脳内辞典



【鋭角】
4



「ナマエは、好きな子はいないのか?」

「好きな子〜?」

部活の休憩中、トレーニングルームの床にベタっと座って、ボトルを傾けながら新開の問いに空中を見つめる。うーん、と首を傾げると、新開が興味深そうにこちらを見ている気配がする。好きな子、と言われても、思い当たる節はない。彼女もいないし。悩む間もなく首を横に振った。

「今はいないかな」

「そう睨むなよ、靖友くん」

「え?」

俺への返答ではないな。俺の肩を飛び越えた新開の視線を追うと、ぎろり、そんな音がしそうなほど鋭い眼光と視線が噛み合って、お、と思って少しだけ怯んだ。荒北だ。最近入部してきて。ずっとローラーを回している姿はハムスターを連想させるが、口に出したらぶっ殺されそうなので言ったことはない。その荒北がち、と舌打ちをして顔を逸した。

「睨んでねーヨ」

「荒北は好きな子いないの?」

「アァ!?」

ガジョン、荒北のボトルが床を転がる。どうやら半分も入っていなかったらしい。まああいつ朝から一日ローラーだもんな。ぱっ、とひったくるようにボトルを拾った荒北が、目を見開いて驚いたまま、俺の顔を信じられないようなものを見る目で見つめた。横で新開が微笑みながらも言葉を失っているのが分かる。

「好きな子の話してたんだけど今、荒北は?」

まさかの飛び火だったようで、正しく絶句といった表情だった。もしかしたら思わぬ話を聞けるかも、と胡座をかいた膝に肘を付いて、話を聞く体制を見せた。は、と我に返った荒北が少しして声を荒げた。

「…〜っ、っわねェ!」

「え〜、つっめてぇ〜」

だろうなあ。へへ、と笑うと、荒北が残り少ないボトルの中身を煽った。あれ休憩終わる前に中身足しとかないと練習始まったら詰むな。なんてぼんやり思っていると、横から新開に肘で小突かれた。

「おめさん結構馴れ馴れしいよな」

「お前にだけは言われたくねーよ」

お前が言い出したんだろうが好きな子がどうのって。ちらり、と見ると、もう目線の交わらない荒北の横顔がいつもの素っ気ない真顔に戻っていた。そういえば、好きな子はいないけど、あの鋭角のように刺さる眼差しが少しだけ緩む瞬間が、俺は意外と好きなのだった。





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