脳内辞典



【結婚】
9



「嫌よ」

にこ、と笑って、ナマエはばっさりと言い捨てた。彼女の正面でまるで騎士のように跪いて小さな箱を差し出していたドフラミンゴの笑みが引き攣る。暫し沈黙が降りて、ふ、とドフラミンゴの唇から乾いた笑いが落ちた。

「フ、フッフッフ!何が不満だ?ナマエ」

さらり、とドフラミンゴの右手が、ナマエの髪をすくって耳に掛ける。その手をなんの躊躇いもなくぱし、と振り払った彼女は、満面の笑顔のまま歌うように言った。

「わたし、父さんとヴァージンロードを歩きたいし、母さんにウエディングドレスを見せたいし、姪っ子にヴェールの裾を持ってもらいたいし、友達からのお祝いの歌がほしいの」

それは年頃の女としては当然の願い。夢を見る瞳はゆったりと細められ、白魚のような両手の指が祈るように絡んだ。が、その口から零れたのは、地獄の釜の底から響くような無感情な声だった。

「でももう、何一つ、何一つ叶わないわ、一生」

ナマエがドフラミンゴへの嫁入りを拒んだのは、一週間前。そして、彼女の生まれた街が地図から消えたのが、一昨日のことだ。「帰るところがあるから」と、そうドフラミンゴの求婚を断ったナマエの帰る場所を焼き払ったのは、殆どただの八つ当たりではあった。けれど、帰る場所があるからドフラミンゴの申し出を断るのなら、帰る場所を無くしてしまえばあるいは、と思ったのは本当だ。

「何故だろうなァ、ナマエ」

それは、彼女がドフラミンゴのプロポーズを断ったからで。惚けるように首を傾げて笑ったドフラミンゴに、ナマエはまだ、甘い瞳で微笑むのだった。

「それは、あなたが一番良く知っているでしょう、ドフラミンゴ」

うふふ、フフフ、と、一見幸せそうな笑い声で部屋が満ちる。けれど、ナマエがドフラミンゴから指輪を受け取ることはない。だって、何もかもを失ったナマエがドフラミンゴに縛られてやる義理など、これっぽっちもないのだから。







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