青天の霹靂



 超能力を酷使したせいで体がものすごくダルい。瞬間移動でパッと帰ろうにも、もうその気力すら残っていなかった。そして今、非常に眠たい。
 眠気をこらえ、家までの道をフラフラと歩いていた俺は前から歩いてきた人に気付かず、そのまま少女マンガよろしくドンッとぶつかって尻餅をついた。キャッ! イッタァ〜イ。とかふざけている場合ではない。

「す、すみません……」
「いや、こちらこそ。――怪我は?」

 差し伸べられた手を受け取るかどうか考えあぐねいていると、スーツを着た男性が屈んで俺の顔を覗き込んできた。

「やはりどこか怪我でも……」
「い、いや、してないです! すみません大丈夫です!」

 赤い瞳に赤い髪。
 整った顔立ちの彼に更にアクセントとして付け加えられたそれは、彼が持つミステリアスな雰囲気も相まって美男子と言えるに相応しいものだった。
 同性である俺が思わず見惚れちゃうほどの。それくらいの破壊力。
 この人、絶対にリア充だ……。彼女四、五人いそう……。

「あの、何か?」
「ハッ――!」

 何考えてんだ俺!
 ふと我に返り、慌てて立ち上がってふらついて、「おっ、と。急に立ち上がったら危ないよ」と支えられた。

「か、重ね重ねすみません……」
「いや、大丈夫だ。ところで、君はこれからどこに?」
「家に帰るところです」
「そうか。……本当は家まで送って行きたいところだが。すまない、これから急ぎの用があるんだ」

 一人で帰れるだろうか。と気遣わしげにこちらを見る男性に勢いよく頷く。

「大丈夫です! 気にしないでください! むしろ立ち止まってくれてありがとうございました」
「いいや、俺の不注意でもあるからね。じゃあ、俺は行くよ。気を付けて。――またね」
「はい!」

 はー、近年稀に見る良い人だったなぁ。あといい匂いがした。あれが大人の男ってやつか。ふむふむ。
 去って行くその後ろ姿を拝んでから、再び家に向かって歩き出した。

「――ん? またね……?」





 ゆっくり歩いて帰ってきた俺は、そんなに時間も経っていないのに久しぶりと感じる自宅を見上げた。
 母親への言い訳を何も考えていなかった。というより頭からすっぽり抜け落ちていた。
 あれから色々とあったから。

 不思議なことに。警察は俺に事情聴取をしてくることなく、俺をいないものとして慌ただしく屋上を動き回っていた。……いや、いないものというより警官たちには俺が見えていないようだった。
 ――まるでそこに俺が存在していないみたいに……。
 我ながら馬鹿馬鹿しい考えに、ありえないと頭を振った。
 
『爆発させて超常研究所に花を咲かすか、防いで無残に散らせるか――。フフ、どちらになるのかしらね』

 ふと、綾咲さんの言葉を思い出した。
 結果は……。

「爆発させて無残に散らせたな……」

 爆弾も、超常研究所も。
 目を伏せてため息をつくと、もしかしたら綾咲さんは誰かに止めて欲しかったのではないかと思いついた。
 黙っていればよかったのに。わざわざ場所も時間も教えたということは、そういうことではないのか。
 真相は、今となってはもう確かめる術がない。綾咲さんも同時刻に逮捕されたとのことだった。
 
 影は――おじさんに言われた通り――帰れと告げるやいなや、空気に溶け込むように姿を消した。
 あれは一体何だったのだろうか。
 痛めつけられた後頭部を労わるように触ってきたことから、敵ではないことは確かだが、正体が分からない限り味方とも言い辛い。

『それはお前の……』

 お前の――俺の、何だ?

「翔斗? どうしたの、お帰りなさい」
「え、ああ。ただいま」

 玄関に突っ立っていた俺に母親が声をかけてきた。いつもと変わらぬ光景。
 いつもと……。
 ――あれ? なんかおかしくないか?
 目の前で不思議そうに小首を傾げている母親を見て違和感を感じた。
 なんで。どうして。
 いつもと変わらない光景なんて、誘拐紛いをされた息子に向かってする態度じゃないのに。
 そうして行き着いた考えにゾッとした。

「母さん一体誰に何をされたんだ!」
「はぁ?」
「だっておかしいだろ! 俺今まで……!」
「そういえばあんた、今日は早いわね?」
「――は?」

 え、なに。誘拐された時って遅く帰ってきた方がいいの? え、そういう作法とかあんの?
 ……いやねーわッ!! 馬鹿かッ!!

「だって、友達と飲みに行くって言ってたじゃない。だからてっきり遅くなるのかと……。あ、そうそう。早く帰って来たならちょうどいいわ。翔斗、あんたに良い話が来てるのよ」
「え、なに?」
「お父さんが昔お世話になった人にあんたのこと話したら、なんと正社員で雇ってくれるって!」
「はぁ……?」
「お返事は代わりにしといたわ。お世話になりますって」
「……は!? え、勝手に!?」
「ああ、それと。明日その人が迎えに来てくれるらしいから、そのつもりでいてね」
「は、え……?」
「ちなみに社員寮での生活になるらしいから。そこんとこ夜露死苦!」

 ……すみません。何も理解できません。夜露死苦じゃねーよはっ倒すぞ。
 脱フリーター、略して脱フリという喜ばしい出来事なのに、当事者である俺の意志を無視して進められたそれは嬉しいと言えるものではなかった。

「翔斗がお世話になる方のお名前は朝永さんよ。覚えておきなさい」
「……ハイ」

 誘拐紛い事件がなかったことにされ、友達と飲みに行ったことになっている母親の記憶の改ざん。
 一体どういうことなのだろうかと疑問は残るが、特に害はなさそうなのでとりあえず気にしないことにした。