりもずっと綺麗な服を着ているなあと、ヴィーデはそんなどうでもいいことを考えてしまった。



通された部屋は、それこそおとぎ話に出てくるお姫様が使いそうなほど絢爛豪華なものだった。
リビングだけでヴィーデの住んでいた一軒家よりも大きい。足元の敷物は、身体がわずかに沈み込むほど柔らかく、ゴシック調の家具はいちいち細部まで繊細な彫刻が施されている。
テーブルや椅子の脚は猫の後足の様に緩やかな曲線を描いて、今にもひょこひょこと歩き出しそうだと思った。

部屋全体は淡いブルーで、調度品もそれに合わせた色合いとなっていた。天井にはりっぱなシャンデリアが取り付けられており、あれが頭上に落ちてきたら即死だなどと考える。

この部屋の中で自分だけが異質だと感じ、ざるを持つ手に力が入ってしまう。

「ヴィーデ様、ご入浴の準備が整っておりますのでこちらへ」
「入浴…ですか?」
「はい。アーデン宰相からお手伝いをするようにと仰せつかっております」

さいしょう、最小…宰相?
あの飄々とした男が、この国の宰相だというのだろうか。堅苦しさとは無縁とも言えるあの男が。

「さ、宰相…さんなんですか、あの人…」
「左様でございます。さあ、こちらへ」

先ほどから一切顔を上げずその表情をほとんど見せない給仕の女に促され、連れてこられた風呂場はやはり無駄なほど広い。
足元は美しい大理石が敷き詰められており、その上に置いてある浴槽は部屋の調度品と同じように走り出しそうな脚がついている。

と、給仕の女はおもむろにヴィーデの衣服を脱がせ始めた。

「え!?っちょ…あの!?」
「何か?」
「何かって……えと、ひ、一人で入れますから…大丈夫です」
「お手伝いをするようにと仰せつかっておりますので」

先ほどと同じ台詞を繰り返す。あれよあれよという間に衣服をはぎ取られ泡立った浴槽に入れられた。
給仕の女はヴィーデの背後からその頭髪を慣れた手つきで丁寧に洗っている。
この女にとってはこのような仕事は日常なのだろうけど、ヴィーデの常識はそれに全くついていけないでいる。
身体も隅々まで洗われ、ようやく風呂から出られたところで素っ裸のヴィーデに籠から取り出した衣服を着せ始めた。

それくらい自分で…と言おうとしたが、お手伝いをするように仰せつかっています、としかきっとこの女は喋らない。

真っ白い、非常に手触りのいい光沢のある布地でできたドレスだった。
身体のラインに沿うようにデザインされたそれは、ヴィーデのために作られたかのようにサイズはぴったりだった。

着替えが終わると鏡台の前に座らせられ、髪を丁寧に結い上げられていく。
化粧も施され、真珠の二連ネックレスまで巻かれ仕上げに耳の裏辺りにコロンをひと吹きされた。

一切無駄のない流れるような作業が終わるころには、鏡に映る人物がどこの誰だかわからなくなるほどだった。
女は「作られる」ものだということをヴィーデは実感した。

「あ…あの…どうしてこんな恰好を…」
「この後、イドラ皇帝陛下と謁見いただきますので」
「…そ…そのために…?」

ヴィーデがそう呟くと、鏡の中で給仕の女と目が合った。
その目は、あんな薄汚い恰好で皇帝陛下と顔を合わせるつもりだったのか?となじられているようにも思えた。

「間もなくアーデン宰相がこちらへお迎えにあがります。紅茶をご用意しておりますので、それまでおくつろぎ下さいませ」

抑揚のない声でそう言うと、その女は足音を一切立てずに部屋を後にした。
リビングのテーブルを見ると、なるほどティーポットとすでに紅茶の注がれたティーカップが置いてある。

「…あの人、ずーっと私の世話をしていたのに…いつこれを用意したのかしら…」

別の給仕がもう一人来て用意していったのか。いや、他の誰かがここへ来た気配は感じられなかった。
謎だ…と呟いて紅茶を一口すする。

「…わあ…美味しい…」

渋みはほとんどなく、どこかバラを思わせる香りがした。
村では庭で育てたハーブを乾燥させてそれをお茶として飲んでいた。繊細な味などしない。けれどヴィーデはそのハーブティーが好きだった。

もうあの家に戻ることはないのだから、きっと庭の薬草もハーブもすぐに枯れるだろう。
村の誰かが世話をするとは到底思えない。

「でも…薬草は村に必要な物だからメディクスさんが世話してくれるかな…」

そう独りごちて、ヴィーデは頭を軽く振った。
もう考える必要はない。あの場所は自分にとって忌まわしい思い出しかなかったはず。
やっと出られたんだ、もう二度と戻らない。

ティーカップの底に残った紅茶をぐいと飲み干したとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
宰相であるというアーデンが来たのだろうか。

「…はい…」
「オレだよオレ、アーデン。準備できたかなぁ?」

軽い。とても大国の政治にかかわる人間の威厳を感じられない。それでもヴィーデは、先ほどの給仕の女と接しているときよりも緊張感が和らいでいるのを感じた。

「今開けます」

キィと小さな音を立てて少しだけ重いドアを開いた。首を真上に向けると宰相殿と目が合った。
瞬間的に両目を大きくして、これはこれはとアーデンは言った。
ドアを閉め、室内へと一歩踏み込む。

「いやいや…すごいねぇこれは。変わるもんだ。本当に女神だなこりゃあ」
「…あの…これから皇帝陛下に会いに行くんですか…?」
「うーん…?」

質問には答えず、アーデンはぐるぐるとヴィーデの周りを歩いている。
そのうち右手をヴィーデの顎に添えて、わずかに上を向かせそれをあらゆる角度から眺めては一人で頷いている。

「…?」
「うん、あとはこれで完成」

そう言って、ヴィーデの耳に輝くガラスのイヤリングを付けた。角度を変えるたびに反射して無数の光を放つそれはとても美しかった。
アーデンは満足げに笑みを浮かべて、ヴィーデの顔を大きな両手で優しく包み込んだ。

「きれいだよ、とってもね…惜しいくらいだ…」

一段と低い声でそう言った。これまでの調子のいい男の風貌は消え、まっすぐにこちらを見つめるアーデンの瞳にぞくりとした。


それにしても、「惜しい」とはどういう意味なのか…
その言葉の真実に、一つの予感をヴィーデは持っていた。



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