不可能なんかじゃない


  最高の名医


今おれは、百年の恋も冷めるような間抜け面をしているに違いない。その自覚がある。

「お前が、好きだ」

はい?と間抜けな声を上げそうになったから、慌てて口を噤んで一度ゆっくりと瞬きをした。落ち着こう。少し落ち着くべきだ。キャプテンが、おれを好きだと言った。今度は明確に。おれの勘違いではないんだとそう正すように、それかむしろ、おれが問い質した(していない)事に対して観念したように。その証拠でもないがキャプテンの表情は何かを諦めたかのように穏やかだ。なにを、なんて無粋なこと、もう尋ねる必要もないだろう。おれだ。この人はおれを諦めようとしている。否、少し違うかもしれない。おれに好かれること、それ自体を諦めようとしているのかもしれない。

おれが誰かに向けた想いが、まさか自分に向いているなんて思っていないのだろう。おれだって、キャプテンのこの花がおれのために散った物だなんて思いもしなかった、それと同じだ。キャプテンは欲しい物は力ずくでも手に入れると明言しているタイプだから、もしかしたらおれが船を降りると言ったら拘束でも監禁でもするかもしれない。それでも。

それでもこの人は、おれと仲睦まじく銀色の百合の花弁を拾い上げる未来なんて、想像もしていないんだろう。

ぎり、と唇を噛んだ。おれは今まで何を躊躇っていたんだろう。何故戸惑っていたんだろう。確かにこの思いは伝えるべきものではないと思っていたものだ。キャプテンが目の前に現れた時から持っていたものであって、それで一生隠したままでいようと思っていたものだ。たとえおれがこの人を、キャプテンをどんなに好きでも報われることなんてないと思っていた思いだ。確かにそんなもの、差し出して振り払われるならずっと隠しておいた方がましだ。そう思っていた。

「…お、れは」

黙りこくっていたおれが口を開けば、キャプテンの体が緊張したように強張った。さっさと好きだと伝えてしまえばその意外と華奢な双肩から無理な力は抜けるだろうか。

一度手をくしゃりと握って青い薔薇を握り潰して、それから開いた。この色はおれに現実を突きつけていた訳ではなかった。おれの気持ちが反映されていたものだったのかもしれない。不可能?そんなことは無い。手を伸ばせばもうその位置にたくさんの黄色い花びらが散らばっているのだ。キャプテンの顔から少しだけ目線を下げて、黄色い花弁に目線を向けた。何度も読んだ花言葉の本に、載っていた言葉。

「…キャプテン、黄色いチューリップの花言葉って、知ってますか」

「……いや」

この色も、素敵な意味を持つ色ではなかった。キャプテンはおれに好きな人がいると知ってそんな心境になったのだろうが、それも、現実では、ない。

「…それじゃあ、赤は?」

「あ?…赤?」

何が言いたいんだかさっぱり、という顔をしたキャプテンが片眉を釣り上げる。ほとんど睨みつけるような視線に苦笑して、左手を口元まで持っていく。咳き込むのではない。その手の親指の腹に、鋭く犬歯を立てる。

「っ、おい!」

がりり、と肉の繊維が傷付く音がして、嫌な感触。びりびりと広がる痛みに少し顔を顰めれば、口の中に吐き出したくなるような錆の味が広がって思わず歯列を舌で拭った。キャプテンが目を見開いて左手を看にかかろうとしてくるのを反対の手で制して、床に散った黄色い花びらを一枚手に取る。その際にぱたた、と何滴か血が床を汚したが、それは後で拭くとして許してもらおう。黄色いチューリップ。

「おれ、分かりました、何もしないうちから無理だって決めつけて諦めようとするなんてダメですよね、キャプテンにも力ずくで奪えとか、告白しろ、とか言って貰ったのに」

「…そうだ、な」

「だから…自分の気持ちを、伝えてみようと思います」

「……どこの」

キャプテンの掠れた声がやっとの事でそう呟いた。見上げれば険しい顔をしたキャプテンの顔がすぐそこにある。一度口を開いて躊躇うように閉じてから、くしゃりと表情を歪めた。

「……どこの島まで戻る?グランドラインの逆走でも、何でもしてやる、だから」

「…いえ、ここで大丈夫です」

必死そうなキャプテンにふ、と微笑む。拾った黄色い花弁でぐい、と親指の傷を拭うようにして真っ赤な血を塗り付けて、そうしてキャプテンの方に差し出す。

「黄色いチューリップの花言葉は、望みのない恋、です」

「…っ、あァ、そうか…」

一瞬目を見開いたキャプテンが、ふ、と視線を下げた。溜め息のように落とされた言葉は少し震えていて、いつもの彼らしさのない声色だ。キャプテンの想いが形になったその花の花言葉を揶揄して、望みはないという返事をしたと思われたのだろうか。あぁ、違う、そうじゃないんだ。好きな人がおれを好いていてくれると分かった。だから、少しくらいロマンチックな告白を、させてくれたっていいのではないだろうか。

「…でも、もちろんですけど、こうすると花言葉は違います」

す、と、血で汚れたチューリップの花束を差し出す。その色は付け焼き刃のようであるが真っ赤に染まっていた。赤いチューリップの花弁。怪訝そうにこちらを見つめるキャプテンに、おれは、ふ、と微笑んだ。

「赤いチューリップの花言葉は、愛の告白です」

ぱちり、とゆっくりキャプテンが瞬きをする。さっきのおれも同じように、訳が分からない、と言った表情をしていたのだろうか。伝わっていないようだったので血で汚れていない方の手でキャプテンの刺青だらけの手を取る。

「おれが好きなのは、あなたです」

「あァ?」

「おれが好きなのはあなたです、どこの島にも戻らなくていい、他のどの人間でもなく、あなたです」

「………おい、イッカク…」

「キャプテンのことが好き、で」

喉の奥が、むず痒い。キャプテンのことを考えているからだろうか。胸の奥からまた何かせり上がってくる。口元に手を当てて思い切り咳き込んで嘔吐感に身を任せた。ひたり、と手のひらに落ちる瑞々しい花弁。

「ぐ、え…ゲホッ」

「…無理はしなくていい、お前が出任せを言ったところで花吐き病は治るような病気じゃねぇんだ」

「……出任せじゃありません」

キャプテンの言葉に呼吸を整えてから反論するが、おれの視線は手のひらに釘付けになっていた。そこにはいつものようにおれが吐いた花びらがある。のだが。

「出任せじゃ、ありません」

はらはらと床に零れ落ちた青い薔薇ではないその銀色に、おれは思わずくしゃりと泣き笑いに顔を歪めて、キャプテンに血が付かないように右手を広げた。銀色の百合とは、こんなに美しい花なのか。目を見開いて、それから唇を噛み締めて眉間に皺を寄せたキャプテンが胸に飛び込んで来てその衝撃で噎せていたので、そっとその背中を、嘔吐感が楽になればいいと思ってゆっくりと擦った。

「っ、ゲホッ、か、は…」

「大丈夫ですか、落ち着いてください」

「っ、ばかやろう、ばか…っ!」

「伝えるのが遅くてすみません、好きですみません」

「それ、は、許す」

ぎゅう、と首元を両手で締め上げるように抱き着かれた。苦しい苦しいなんて涙を零しながら笑って、キャプテンの背中を抱き締め返す。

そうしておれは、死の外科医に治せない病気は無いという事を知ったのだった。




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