不可能なんかじゃない


  どうしようもない


イッカクの見開かれた目からはらはらと零れる涙が止まった。きっとおれの発言の意図が理解出来なかったのだろう、もしかしたら、分かっていてその表情なのかもしれないが。喉の奥から這い上がってくる花弁を、また追い出すために咳き込んだ。

おれの事を、好きになれ。

言った、言ってしまった。仲間思いのイッカクがおれを見捨てられないと思って。今は仲間思いのベクトルが別の方を向いて離れる方を指しているが、こうすれば、おれが花吐き病に感染すれば見捨てられないと、そんな願いにも似た思い込みで。イッカクは優しい男だ。もしかしたら、おれの事を好きになる努力をしてくれるかもしれない。好きだと、優しい嘘を吐いてくれるかもしれない。それでもいい。おれの事を好きでなくても、離れて行きさえしなければそれでいい。出て行くと言われたらもう、こんなにも勝ち目のない賭けに出るしかないだろう。いや、こんなもの賭けですらなくて、ただこの男を引き止めるだけの戯言に過ぎない。イッカクの目が泳いで、ゆっくりと口が開かれた。

「……あんた、なにを言ってるんですか…」

感情が置いてきぼりの、震えた声だった。ふざけた事を言うなと怒鳴りたいのだろうか。なぜ唇に触れたと憤りたいのだろうか。どちらにせよ、おれには黙って先を聞くなんてこと、恐ろしくて出来やしない。

「…そのままの意味だ、お前がおれを好きになればいい」

「そんなの、おかしいですよ、だって」

「何がおかしい」

「だって、それ…」

なにか言いたそうに口籠るイッカク。それからその表情のまま掌で口元を抑えた。這いつくばったままの姿勢で、反対の手でぐしゃりと青い花弁を握り潰す。

「…お互いがお互いを好きで…両思いじゃなきゃ、意味がないんですよ…?」

「…そうだな」

なぜだか震える声に、おれは冷静に返すことしかできなかった。イッカクが、どんな答えを欲しがっているのか分からない。そもそもおれはイッカクがどう答えようと引き止める気でいるのだから。

もし、黙って船を降りようとしても、見つけ出して引き止めてやる。

「…おれだけがキャプテンの事を好きでも、意味がないんですよ…?」

「…そう、だな」

そうだな、と繰り返す。今の状態がそれだ。おれだけがこいつのことを好きでも意味がない。それに、イッカクだけが、誰かもしれない相手の事を好きでも。ここにいる花吐き病患者の二人共の気持ちがどうせ一方通行の矢印で終わってしまうのなら、そんな甘言を使ってでもイッカクを手に入れたい。

「…お前の好きな奴がどこの奴かって話をしたよな、イッカク」

「え、はい…しましたね」

「幼馴染、娼婦、女海兵…そんなもん、誰でもいい」

「だからそれは」

こちらを見上げるイッカクに、つかつかと歩み寄る。おれを追って更にその首の角度が上に上げられた。少しばかり苦しそうだ。目線を合わせるために膝を折ってしゃがんだ。まだおれの方が視線が少し高いが、ほとんど同じくらいの高さになった。

困惑しきった様子のイッカクに、一瞬怯んだようにして声が出なくなった。今こいつは状況を飲み込めずに混乱している。というか、そうだ、おれが「おれのことを好きになれ」としか言っていないからなのだろう。それだけ言えばどんなに鈍い人間でも真意を察すると思っていたが、こいつにはそれが通用しなかったようだ。一度浅く息を吐いて、それからもう一度口を開いた。

「…おれにしておけ」

「……え?」

「……お前が、拗らせるほど好きになっても振り向かない奴なんてやめて、おれにしろ」

「…な、なに…おれ、よく」

一瞬恋愛感情に疎いことを装っている人工の天然の女のような反応に、思わず右手が出そうになった。分からない訳が無いだろう。おれにしろ、なんて、好きでもない奴に言うはずがない。それでもイッカクの顔は間抜け面で、だからこそおれの言葉を理解していないのだということが分かる。馬鹿か、馬鹿なのか。

「…ここまでいってやらねぇと分からねェか」

「えっ、なんですか、だって、そんな」

おかしい、と、イッカクが手元の花びらを握り潰した。ふわり、と薔薇の香りが濃くなる。

「そんな、キャプテンがおれのこと…好き、みたいな」

ありえない、という風にやっと結論に辿り着いた間抜け面が、そう呟く。イッカクの手が震えている、声も。どうしようもなく情けない男だ。すぐ病気を拾って来やがって、島を降りる度にプレゼントなんて買ってきて、おれなんかのために金を使って、おれよりも喧嘩が弱くて、身長もおれより低いし、この間まで海賊のくせに酒も飲めない下戸で、どこの馬の骨かもわからないような奴に惚れて片思いなんてこじらせやがって。そんな奴でも、それでも、どうしようもなく。

「…お前が、好きだ」

観念したようにそう一言言ったおれに、イッカクはゆっくりと瞬きを一つした。





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