第3話

終わりがないのではないかと思えるほどの長い長い廊下を、アーデンとヴィーデは歩いていく。
床も天井も目がくらむほど白い。アーチ形の大きな窓から差し込む日光が、まるで模様の様に廊下へ格子状の影を作り出していた。

アーデンは自身の隣を歩く女に視線を落とす。
その小さな耳には先ほどアーデンが彼女へ贈ったイヤリングが、動くたびにキラキラと光を放ち輝いていた。

それにしても、よく化けたものだとアーデンは思う。
つい数時間前までは、名もない小さな村でひっそりと薬草を作り暮らしていたただの田舎娘が、ドレスと化粧を施しただけでこの変わりよう。
未知の可能性を秘めたものを比喩する言葉として、ダイヤの原石を引き合いに出すことはよくあることだが、この女がまさにそれだったのかと実感する。

だがそれだけに残念な所がただ一つ。

「あのさヴィーデ…ちょっといいかな?」
「なんでしょう…?」
「その歩き方……何とかならない?」
「…だ…だって…」

ヴィーデは生まれて初めて履いたハイヒールというものに苦戦していた。
こんな爪先立ちで歩くような靴を、世の女たちはなぜ履こうと思うのか理解できない。
サンダルと長靴しか持っていなかったヴィーデは、身を飾るために靴を履くという感覚が皆無だった。
それは常に実用的なものであるべきで、こんな足を怪我した鶏のような歩き方になるくらいなら素足の方がよほどマシだと思った。

「靴が…こんなの履いたことないので歩きにくくて…」
「なんていうかさ、壊れた魔導兵がちょうど今の君みたいな動き方になるのよ。笑いそうだからホントやめて」
「やめてっていわれても…!」

魔導兵…不気味に目が光るあのロボット兵のことだ。
あんなものと一緒にされたくはないが、どうしたって肩を大きく左右に傾けながらでないと前に進めない。

「そ…それに踵が…」
「ん…踵がどうしたの?」
「靴に擦れて…痛いんです…」
「…あらら、そうなの?」

どれ、としゃがみこんでヴィーデの片足に手を伸ばした。そっと靴を脱がせてみると、確かにアキレス腱のすぐ下の皮膚が痛々しく赤みを帯びていた。

「んー、これじゃあ確かに痛いねぇ。まともに歩けないなぁ」
「…はい…」
「そうだ、オレが抱っこしていこうか?」
「…はい?」
「いや、謁見の間の手前までね。ドアを開ける前に下ろすから、そっから先は出来るだけ壊れた魔導兵はやめてもらって…」
「いや…でも抱っこって…」
「靴を変えるにしたって、またこの長い廊下を歩いてかなけりゃならないし、そもそもイドラ皇帝陛下はお待ちになってるからさ」

なるべく急がないとね、と言ってヴィーデを抱え上げた。幼子を抱くように持ち上げられ、その視界は一気に高いところまで広がった。
床がこんなにも遠い。背丈の高いこの男の見ている世界と自身の目に映る世界の違いに、ヴィーデは思わずわあと小さな声を出した。

天井が近いと言って腕を頭上に伸ばすヴィーデを見て、だいぶこの娘の本来の性格が出て来たかとアーデンは少しだけ微笑んだ。
しかしこの後すぐに、大きな緊張を強いられることになるわけだけれど。



「よし着いた、おろすよ」

そう言ってヴィーデをゆっくりと床に立たせる。目の前の、ことさら大きく重厚で華美なドアを見上げた。
眩い黄金で装飾されたそれは、ここから先に特別な人間がいるのだということを否応なしに物語る。

「準備OK?ドア、開けるよ?」
「……」

返事をしようと思ったけれど、喉がごくりと音を立てただけだった。
本来ならばヴィーデとは交わるはずのない世界の人間に会うのだ。粗相は絶対に許されない。

「イドラ皇帝陛下、お連れいたしました」

アーデンの一声で、重々しいドアがゆっくりと開いてゆく。
少しずつ明らかになっていく部屋の様子に、ヴィーデは息を飲んだ。
広い広い室内。ドアを開く鈍い音が反響し、その場がさらに荘厳であることを演出している。
足元から真っ直ぐに延びた細長い真紅の敷物。

