第11話

それからさらにひと月ほど過ぎた頃、いつものようにレイヴスとの訓練に向かおうとしていた時の事―。



ヴィーデが部屋のドアを引くと同時に、握り拳を作った腕を頭の高さまで掲げたアーデンの姿が目に飛び込んできた。互いにわっと驚いた顔をして一歩下がり、そして苦笑した。

「グッドタイミングだな、今から訓練に行こうとしてたんだろ?」
「そうだけど…どうしたのアーデン?」
「うん、初陣です」
「…は?」
「ヴィーデの記念すべき初出勤ってやつかな?さ、行くよ」

アーデンはにっこりと笑いヴィーデの腕を引いて歩き出す。半ば引きずられるような状態になりながら、ちょっと待ってくれと叫んだ。

「う、初陣って!?まだレイヴス将軍と訓練初めてひと月しか経ってないのよ!?無理だわ!」
「大丈夫大丈夫。少しはマシになってきたかなーって彼言ってたよ?ヴィーデ毎日頑張ってたもんねえ」
「少しマシになったくらいで戦えるわけないじゃない!みんな何年もかけて将軍や准将になれるんでしょう!?」
「そうだね、でもアレだよ。これはいわゆる実戦経験ってやつ?いつまでも室内で一対一で訓練してるだけじゃあそれ以上強くなれやしないでしょ?」
「…そ…」

それは確かにそうだけれど…。
とは言え一切の心の準備ができていなかったヴィーデは散歩を嫌がる犬の様に両の足を踏ん張って尚も抵抗する。

「でもでも…ま、まずは揚陸艇の中から見学とか…!」
「ああもう、往生際悪いねえヴィーデは」

面倒くさそうにそう言うと、アーデンはヴィーデを肩に担いで歩き出した。下ろせ放せと暴れるその尻を軽く叩き、宮殿前に待たせてある揚陸艇へと向かった。
すでにレイヴスは到着し、複数の魔導兵を積み込んでいる最中だった。
アーデンに担がれて到着したヴィーデに視線を向けると、片眉を上げて呆れたように軽く頭を振った。

「…随分な登場だな」
「いやー、この子が初出勤怖いって怯えて逃げようとするもんだからさ」

そう言いながらヴィーデを地面に下ろす。ヴィーデはバツが悪そうに白い髪の男を見上げた。

「レ…レイヴス将軍…」
「今日はルシス国内、ダスカ地方において野獣とシガイの討伐を行う。お前も同行しろ」
「…ルシス…」

ヴィーデの心臓が跳ね上がった。初めて降り立つ地であり、ヴィーデが最大の目的とする国でもある。

「アーデン…宰相、帝国がルシスの害獣を討伐するのですか?」
「ああ…ほら、うちはとても褒められたもんじゃないやり方でルシス王国を襲撃しちゃったでしょ?王族はともかく、ルシスの一般市民にはゴマすっておきたい所なんだわ。領土を広める目的があるわけだし、抵抗勢力は少しでも少ない方がいいってこと」
「…はあ、なるほど…」
「ここ最近、シガイも野獣も増えてるからねえ。そいつらを駆除してやって点数稼ぎましょってことね。ルシス国内にいくつか点在する帝国基地の言い訳にもなる」

聞けば、停戦協定の調印式が行われる当日にニフルハイムがルシスを裏切ったという話だったので、そこまでやっておきながら今さら点数稼ぎもないのではないかとヴィーデは思う。一度恐怖や怒りを覚えた相手に対して憎しみ以上の感情などそうそう生まれる物ではないことを身をもって分かっていた。

「だからさ、初めての実戦相手に野獣ってのはヴィーデにぴったりだと思ってね」
「……不安です…」
「大丈夫、オレも一緒に行くから」
「宰相も…ですか?」

横に立つアーデンを見上げると、腰を屈めてヴィーデの耳元で言った。

「初めての野獣討伐がレイヴス将軍と二人ってのも不安だろ?彼さ、自分にも他人にも厳しいから、君が窮地に陥ってもそう簡単には助けちゃくれないと思うよ?」
「…わ、私もそう思います…」
「だからオレはヴィーデの応援係、ね?」

