一寸先は闇



 朝永さんとやらが何時に迎えに来るか分からないので、いつも通りに起きて、いつも通りにご飯を食べ、いつも通りにトイレに寄り、いつも通りに……じゃねーや最近は滅多に着ないスーツに着替え、いつも通りに……。
 あれ? いつも通りってなんだっけ? “いつも通り”のゲシュタルト崩壊に嵌まっていた。
 ソワソワドキドキ。俺は朝永さんの到着を今か今かと居間で正座をして待っていた。

 ふと、そういえば昨日会ったおじさんも迎えに行くとか言ってたなと思い出し、「え、もしかしてダブルブッキング?」と思ったがおじさんのアレは約束した内に入らないだろうと聞かなかったことにして頭から消した。

 ――ピンポーン。
 来た!
 「はーい」と母親の声と共に玄関を開ける音がする。
 居間から出て、呼ばれる前に玄関に向かった。

「おはようございます。お迎えに上がりました」

 パンツスーツを着た女性が下げた頭をゆっくりと起こし、小さく微笑んだ。

「え、朝永さんて、え? 女性?」

 この人が朝永さん? 俺と歳そんなに変わらなそうなのに。俺勝手に男だと思ってたわ。父さんは昔この人にお世話になったの?
 驚きと混乱で二の句が継げない俺を見て、おかっぱ頭っていうかミディアムボブと言いますか、そんな感じの耳下で切りそろえられた髪の女性はおかしそうに口元に手を当てた。え、普通に可愛いんですケド。

「ふふ、申し訳ございません。私は朝永の秘書の倉本灯里と申します。本日朝永が来る予定だったのですが、すみません、急遽仕事が入りまして。代わりに私が」
「あ、そうなんですか」

 お世話になりますと倉本さんに頭を下げ、母親に別れを告げた。

「いってらっしゃい。頑張ってね」
「うん」

 今更だけど、俺会社がどこにあるのか知らない。
 言ってよ! 聞かなかった俺も悪いけどさ!





 電車を乗り換えて乗り換えて乗り換えて、降りて。目に入った景色はドが付く程の田舎だった。

「……え、あの。いや、えっと……」
「どうしました?」
「いや、その……本当に、こんん゛っ、……ここに会社があるんですか?」

 危うく「こんなところ」って言いそうだった。本当危なかった!
 そんな俺の内心を知る由もない倉本さんは表情を崩すことなく「ええ」と頷いた。

「ここからはバスです」
「バス!?」

 まだあんのかと烏羽駅と書かれた駅舎に背を向け、バス停に向かう倉本さんを追いかけた。
 そこでまたビックリ。予想よりバスの本数が少なかったのだ。

「す、少ない。ほぼない……」
「田舎ですからね。一本逃すと致命的ですよ」

 さすが田舎と言うべきか。
 時刻表を指差したまま固まる俺を見て倉本さんが笑った。

「バスを降りたら今度は歩き。徒歩10分のところにありますよ」
「じゅっぷん……」

 バス停から徒歩10分のところにあるらしい会社。ド田舎の奥地にあってちゃんと会社として機能しているのだろうか。俺が就職するところってもしかしてブラック企業!? と不安で胸がいっぱいになったが隣でバスを待っている倉本さんを見て、こんな可愛い女性が勤めてるんだからきっと大丈夫だと無理やり自分を落ち着かせた。

 バスに乗ること数分。バスから降りてまず思ったのは、「林!」だった。てか口から出てた。

「あそこの道を歩いた先にあります。あとちょっとです。頑張りましょう」
「ふぁい……」

 なんでこんなところに会社建てた……。
 ため息を飲み込み倉本さんが指差した道に目を向けると、地面にタイヤ痕がついていることに気付いた。
 車でここ通れるなら迎えとか欲しかったな。なんて厚かましいか。アハハ、ハ……。
 ハァ、徒歩10分かぁ……。
 遠い目をしていたら倉本さんに「大丈夫ですか?」と声をかけられ慌てて一歩踏み出した。





「えっ……」

 林の中を歩くこと10分。見えてきたのはビル――じゃなくて古そうだが立派な洋館だった。
 ポカンと口を開け建物を見上げる俺を気にせずに倉本さんは「こちらです」と入るよう促す。
 ちょ、待って早い! こここ、心の準備が……!

「え、これ……会社、なんですよね?」

 玄関で立ち止まり、倉本さんに問う。
 中は掃除が行き届いており予想に反してキレイだった。

「ここがどういうところなのかは後で説明されます。とりあえず今は靴を脱いでください」
「……ハイ」

 スリッパに履き替え、向かって右側廊下の一番奥の部屋に向かう。倉本さん曰く、そこが朝永さんの執務室だそうだ。
 コンコンとノックを二回。するとすぐに中から「入れ」と声が聞こえてきた。

「失礼します。翔斗さんをつれて参りました」
「……ご苦労。倉本、皆を会議室に集めておいてくれ。すぐに行く」
「はい。わかりました」

 中にいる人に一礼した倉本さんが、どうぞと俺の背中をそっと押す。
 緊張で激しく鼓動する心臓を服の上から押さえ、「しっ、失礼します!」と上擦った声を上げ室内に足を踏み入れた。
 中には男が一人。右手に万年筆を持ち書類とにらめっこをしている。
 その顔に見覚えがあった。当たり前だ。だってその人は昨日の……。

 書類に記入を終えたのか、朝永さんは万年筆を机の上に置きニヤリと笑った。