04 警鐘

テストまでの一週間、放課後は成宮のための時間を取ることにしている。昨日の今日で成宮と一緒にいるのは少し嫌だったが、当の成宮は何も気にしていないようだったので仕方なく向かい合って勉強をしていた。すると、何やら廊下の方が騒がしいことに気が付いた。

「すごい大声だね」

「うるさいなあ…」

「うん、ちょっとね」

次第に近づいてくる、女の子特有の高く耳にこびりつく様な声。廊下を何人かで歩きながらきゃあきゃあと興奮しておしゃべりでもしているのだろうと思っていたが、おかしなことにその声は教室の前で立ち止まった。他に教室に残って勉強している数名も、眉を顰めて廊下の方を迷惑そうに見る。
最初は反響してよく聞き取れなかったが、そのうち「鳴さん」という言葉が転がってきた。

「成宮のことみたい」

「…だな」

「知り合いなら静かにしてって言ってきたら?」

「あ〜…」

成宮は何とも歯切れの悪い返事をしながら重い腰を上げた。知り合いではないと言いたげな微妙な表情をしている。確かに、現在進行形で多くの人に迷惑をかけている人を知り合いだと積極的に認めたくはないだろう。

「彼女なの?」

女の子の知り合いって、もしかして彼女なのかな。ふとその考えが頭をよぎった。何の気なしに尋ねると嫌そうな顔をしながらも成宮は小さく頷いた。自分から聞いたんだから自業自得じゃないか。そう開き直る間もなく胸がずきりと痛んだ。痛みはやむことなくどんどん強くなり、上手く息を吸うことができずに浅い呼吸を繰り返した。
教室の扉までとぼとぼと歩いて行った成宮が扉を開けた瞬間、声がぴたりと止んだ。

「うるさいんですけど」

教室の前なのわかってんの?
やけに棘のある言い方だと思った。断じて普段の冗談めかした口ぶりではない。まるでケンカを売るような成宮の声音と雰囲気に、また教室の人たちが顔を上げた。しかし、後ろ手にぴしゃりと扉を閉められたことで廊下の様子はわからなくなった。
しばらくはぼそぼそと何かを話している声しか聞こえなかったので、このまま静かになるだろうと思っていたのだが。

「だって、だって…!」

突如としてヒステリックな金切声が廊下に響いた。思わず耳を塞ぎたくなるようなキンと高い声は、さすがに他の教室からも苦情が来そうだ。

「鳴さんがあの人と一緒にいるから!」

教室中の視線がぱっと私に向けられた。ん?もしかして私のことですか?首を傾げると訳知り顔な女の子がこくりと頷いた。「あの子いつもああだから」と他の子が小声で教えてくれた。どうやらこのクラスのみなさんは、成宮の彼女が以前にもヒステリックに叫ぶところを聞いたことがあるようだ。成宮くんはなかなかに面倒くさい彼女をお持ちなんですね。さっと私の中の気持ちが引いた。あの子と同じ土台に立とうとは到底思えない。さながら昼ドラのようだと冷めた頭で考えた。

何が起こっているかはわからないが、頼む成宮。上手く諌めて。はたして、そんな私の祈りが届いたのかどうかは定かではないが、またほんのしばらくして成宮が教室に戻ってきた。バツの悪そうな表情で周りに軽く詫びていることからも、やっぱりこれが初めてというわけでもないことが窺えた。最近付き合い始めたばかりなのに、どうなっているのだろうかと聞くのは、ちょっと踏み込み過ぎかな。

「聞こえた?」

「残念ながら」

「あちゃー」

「帰ろうか、何かお邪魔みたいだし」

まとめておいたノート類を鞄に押し込んで席を立つと、慌てた成宮に引き止められた。私の腕を掴む成宮の手のひらが熱くてドキッとした。だけどこんなことをしている場合ではないとその手を振り払った。

「何でみょうじと先に約束してんのに、みょうじが帰ろうとすんの?」

「いや、どう考えても緊急事態じゃないの?あと、このままだと他の人に迷惑だと思う」

「ああ、大丈夫、あっちに帰らせた」

さも当然という口ぶりの成宮だが、ねえそれって本当に大丈夫なの?とはさすがに聞けなかった。成宮と彼女の問題に私が口を出すわけにもいかない。彼が大丈夫だというからにはそれを信じるより他ない。せめて、教室はもう居辛いから場所を変えようと提案すると、成宮はあっさりと了承して荷物をまとめてくれた。もう一度クラスの人たちに詫びを入れて廊下に出て、どこに行こうかと相談する。私は図書館か近くのファミレスで勉強しようと思っていたら、成宮は私の家がいいと言い出した。

「何言ってんの」

「えー、ダメ?」

「ダメに決まってるでしょ。成宮、自分の立場わかって喋ってる?」

「校内でもこの近くでもこれ以上邪魔されんの嫌じゃん。俺は勉強したいの」

誰から、とは言わないが、彼女から干渉されることを避けようとしているようだ。もしかしたらこのままだと彼女と別れるかもしれない…。良くないことだとはわかっているのに、そんな期待が頭をもたげた。あんな風にヒステリックに成宮を攻め立てるような彼女が成宮に合っているとは思えない。すぐに別れてしまうのではないだろうか。

「ね、だからみょうじの家」

「…でも、ダメだよ」

違う、私は成宮の友達だから。成宮には付き合って日が浅いとはいえちゃんと彼女がいて、そして私は異性で。別れるかどうかは私には関係がない。そんな状態で家に連れて行ってはいけないと私の良識が全力で警鐘を鳴らしている。

「別に友達の家に行くなんて普通じゃない?」

「いや、だから…」

「何?それとも、みょうじにはもしかして疚しい気持ちがあるとか?」

疚しい気持ちがあるなんて言えるわけがない。そこを真っ向から突かれてしまったとあっては正直とても痛い。改めて友達デビュー1日目だけに。

「………そういう、わけじゃ」

「はい、決定」

強引に手を引かれ私が普段使っている駅の方向へ無理やり歩かされながら、自分の押しの弱さに心底辟易した。やっぱり成宮の手のひらはとても熱い。喜ぶべきではないのに、もう少し成宮と一緒にいれるという事実が、私の胸を高鳴らせた。