一緒に戦うわけではなくとも、アーデンが近くにいると思うだけでヴィーデの不安は和らいだ。
というより、レイヴスと二人きりという状況が何よりも不安材料なのだ。



ニフルハイム帝国を出発してから数時間後、揚陸艇はルシス王国ダスカ地方の上空へとたどり着いた。
開けた場所を選
び徐々に降下しながら、ヴィーデらを乗せた揚陸艇は大きく口を開いた。

初めて踏むルシス王国の大地。この広大な土地のどこかに、ルシスの国王がいるのだ。初陣の緊張と相まって、ヴィーデの胸の鼓動は普段よりも早く感じる。
辺りを見回すと、所々に見たことのない姿の生き物たちが自由に走り回っている。あれらが野獣というものだろうか。
その身体はどれもヴィーデの背丈よりもはるかに大きい物ばかりだ。

「ぼうっとするな、行くぞ」

呆然と立ち尽くすヴィーデに、レイヴスはそう声をかける。

「…ど、どの野獣を退治するんですか?」
「そうだな…あれが見えるか?」

指さした方向、およそ100メートルほど先に群れを成した野獣がいる。一見すると犬の様にも見えるが、その背中からはヘラジカの角のようなものが生えている。

「…な…なにあれ…」
「キュウキだ。一匹一匹の強さはさほどでもないが、見ての通り奴らは群れで生活をする。囲まれれば苦戦を強いられるぞ」
「…囲まれ…」

ヴィーデは思わず自分がキュウキの餌になっている姿を想像してしまい身震いする。
ついて来いとレイヴスが手で合図をするが二の足が踏めず、背後の揚陸艇の入り口に立つアーデンを振り返った。

がんばれ

声に出さずにアーデンが口を動かした。ニコニコと何がそんなに楽しいのだろうか。ヴィーデのグローブの中はすでに汗で湿っている。
まごまごしているうちにレイヴスとの距離が開き、あんな嫌味な男でも側にいないよりはマシと駆け寄った。

「奴らに気付かれるより先にこちらから攻撃を仕掛けるんだ。群れで囲まれる前に一匹でも数を減らせ」
「お、お、お手本を…」
「行くぞ」
「ちょっと…まって…!」

先に素早く飛び出したレイヴスは、背を向けていたキュウキの首元を斬り付けた。
たったの一撃でそれが膝から崩れ落ちると同時に、群れの仲間が一斉にこちらに対し戦闘態勢を取った。

鰐のような鋭い歯と、その隙間からだらりと垂れ下がった舌。そしてその前足にはまるで刀のような爪が生えている。
動物と言えばのんびりとした牛と羊くらいしか見たことのないヴィーデにとってそれは完全に常軌を逸した生き物に見えた。

「無理無理無理…!しょ…将軍!!」

すかさずレイヴスに駆け寄る。

「オレから離れろ!固まっていると動きづらい上に被害が大きくなる!」
「そ…そんなっ!!」

どんと肩を押されたヴィーデの目の前に、一匹のキュウキが頭を低くして構えている。唸り声をあげながらじりじりと距離を縮めてくるそれに、覚悟を決めて剣を抜いた。

(ああもう…!知らない!!)

目の前のキュウキが一段と身体を低くし、そして飛んだ。

これまで過ごした村のこと、庭のハーブや薬草、いつも悲しそうに見えた母の顔が頭に浮かんだ。
そして突然空からやってきてヴィーデを外の世界に連れ出した赤い髪の男。

何が大丈夫なんだ、側にいるって言ったくせに。これからこの野獣に首元をかじられ死ぬかもしれないのに。

様々な悲しみと怒りが交じり合い、それは半ば八つ当たりのような形となって、襲い来るキュウキの左首から胸元にかけて剣を振り落した。
両前足から一瞬倒れかけたがすぐに体勢を立て直し、再びヴィーデに牙を剥く。斜めに振られた刃物のような爪を左下から右上に向かって剣で弾き返し、そのままそれをキュウキの首元へ真横にスライドさせた。

