まずは手をつなごう




インペルダウンに収監される囚人には通過儀礼がある。沸騰した「ぬるま湯」に浸かる程度のその儀式では名のある海賊は悲鳴一つ挙げないらしいが、海楼石での拘束を施されたままでなおかつ液体に浸かるというだけで肉体の疲労感はかなりの物だろう。

「…だりい」

ムスッ、と頬を膨らませるドフラミンゴ。その身体には変わらず海楼石の鎖が巻き付いていた。今さっき終えた通過儀礼によってじっとりと濡れた全身をモアに横抱きにされて、不機嫌そうにそう呟く。その様子にモアは苦笑して口を開いた。

「能力者は大変ですね」

薄い唇がそうドフラミンゴを気遣ってか、ちう、と額に唇を落とす。予期せぬ接触にサングラスの下で目を見開いたドフラミンゴは、次の瞬間には満足気に笑んで熱湯で濡れた頭をモアの胸に擦りつけた。

「それにあちーし、風呂には最悪だな」

「そうですね、こんなに貴方が疲れていてはおれとしても拷問する気が引ける」

ふふ、とそう優しげに笑んだモアに、ドフラミンゴもフッフッフ、と笑い声を重ねる。だが次の瞬間、数秒前のモアの言葉を理解した瞬間にその笑みが凍りついた。

「フッフッフ…おい待て、拷問って」

「えっ?」

「えっ?」

カツ、カツ、とモアの革靴の音だけが石造りの廊下に響く。暫し目を丸くしたモアと目を丸くしたドフラミンゴが見つめ合い、ややあってひくり、と口の端を引き攣らせたドフラミンゴがモアに問い掛けた。

「拷問?」

「はい」

「…だれが?」

「おれが」

「……だれに?」

「貴方に」

「………」

淀みなく答えるモアに、ドフラミンゴは言葉を失う。歩こうと思えば歩けるドフラミンゴを横抱きにしておいて、文句を言えば宥めるように額に口付けしておいて、そんなことをして今からドフラミンゴに無体を強いる気か。仮にも先程ドフラミンゴの愛の告白に自分も好きだと返しておいて、その相手をいとも簡単に苛もうと言うのか。ファミリー以外に対しては冷酷無慙、血の繋がった弟にすら悪魔と言わしめたドフラミンゴでさえモアの冷徹さに身震いがする思いだった。

だが、そうだ。忘れてはいたがモアはこの若さで海軍将校になるような、赤犬に異動を渋られてつるに太鼓判を押されるような男である。公私を混合して仕事に手を抜くなんてことはしないだろう。何を思い上がっていたのだろうか、とドフラミンゴは表情を曇らせる。ドフラミンゴが処刑となればモアはきっと躊躇いもなく首を切り落とすだろう。若いながら仕事は仕事と割り切れるモアは、だからこそドフラミンゴの連絡役に抜擢されたのだ。いくらモアがドフラミンゴを追いかけてインペルダウンにまで来たからと言って、相容れない存在同士なのだから恋人のような関係になれるだなんて、到底ありえないことだったのだ。

「…フッフッフ、まぁ、死なない程度に頼むぜ?」

「貴方を殺してしまったら本末転倒ですね」

無理矢理に笑みを作るドフラミンゴに対して、モアはにっこりと深い笑みを浮かべて、そうしてやっと辿り着いた目的地らしい扉を蹴りつける。ダン、とドアが破れない程度に鳴った音に反応してか、そのドアが内側から押し開けられた。どうやら鉄製の重い扉らしい。中から現れたどぎつい格好の女はモアとドフラミンゴの姿を認めると二人が入れるように大きく扉を開いた。

「新人君の、ん〜、初仕事かしら?」

「えぇ、ここをお借りします、先輩」

「ん〜、サディちゃんとお呼びなさい!」

「はい、サディちゃん」

脳内までどぎついらしい女は、その重厚な扉の鍵をモアのポケットに突っ込んで廊下を後にした。ぎい、と鈍い音を立てて更に口を開けた部屋の壁には一面拷問器具が敷き詰められるように並んでいる。その中のどれかを使って今からこの男に傷めつけられるのだと思うと、ドフラミンゴはその場から逃げ出したくなった。

拷問自体なら笑って受け流せるだろうが、その相手がモアとなっては身体でなく心が苦痛に耐えかねるだろう。もしも、本当はこの男が海軍上層部の命令で自分の拷問に携わるよう遣わされていたとしたら。もしもドフラミンゴが情報を吐きやすいように偽りの愛を囁いているのだとしたら。