その先にいるのはニフルハイム帝国現皇帝、イドラ・エルダーキャプト。

思わず両手を胸の前で握り合わせる。こうでもしないと、手が震えてしまいそうだった。

「さあヴィーデ…」
「…あ…は、はい…」

アーデンに促され、ヴィーデはゆっくりと敷物の上を歩いていく。真正面を見据えることができずに、視線を少しだけ下げたまま。
先ほどまで耐えられないと思っていた踵の痛みなどまるで感じない。
転んだりしないよう着実に歩を進めていくと、皇帝の20メートルほど手前でアーデンがヴィーデの胸の前に手を差し出し制止させた。

「皇帝陛下、彼の者をお連れいたしました」

アーデンがゆっくりとした動作で頭を下げそう言った。ヴィーデは右足を半歩下げて、左手を胸に添え膝を曲げ頭を垂れた。
生まれ育った村で教えられた、位の高い人間に対する礼儀作法だ。

豪華な椅子にしなだれるように腰かけたイドラ皇帝は、視線をゆっくりとヴィーデに向けた。
身体が悪いのだろうか、その様子はひどく気だるげだ。
しかしヴィーデの存在を確かなものと確認すると、震える身体を起こし右腕をこちらへ伸ばした。

「…お…おぉ…そなたか…そなたなのだな…!」
「………!」
「…近う…近う寄れ…!」
「…あ…」

怖いと感じた。それは位の高い人間と謁見する緊張からくる怖さではない。
イドラ皇帝からは、何か得体のしれないおぞましさを感じた。抑えていた震えが制御できない。

アーデンが、身動きできないでいるヴィーデの腰辺りに軽く触れた。

「大丈夫…すぐ後ろにオレがついてるから…ね?」
「……はい…」
「いい子だね…さあ歩いて」

ささやくような声で促され、ヴィーデは再び歩き始めた。アーデンが、つかず離れずついて来るのが分かった。
ついにその顔立ちがはっきりとわかるほどまで近づいたとき、イドラ皇帝は伸ばしていた腕をさらにぴんと張り、すがるようにヴィーデを見つめた。

「…手を……余の手を…」
「…!」

手を握らなければ。すでにヴィーデの掌は汗で湿っている。一度祈るように両の手をぎゅっと合わせ、わずかでも湿り気を誤魔化せたらと思った。
傍から見てもはっきりとわかるほど、皇帝に差し出すヴィーデの腕は震えている。
水分の失われたその手に触れると、ぎゅっと強く握られ引き寄せられた。思わずよろめき床に膝を着く。

「ああ…待ちわびたぞ…どれほどそなたを探したか……名は…なんという…?」
「………ヴィーデ…と…申します……」

奥歯ががちがちと当たってうまく話すことができない。こんなに怯えていては失礼にあたるのに、けれどヴィーデの身体は勝手な防御反応を示すばかりだった。
イドラ皇帝の手はまるで氷の様に冷たい。目元は虚ろなのにその瞳の奥は獲物を見つけた野獣のようにぎらぎらとしている。

「…ああ…ヴィーデ…救いの…女神よ……」

切れ切れにそう言って、イドラ皇帝は乾いた唇をヴィーデの手の甲に押し付けた。
口づけを受けたそこから全身に悪寒が走る。今にも卒倒しそうだった。

目じりに涙の浮かぶヴィーデに顔をぐいと近づけ確かな口調でこう言った。

「…ヴィーデ…余に力と…永遠の命を与えたまえ…!どうか…余の願いを…」
「…!」

ああやはりそうだったんだ。
ヴィーデの予感は的中した。こんな大きな都市にまで広まっているなんて。


いまだ震え続けるヴィーデを見下ろすアーデンの顔から、一切の笑顔が消えていることに気付く者は一人もいなかった。







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