05 支離

娘が高校生になって初めて男の子を家に連れてきたとあって、お母さんは興奮していた。え?彼氏?可愛い系が好みだったの?なんて成宮の前で目を輝かせて聞いてくるものだから顔から火が出そうだった。成宮は友達だしただ勉強するだけだと何度も言ったけど、十中八九聞いちゃいない。そんな母のテンションに流石の成宮も引き気味で、もう何だか穴があったら入りたい気分だ。

「みょうじの母さん、すごい勘違いしてない?」

「うん…ごめん」

「………」

「清く正しくお勉強しましょう」

間違いなんて起こるはずないけど、それでも念のため。清く正しく。黙々と手を動かしながら、いつの間にか頭の中では先ほどのことでいっぱいだった。結構激しい気性の彼女なんだなとか、成宮があんな言い方するのを初めて聞いたとか。何で私のことを知ってるんだろう、と気付いた時はよくわからないけどもやもやとした塊が喉につっかえているような感覚に陥った。直接関わったことがない人にあからさまな敵意を向けられるのは、少しだけつらい。

「みょうじ」

「………」

「みょうじ!」

「え、あっ。ごめん何?」

こんこんと机を叩く音で我に返った。成宮の彼女のことで頭がいっぱいになって、もしかして今後も何かと突っかかられるのではないか、という想像をしていたところだった。上の空になっている私を見て、成宮はぐっと眉間に皺を寄せた。

「…ねえ、やっぱさっきの気にしてんの?」

「さっきのって…」

「廊下で騒いでたの」

「あ、あー…、えっと…。あれって、私のことだよね?やっぱり。あは」

笑って誤魔化そうとしたけど、喉からは自分でもびっくりするくらい乾いた笑いしか出てこなかった。緊張で手はじっとりと汗ばんでいるのに、唇が乾燥している。それを潤すために机の上のカップを手に取った。淹れたばかりのコーヒーの香りが鼻を擽った。

「みょうじは気にしなくていいよ」

きっと慰めてくれているのだろう。しかし、気にしなくていいと言われてもそれは土台無理な話だ。私は成宮と成宮の彼女のことが気になってしまう。

「私がいて彼女が不安になるんだったら、それは成宮がちゃんとフォローしてあげないと、ダメだと思うんだけど」

「んー…、彼女、ねえ」

「彼女なんでしょ?さっきの」

「まあ…、一応?」

「何で疑問形なの」

おかしなことに、腕を組み深く考え込むような体勢になった成宮が首を傾げながら答えた。一応、と付けられてはいるが彼女だと成宮の口から聞いて、また胸がちくりちくりと痛む。違う、私はただの友達だから。なるべく気持ちが表情に出さないよう、そう自分に言い聞かせた。

「彼女とか付き合う、ってどういう状態を指すと思う?」

「え、何?いきなり…」

「いいから答えて」

突然成宮から小難しい命題を投げられた。せっかく友達でいようと決めたばかりだというのに間が悪い。普段はあまり恋だのなんだのという話はしないくせに、どうしたのだろうか。どう答えるのが正解かわからない私は、とりあえずこの話題から逃げることにした。

「私まだ付き合ったことないんだけど」

「えっ、うそ。みょうじだっさー」

「………」

逃げの一手のつもりの発言をバカにされて、手に持っていたシャーペンの芯がぼきりと折れる音がした。成宮許さない。

「じゃあ想像でいいから、付き合うってどんなか答えてみなよ」

「何でそんな上からの物言いなんですかね…」

自分が優位に立っているとでも思っているのだろうか、突然偉そうな態度をとる成宮に多少イラついた。芯が折れてしまって出て来なくなったシャーペンを放り投げて背中にあるクッションに身を沈めた。答えなければいけないのだろうか。ちらりと成宮を窺うと、瞳が期待に満ちて爛々と輝いていた。どうやら逃げられそうにない。

「えー、えーっと、交際経験のない者の理想や願望として聞き流してもらえたらいいんですけどね」

「うんうん」

しかし私の話しに対して興味深そうに耳を傾ける姿勢に悪い気はしない。気を取り直すために一度小さく咳払いをして、自分の思いを吐き出した。

「…付き合うってことは、お互いにお互いがすごく大事なんじゃないの。方法はどうあれ、相手の気持ちを尊重したいとか、何かあった時にその人を優先するとか、多分そういうの」

私は少なくともつい昨日まで、成宮に対してそういう思いを抱いていた。ぽつりぽつりと言葉を零すと、ぱちんと指を鳴らした成宮が我が意を得たりといった表情を浮かべていた。