「さぁ、つきましたよ」

そうしてドフラミンゴの体が優しく降ろされたのは、四肢を縛り付ける為に鎖が四隅に備え付けられた鉄の台だった。その鎖から嫌な雰囲気を感じ取るのはドフラミンゴの身に宿る悪魔だろうから、材質は恐らく海楼石とみて間違いはない。湯で濡れて小指を動かすのすら億劫な両手首をそれぞれ頭の横でやわく拘束された。ベッドの設備の割には少ないが、能力者にはそれで十分なのは全身から更に力が抜けた事で思い知った。

「…っ、それで?おれから何を聞き出そうとしてるんだ?」

にたり、と引き攣る頬に不敵な笑みを乗せて見せる。地下交易港の船の行き先及び取引相手、SMILEの流通経路、海軍への更なる侵入者の有無、ドレスローザ転覆の裏取り、そうして過去の余罪。叩けばいくらでも出るドフラミンゴからの情報は海軍も政府も喉から手が出るほど欲しいだろう。そんなものさっさと吐いて、モアから拷問を受けるという事態を回避したい。ドフラミンゴを拘束し終わったモアはそうですね、と何の気なしにポケットから小瓶を取り出した。

「…そうですね、聞かなければならないことは沢山あります」

モアは器用に右手の親指と人差し指のみでコルクの栓を飛ばして、左手でドフラミンゴの喉を撫で上げた。ぞぞ、と触れられた辺りの皮膚が粟立ち、背中を弱い電流がはしる。思わず、は、と息が溢れて開いた口に瓶の中の液体を流し込まれた。たった二、三秒のうちの出来事にドフラミンゴは目を見開いて、食道を焼けるように甘い液体が伝うのを認めた。途端に食道だけでなく、体の芯に火が燃え上がったように熱くなる身体。モアが瓶を放るのを茫然と見つめたドフラミンゴはふるり、と身体を震わせて彼に問いかけた。

「これ、何を…」

「媚薬です、即効性」

いつもよりぞんざいな口調でそう告げたモアは、新品の帽子を床に放りながら反対の手で首元のネクタイをしゅるり、と抜き去った。そこに感じた事のない危機感のようなものを感じてドフラミンゴは固唾を呑んだ。

おかしい。インペルダウンの拷問とはその階層ごとの特性が物語るように、肉体的な苦痛を与えるものでは。高熱を出したように震える身体を宥めながらドフラミンゴがモアを見上げると、いつの間にかドフラミンゴを組み敷く体制になっていた彼の獰猛な目。

「おれが、貴方に暴力を振るえるとお思いですか」

「仕事だったら出来るんじゃねぇのか?」

「できませんしさせません、貴方を傷めつけるのは本意ではないし拷問とはいえ誰かに触れられていると考えると気が狂れそうだ」

じとり、と舐め上げられるように全身を観察されて、身体が内側から熱くなる。薄っすらと開いたモアの目には隠しようもない雄の色香が垣間見えて、体の芯が震えるのを感じた。その艶に煽られて思わず乾いた唇を舐めて、ドフラミンゴは熱に浮かされたように笑む。

「は…随分と情熱的だなァ」

「えぇ、ですから」

ぽい、とモアが上着を投げ捨てる。上半身がワイシャツ一枚になった身体は海軍のコートやインペルダウンの制服の上から見るより逞しく、彼が着痩せするタイプなのだと分かる。さすがドフラミンゴを軽々と抱え上げるだけあるようだ。こちらを見下ろしてにっこりと深く笑うモアになにか含みのようなものを感じて、ドフラミンゴはふるり、と火照る身体を震わせた。モアの薄い唇が、ゆっくりと開く。

「手始めにどうしておれに会いに来なくなったのかからお聞きしましょうか」

身体に。付け足すようにそう言ったモアにドフラミンゴは呆気に取られて、それから首を反らして大きく笑った。どうやら心配事は杞憂だったようだ。そんなことを聞いてしまったら会えなくて寂しかったと言ってしまうようなものではないか。

「フッフッフ!めちゃくちゃ個人的じゃねぇか!」

「言ったでしょう?聞かなければならないことが沢山あると」

ちゅ、と微笑んだままモアがドフラミンゴの顕になった首筋にキスを落とす。隙をついたようなそれに呼び起こされる身体の熱が首をもたげて、ドフラミンゴの喉がゴクリと鳴った。

「…そうだったな、何でもいいから…はやく」 

「…いつも勝手に望みを叶えてしまう貴方に強請られるのも、良いものですね」

時間はたっぷりある。そんな意味を含ませて笑んだモアに、ドフラミンゴはサングラスの奥で恍惚と目を細めたのだった。そうして顔の横で拘束されたドフラミンゴの手にモアの手が重なって、指が絡み合う。それから。






まずは手をつなごう





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