不可能なんかじゃない


  ゆるやかな病


相変わらずこの街は華やかである。文字通り。色とりどりの花に囲まれてやんややんやと騒ぐ人混みに思わず本来の目的を忘れそうにになるが、とりあえず、と、昨日街を歩いた時に見かけた本屋を探す。品揃えも良さそうだったし、何よりこの島で拾ったと思われる病だ。資料もあるかもしれない。

少し前に買ったレタスと春野菜のポテトサラダが入ったサンドイッチを口の中に押し込み、その上からマスクをする。船を出てから口から花びらは出ていない。どんな法則性があるのかはまだ解らないが、それにしては助かったと思った。

歩いているうちに、割と品揃えの良さそうな本屋を見つけた。店主は気のよさそうなおっさん、という感じで見た目からだと八百屋なんて営んでそうだ。どうも、ど一声掛けてから店内を見渡す。探すのは医学書、の分野で良いのだろうか。

「…こんな時、医者がいたらなァ…」

キャプテンなら、一発で分かるかもなあ。そうふと、頭を過ったところで喉につっかえるものを感じてまた咳き込む。マスクの中でぼろり、としっとりとした何かが唇を滑った。ちくしょうめ。内心舌打ちしながらも、見るからに海賊のマークを背負っている奴が店先で横柄な態度をとっていたら営業妨害だと堪える。医学書の背表紙に指を滑らせるようにして一つ一つ探していた。

「伝染病、全集…」

そんな、分厚い本が目に入ったのは、数ある医学書の棚を三分の一ほど物色したころだった。感染した理由に大した心当たりもないので伝染病では、と考えていたので、この本の出現にはありがたさを感じた。ずしりと重いそれの表紙を開く。索引は後ろだ。

「何で調べりゃいいんだ…花びら…?」

医学書に、果たしてそんな不似合いな言葉が乗っているだろうか。半信半疑で、後半のページを開いた。花びら、少々言い回しが子供っぽい気がする。花びら、確かあの生チョコケーキの名前は。

「イエローフェアリーの、ザッハトルテ」

いや関係無えじゃん。花びら的な単語ないじゃん。ギリィ、と唇を噛み締めて更に考えを巡らせる。その後のシャチとの会話、店員との会話、ケーキについていたポップ。

すみません、これ花乗ってるんですけど、花も食えるんすか。ええ、こちらはバラを砂糖でコーティングしてありますので見た目だけでなくお召し上がりいただくこともできますよ。へえ、すげーなイッカクこれやっぱり食えるってよ。へえ、うまそう。こちら花弁の処理に卵白を使用しておりますので、アレルギーの方はお気をつけ下さい。そうなんだ、分かりました、ありがと。

「花弁の処理、花弁…」

かべん、と譫言のように喉が震える。それならまだ、乗っている可能性もないかもしれない。人から花が出る、動物から植物がでる訳のわからない病なんて発見されていないかもしれないが、調べないよりはいい。か行の索引をパラパラとめくっていると、ある一部分で指が止まった。

「花弁…!」

358ページ。一瞬衝撃に呼吸が止まりそうになる。片手で本の重みを支えたまま、ペラペラとページを捲る。あちこちたくさんの情報を集めようと、目が四方八方を泳いでいるのがわかる。と、その項目を見つけた。震える指が、文字の下をなぞる。

嘔吐中枢花被性疾患。通称、花吐き病。仰々しい名前が付けられていて、思いの外冷や汗が出る。

要約すると、こうだ。片想いを拗らせることで、その想いが花弁となり嘔吐物に交じる。直接的に人体に害はないが、花弁が喉に詰まるなどの間接的な窒息死の症例は数多く見受けられる。ウイルス性ではなく、他の嘔吐中枢花被性疾患の患者の嘔吐物(この場合は花弁)に触れると感染する。片思いの相手がいない場合は、それまで発症することは無いので、感染に気付かない場合もある。そこまで読んでおれは、ううん、と頭を悩ませる事になってしまった。

嘔吐物に、触れる。花びらが感染源ならばやはりケーキかと思ったのだがそこがどうにも引っかる。ケーキならシャチもキャプテンも食べたから今頃あの二人も発症しているはずだと思ったが、そうとは限らない事が分かった。そもそも感染はすれど片思いの相手がいないと発症しないのであれば確かめようがないらしい。かと言って、感染する花びらは、感染者の嘔吐物。カフェの雰囲気からしてそんな店の沽券に関わるような真似、そしてテロじみた行為は行わないだろう。

なら、花びらを、どこで。シャチとケーキを食べたあとからは花になど触れた記憶がない。ジャンバールに渡したラムネも瓶に入っていたし、ジャンバールも発症していないらしいので違う。いやだからジャンバールに片想いの相手がいるとかいないとか知らないけど。

それなら、その前、カフェの前だ。うんうん頭を捻って考える。雑貨屋に寄った、シャチと会った、通りを歩いた、カフェを見つけた、それから?

「…………あぁ」

合点がいった、おれはあちゃー、と額を叩いた。思い出したのだ。カフェの前で女性とぶつかって、咳き込んだ彼女からひらりと舞い降りた花びらを素手で掴み、そして地面に離した。それだ。咳き込んだ症状も、自分の今の症状にぴったりである。彼女はマスクなんてしていなかったから、恐らくこぼれた花びらをどうすることも出来なかったのだ。

思わず眉間にしわを寄せて、おれはその本を購入することに決めた。それと、カモフラージュになんと言うことはない、小説も何本か。とりあえず、花吐き病の項目を調べ終わったら何食わぬ顔でこの本をキャプテンに押し付けよう。そう思ったら、またマスクの中で花びらがこぼれ落ちた。

prev next

back


- ナノ -