「はあっ…はあっ…」

自分が何をしたのかほとんど覚えていない。けれど襲い掛かってきたキュウキはヴィーデの足元で動かなくなっている。

「…や…やった…」

これまでのレイヴスとの訓練で、ヴィーデの体はほとんど反射的に動いていた。日々疲れるだけで己の成長を感じる暇のなかったヴィーデにとって、これは大きな自信となった。

「浮かれるな!次が来るぞ!」
「…はい!」

その後残りの群れをレイヴスと数体の魔導兵とで討伐し、ヴィーデは合計2体のキュウキを倒すことができた。
初陣にしては上出来だと自画自賛する。

「怪我は?」
「レイヴス将軍…はい、かすり傷だけです」
「こいつを倒せただけで自惚れるなよ。キュウキは野獣の中でも低レベルだ」
「…わ…分かってます…!」

何やら唇を尖らせるヴィーデが遠くに見える。
多少手荒ではあるが、レイヴスにヴィーデの訓練を任せたことは正解だったとアーデンは思う。
初心者が短期間で腕を上げるには最初のスタート地点を高い位置に設定することが一番なのだ。ともあれそれに付いて行けるだけの根性が必要ではあるのだが。
ヴィーデの場合、他に帰る場所がないという一見ネガティブに思える現実がそれを可能にしたのだろう。

「あのひょろひょろした田舎娘がよくここまで成長したもんだ。後で褒めてやらなきゃあな……ん…?」

ヴィーデの立つ位置から20メートルほど背後に、大地の色に混じって一見まだら模様の猫に似たひときわ大きな野獣が見える。
鞭のような長いひげを蓄えたそれは先ほどのキュウキの比ではない凶暴さを持っている。

「おーいレイヴス将軍、3時の方向にクアールだ!2頭いる!」

アーデンが叫んだ。すぐさまレイヴスがそちらに攻撃態勢を取る。

「クアール…?そ、それも野獣なの?」

ヴィーデの目に、しなやかなバネのような体つきの野獣が見えた。ヒゲをひゅんひゅんと動かし地面を這うように動いている。
今度は二頭、数も少ない。ヴィーデは剣を抜き構える。しかしそれを遮るようにアーデンの声が聞こえた。

「ヴィーデ!」

声の方を振り返ると、アーデンの手が撤退のサインを出している。

「…や、やめとけってこと?」

慌てて腰を低くしクアールとの距離を取った。先ほど一撃でキュウキを倒したレイヴスは、間合いを取りながらクアールとの距離を縮めつつ攻撃を加える。
身体が非常に大きく体力と耐久性が高いのか、複数回攻撃を受けても倒れる気配を見せない。
そのうち、一頭のクアールが地面に腰を下ろしたかと思うと、長いひげを回転させるように振り上げた。
その瞬間、落雷のように光り周囲にいた魔導兵が3体バチバチと音を立てながら倒れてしまった。

「何アレ!?雷を帯びた攻撃…?っと…」

ヴィーデの踵が何かに躓いた。見ると、岩陰に隠れるように作られた巣にたった一つだけ置かれた黒い卵だった。

「これ…黒チョコボの卵だわ…」

周囲に親鳥の姿はなく、そもそもこのような野獣の多い場所に卵を産んだところで温めることも出来ないだろうにとヴィーデは思った。
もう少し安全なところへ卵を運んでやろうかと思っていた時、野獣の悲鳴がヴィーデの耳に聞こえた。

「!!」

顔を向けると、レイヴスによって切り飛ばされたクアールがこちらへめがけて飛んでくるのが見えた。

卵が割れてしまう―

そう思った瞬間、ヴィーデはとっさに右手をぐっと一度握り、次に開くとその掌は橙色の炎を帯びていた。
空中で体勢を立て直そうとするクアールに向けてそれを放つと、一瞬で炎に包まれ身体の半分ほどが燃え尽きた。