「賛成!」

「…お、おう」

突然身を乗り出されたことに驚いた私を余所に、成宮は一人で何度も頷いている。

「やっぱそういうもんだろ?付き合うって。俺がおかしいのかと思ってた」

「はあ…。話が見えないんですが」

「彼女!あいつが言うんだよ。何で私があれこれしてるのに、鳴さんはしてくれないのって」

「うん?」

「自分がこんなにあなたのことを思って尽くしてあげてるんだから、同じだけ返せってことらしいんだけどさ。それって何か違うだろーって思ってたんだよね」

つまり成宮は、言葉が悪いが自分本位な気持ちをぶつけてくる彼女に疑問を抱いているらしい。私からしてみれば自分本位の化身といっても過言ではない成宮がそんな相手とよく付き合ったなと不思議で仕方ないのだが、それは言わないでおこう。

「本当はさ、テスト期間の放課後は一緒に勉強しようって言われてたんだけど」

「えっ。成宮と?」

おしゃべりなその口を黙らることにまず骨を折るだろうということは、成宮のことを少しでも知っている人ならわかることだ。そんな成宮と一緒に勉強をしようとなると、間違いなく自分の時間がなくなる。成宮の扱いは取扱い説明書だけでは上手くいかないのだ。その子はそれでも成宮といたいと思ったか、もしくは成宮のことをちゃんと知らないかのどちらかだ。

「向こうは学年が下だから当然俺に教えるなんて無理だろ。どうせ誰かとするんだったらちゃんと教えてくれる人がいいなと思った俺は、」

「あー、私に声をかけたと」

「そういうこと。それが気に入らなくて怒ってたみたい」

それは、何と言うか…とても反応に困る話だった。もう少し上手いこと躱してくれてもよかったんじゃないかという恨み言もあるが、それこそ後の祭りだし成宮が悪いわけでもない。

「あーあ。みょうじだったらよかったのに」

ため息とともに吐き出された言葉に、思わず目を丸くした。私だったら良かったのにって、何が?
つい条件反射で聞き返してしまったが、この会話の流れは何となくまずいような気がする
彼女についての愚痴、とまではいかないが不満を口にしている成宮からの言葉。はっとして口を覆ったがそんな私の様子に成宮は気付かない。

「みょうじなら物分り良いし。あ、今の彼女と比較してってことね」

「………」

「…俺と付き合ったら、多分、」

「はい!そこまで!」

この先の言葉は絶対聞いたらダメだ。聞いてしまったら、私の気持ちがぶれる。成宮の言葉に今までどれだけ期待して、そして裏切られてきたことか。どうせ友達としか思ってないのに期待させるようなことを言うのは最早成宮の癖だ。

「もう、結構いい時間だよ。帰らなくて大丈夫?」

私の制止に一瞬驚いた様子の成宮だったが、自分が今しがた何を言おうとしていたのか気付いたようでそのまま大人しく口を噤んでくれた。成宮がノートやら教科書やらを適当に引っ掴んで鞄の中に放り込んでいくのを見ながら、未だバクバクとうるさい心臓を何とかして鎮めようと深く息を吸い込んだ。

「明日からなんだけど」

「うん」

「さすがに今日は周りにも迷惑だったと思うし、あいつの方行くわ」

「あ…、そう」

「寂しいかもしんないけど、一人でもちゃんとやれよ!」

「どの口がそんなこと…!成宮がいない方が何倍も早く終わるに決まってるじゃん」

いつものように軽口を叩きながら玄関まで成宮を見送ろうとしていると、またお母さんがやって来て「もう帰るの?ご飯食べていかない?」と勧誘を始めてしまった。それを軽く躱してにっこり笑顔で去っていったあたり、流石成宮。年上キラーっぽい。そして部屋に戻った瞬間、緊張の糸が切れて私はその場にずるずるとしゃがみ込んだ。
俺と付き合ったら―
成宮は一体何て言おうとしていたんだろうか。思い返しただけでじんじんと熱くなる頬を押さえるも熱はすぐに引きそうにない。ああ、でも明日からは成宮と一緒にいれないのか。どれだけ文句を垂れても一緒にいれるだけで嬉しかったのに。彼女のこと、あいつって言ってた。たったそれだけのことなのにやっぱり私は何でもない存在で、彼女の方が成宮にずっと近いんだということを痛感せざるを得なかった。友達というのもなかなかつらい。