まさか。
満身創痍の身体を海楼石の手錠でぐるぐる巻きにされても尚笑顔を崩さなかったドフラミンゴの表情が、そこで初めて歪んだ。
「護送ご苦労様です、つる中将」
「あんたもね、いい子だからきっとうまくやっていけるよ」
「…恐縮です」
ふ、と口元を綻ばせて笑った男は、ドフラミンゴを護送してきたつると幾つか言葉を交わして、それからまっすぐドフラミンゴの方に歩いてくる。思わずあ、と怯えたような声が喉をついて出て、ドフラミンゴは視線を合わせないように斜め下に目を向けた。
「さぁ、行きましょうか」
そう眉を下げて笑った金髪の男は、インペルダウン看守の制服に身を包んだモアだった。何故だ、この男は海兵だったはず。地下の大監獄の看守などでは、決してないはずだ。
「…どうして」
震える唇が、なぜその男がここにいるのかを尋ねる。見られたくなかった。モアの前に立つドフラミンゴはいつも綺麗に着飾って、自信を持って彼を操ることが出来る両手を持っていた。それなのに今のドフラミンゴはその中の一つも満たしていない。汚らしい囚人服を身に纏った、ただの罪人だ。モアは不思議そうに首を傾げて一つ長い睫毛を瞬かせた。
「どうしてって、あなたは一応罪を犯したんですから監獄に入るのは…」
「そう、じゃねぇ…おれを笑いに来たのか」
男はあぁ、とドフラミンゴの言いたいことを悟ったかのように肩を竦めて、それから至極当然のように形の良い口を開いた。
「笑いに来た、というのは語弊があります、僕はこのインペルダウンに異動してきたんですよ」
それはおかしい、とドフラミンゴは眉間に皺を寄せた。そう簡単にインペルダウンと海軍本部を人間が行き来するものか。それに彼は、モアは海兵として順風満帆な出世街道を歩んでおり、人柄もよく、決してこんな左遷のような異動をさせられる人物ではないのだ。そこで、もしかして、という考えが頭を過って、ドフラミンゴが息を詰めた。
「…おれが」
「はい?」
「おれが捕まったから、お前も…」
もしかして、自分が捕まったから、モアもその連絡役、引いては監視役として、責任を問われたのでは、と。そう尋ねられたモアは、少し考えこむようにして押し黙り、やがてゆっくりと口を開いた。ドフラミンゴにはその間が、永遠のようにも感じられる。
悪いことをしたという意識はあるが、それは別に懺悔だとか罪の意識だとか、そういうものではない。ドフラミンゴは海賊として、世界を壊すものとして当然の事をしたのだ。
だがそれでも、モアのキャリア、人生に悪い影響を与えてしまった事に関しては、罪悪感を覚えた。その美しい男の目を、見ることが出来ないほどに。
あぁ、いやだ。自分が傷つくのは構わずに彼に付きまとう事はできたのに、彼に煩わしいと思われるのは堪えられない。それでもドフラミンゴは、モアの口元をサングラス越しに見つめるのをやめることができなかった。
「……ええ、貴方のせいです」
張りのある薄い唇が、そう残酷な言葉を吐いた。心臓をナイフで突き刺されたかのように、無防備な胸が痛んで思わず肩がビクリと跳ねる。彼の身体を操る手段を今のドフラミンゴは持たない。お前のせいだ、と責め立てるその口を塞がせることも、自身を慰めるためにモアの両腕を背中に回させることも、今は出来ない。もういっその事耳を塞ぎたくても今度は海楼石の手錠がそれを許さなかった。そうしてまた、一度は閉じたはずのモアの口が開かれる。もうやめてくれ、そう声を上げようとしたが震える喉からは嗚咽じみた喘ぐような呼吸しか出なかった。
嫌だ。あんな風に笑顔を浮かべたモアに、突き放され責め立てられるなんて。じり、と半歩よりも少なく足を引いて、次に胸を刺すだろう言葉に身を硬くして構えた。
「貴方と居たくて、ここまで追ってきてしまったじゃないですか」
身構えたドフラミンゴに、全く、と片眉を釣り上げてモアは口をへの字に曲げる。それは彼にしては珍しい、拗ねた子供のような顔で。
「…は?」
流石のドフラミンゴもこれには目を丸くする事しか出来なかった。ふう、と深い溜め息を吐いて、モアは腕を組む。
「泣きつく部下を残して赤犬元帥殿に直談判して殺される思いでここまで来たんです、事実上左遷ですよ」
「なっ…じ、自分で望んで来たってのか?」
理解出来ない、そういった風に詰め寄ったドフラミンゴに、モアは、あー、と金髪をかき乱そうとして、そっと看守の帽子を外した。さらり、と金髪が揺れて、その顔がドフラミンゴの顔を下から覗き込む。
「言ったでしょう、貴方を追ってきたんです」
責任、取ってくださいね。そう言って笑ったモアの目は、いつもと同じように柔らかくドフラミンゴを見つめていた。
「…〜っ、モア!すきだ!」
「はい、僕も好きですよ」
ドフラミンゴのなりふり構わない再三の告白に、モアは頬を赤らめて顔を綻ばせた。その表情に胸が締め付けられるように疼いて思わず彼に抱き締めて貰おうと両手を広げようとしたが、がちゃん、と両手の間の海楼石の手錠が音を立てた。忘れていたその存在を思い出してドフラミンゴが目を丸くすると、モアが堪え切れずに吹き出して、中途半端に上げられた彼の手を取った。
「…ふふ、まずは手を繋ぐところからでお願いします」
さぁ、行きましょうか。そんな言葉とともにエスコートされながら、ドフラミンゴはその格好に似合わぬ心からの笑顔を浮かべた。
何もかもを失ったのに、一番欲しかったかったものを手に入れてしまった、と。
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