どすんと音を立てて死んだクアールが地面に落ちた時、ヴィーデは我に返りレイヴスの方へ顔を向けた。

「…あ……」

幸いもう一頭のクアールと格闘しているレイヴスはこちらの様子に気づいていないようだった。
次に恐る恐るアーデンの乗っている揚陸艇に目を向けると、そこには先ほどまで出口に立ってこちらを見下ろしていた姿はない。

「よかっ……たー……」

とっさだったとは言え、ニフルハイム帝国の人間の前で魔法を使ってしまったのはうかつだった。
本来ルシス王家の血を引く者しか使えないはずの魔法をマジックボトルなしに使ったことが分かればあらぬ疑いをかけられ処刑されかねない。

「ルシスのスパイだなんて思われでもしたら大事だわ…危ない…」

ヴィーデはひとまず黒チョコボの卵をそっと軍服の中に隠した。それから少し後に、もう一頭のクアールを倒したレイヴスがこちらへ戻ってきた。
ヴィーデの不自然に膨らんだ腹を見て首をかしげる。

「…お前、そんなに腹が膨らんでいたか?」
「え…っと…あ、朝ご飯たくさん食べて来たので!力つけようと思って…!」

苦しい言い訳だと思ったけれど、レイヴスはさして興味もなさそうに、そうかとだけ呟くと離れた場所にいる魔導兵を呼び戻した。
すると、上空で待機していた揚陸艇が地面に着陸しアーデンが降りてきた。

「レイヴス将軍、今日のところはこれで撤収しよう」
「…夜まで待機し、シガイの討伐を行うのではなかったか?」
「そのつもりだったけどね…ちょっと急ぎで戻らなきゃならない用事ができちゃってさ」

悪いね、と一言告げて、再び揚陸艇へと戻って行く。ふうと短く息を吐いたレイヴスがその後に続いたので、ヴィーデも腹に抱えた卵を落とさないようゆっくりと乗り込んだ。




ヴィーデヴィーデは拾ってきた黒チョコボの卵をどうするか思案していた。温めなければ腐ってしまい孵化はできない、とはいえ親鳥の様に一日中腹の下に入れて温め続けることも今のヴィーデには不可能なのだ。

「チョコボの卵が孵化するまで体調が悪いからーって言って訓練休めないかな…無理…だよね…」

深く考えもせずに持ってきてしまったけれど、そもそも孵化したチョコボのヒナをどうするかも全く考えていない。
ただあの場に置いておけないという気持ち一つだけで持ち帰ってしまったことを後悔した。

「もしかしたら親鳥戻ってきたかもしれないのに…いやでも…チョコボって卵を温めてる間は絶対そばを離れないっていうし…」

そう言いながらデスクライトの光を当てた卵を眺めていると、部屋のドアがノックされた。きっとアーデンだとヴィーデは思った。

「や、ヴィーデ」
「やっぱり」
「やっぱりって?」
「アーデンだろうなって。っていうか、この部屋のドアをノックするのはあなたか給仕の人たちしかいないから。どうぞ」

促されて室内に入ったアーデンは、ドアの前に立ったままじっとヴィーデを見つめている。
その顔は、口元に笑みを浮かべてはいるけれどいつもとは僅かに違う雰囲気を感じる。

「アーデン、どうしたの?何かあったの…?」
「…うーん、そうだね…」
「何?私のことで、誰かに何か言われた?」
「…オレさあ、ちょっと傷心でね…」
「傷心……」
「信じていた人に裏切られたっていうか…いや逆かなあ…信じてもらえていなかったのはオレの方かもしれない」
「…何言ってるの?もう少しわかりやすく…」

言いかけると、アーデンはヴィーデのすぐ目の前まで来てその顔を見下ろした。

「アーデン…?」
「…ねえヴィーデ……君さ、一体誰なの?」
「………え…?」
「ルシス王家の人間しか使えない魔法を、どうして君が使えるの…?」
「…………」

見られていた―。

周りに聞こえるのではないかと思うほど心臓がどくどくと鼓動を打つ。どんな言い訳をすれば、この男は納得するだろう。
そんな思考を巡らせるヴィーデの両肩を強く掴んで、

「お願いだよヴィーデ。今度は、嘘をつかないでほしいな」

と言った。







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