不意の先制攻撃
なまえ、呼ばれてるよ!そう声をかけられてしぶしぶ作業を中断した。現代文、古典、それから日本史のプリントをせっせと分類して日付を書き込んでいるというのに、用事なら後にしてくれないかなあ、という文句を言いかけて、それは一瞬で吹き飛んだ。
「何でいるんですか!?」
「みょうじちゃんに会いに来たんだけど」
その姿を見るや否や私は勢いよく立ち上がり教室の入り口まで走った。まずい、こっちは弱味を握られている!とりあえずはくまさんではなく名前で呼ばれたことに安堵しつつも、どうにかしてこの人を人の多い教室から遠ざけなければならないと思案した。
「え、っと、じゃあ、お散歩でもしますか?」
「みょうじちゃんがしたいなら何でもいいけど」
相手は笑顔を浮かべているが現在進行形で圧力をかけ続けてきている。一体私が何をしたというのだ、ぶつかった挙句パンツ見られた被害者なのに…。それでも教室の前で昨日の醜態を暴露されることだけは避けたい。この人に即時退却してもらわねば。
「なーに難しい顔してんだ?もしかして昨日のこと気にしてる?」
「わわ、ちょっと!やめてくださいって!」
昨日のこと、というセリフに焦って、早くあっち行きましょうと腕を引っ張れば、にわかに教室がざわめいた。傍からすればきっと私たちは手を取り合っていちゃついているように見えているのかもしれないが、私は名前も知らない人に弱みを握られている立場なのだ。
何とか人の目がない教室まで引っ張っることに成功した私は息をついた。気の知れた友達ならまだしも、クラス全体の前で余計なことを言われたら堪ったものじゃない。
「へえ、大胆だな」
「大胆な先制攻撃を仕掛けてきたのはどっちですか」
「人気のない教室で何するつもり?」
「は?何が…」
と言いかけて気が付いた。なるほど言われてみれば確かに人気のない教室で男性と二人きりとは、昨日の事件のことを口外されたくないあまりに私は迂闊な行動を取っているのでは?これはまずいと掴んだままでいた腕を振り払って一気に相手との距離を取った。
「はっは、そんなに逃げなくてもくまさんパンツのやつは襲わねえよ」
「今日は違います!」
一番言われたくないことなのに!と必死に訴えるも相手はどこ吹く風。完全に知らん顔で一切私の話を聞いてくれない。
「下の名前なんていうの?」
「私の話聞いてます?」
「みょうじちゃんって部活入ってんの?」
「聞いてないんですね」
はあ、と大仰にため息をつけば冗談だってと軽くあしらわれる。もう、何で冗談でもこの人といるんだろうか、昨日二度と会いたくないって思ったばかりのはずなのに。じとっと恨みがましい視線を送ると、のれんに腕押し、柳に風、そんな言葉がピッタリの胡散臭い笑顔が返ってきた。
「お名前、何ていうんですか?」
「御幸」
いよいよ色んなことを諦めた私は、せめてこの敵のことを知っておこうと質問をすることにした。
「女の子みたいな名前ですね」
「いや苗字だから」
「わかってます。軽い嫌味です」
私だって普通初対面の人にこんな態度は取りたくないけれど、今回ばかりはやむを得ない。何しろこの御幸さんから攻撃を仕掛けてくるのだから、これは正当防衛だといっても過言ではない。
「御幸さん、あの…昨日の件ですけど」
「くまさんパンツ?」
「そのくまについてなんですけど!さすがに私も恥ずかしいので、他言無用でお願いできますか?」
私だって青春を謳歌したい、高校生のうちに彼氏だって作ってみたい。それが変な噂でも立ってしまったら取り返しのつかないことになるに違いない。
気持ちとしては一生のお願い、むしろ懇願くらいのつもりだったのだけれど、御幸さんの返事は非常にあっさりしたものだった。
「女の子が嫌がることなんかするわけねーよ」
それならばなぜ!今!このようにして私は御幸さんと相対する必要があるのでしょう?
「そのことで何か金銭などを強請りにきたのでは!?」
「どこの不良だそれは」
「まさか肉体的な?」
「くまさんは黙ってろ」
「ひどい!」
「今のはどう考えてもそういうフリだろ?」
それならば、一体御幸さんは何をしに?御幸さんの意図がまったく掴めない私は、頭に疑問符を浮かべて首を傾げた。
「まさか、本当にそんなことされると思ってんの?」
「はい」
「俺そんな怖い人に見えるか?」
「怖いと言いますか…うーん、第一印象は最悪ですね」
そうはっきりと告げると、御幸さんは何やらガックリと肩を落としてしまった。襟足をくしゃっと握ってバツの悪そうな顔をする御幸さん。
こうして黙っているのを見る限りやっぱりとても整った顔をしているなあ。案外まつ毛なんかも長い。
「御幸さん、どうしたんですか?」
「んー?」
「突然黙られると不気味です」
「いや、今後の方針考えてた」
「ん?どういうことです?」
「何でもない。さてと、今日のところはそろそろ戻りますか」
言って御幸さんは上体をぐっと伸ばす。ああ、背が高いんだな、と今はどうでもいいようなことに気が付いた。
「もういじめないから怖がらないように」
「それは御幸さん次第ですね」
「善処する」
来た時とは打って変わって大人しくなってしまった御幸さんを不気味に思いながらも教室を出て廊下を並んで歩くことにした。先制攻撃をかまされはしたけれど、これは私の逆転勝ち?
何だかんだ言ったものの、経緯はどうあれイケメンさんとお知り合いになれたし結果オーライかな?なんて思う私はとても現金な奴だ。
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