不可能なんかじゃない


  命令はしてない


まあ確かにそう簡単に許してもらえる事ではないというのは分かっていた。海賊にとって船を降りるとはいかなる理由があろうとはいわかりましたどうぞさようなら、となるような事ではない。一味を抜けるというのは機密を持ち出すことにも、自分の役割を放り出す事にも、そして、仲間を捨てることにもなる。幸いおれは重役についていないしがない戦闘員だ。ハートの海賊団には優秀な戦闘員が沢山いるからおれ一人が抜けたところで航海が困難になることもないだろう。

そう、そのはずだ。

「…おれは、もう、足手まといにしか」

「そう思うなら戦闘には出なくてもいい」

ただこの船に乗って衰弱していくだけの筈のおれが、どういう経緯でこの船に必要なのだろうか。仲間だから。その一言で片付けるというのなら、おれだって仲間の足手まといになりたくないからこの船を降りることを選んだのだ。ぎり、と唇を噛んで、キャプテンがおれの胸倉を掴んでいる腕に手を添える。

「おれは、戦闘員です、キャプテンを薄情な人だとは思いませんが分別のつく人だとは思っています」

今にも食って掛かってきそうなキャプテンに、言い聞かせるように続ける。

「仲間の役に立つことが全てとは思いません、それでも、役立たずにはなりたくない」

「……」

キャプテンが言葉を失う。それからふ、とおれからも表情を伺えないくらい俯いて黙り込んだ。その様子に、自然と眉間に皺が寄る。

おれだって、こんな病に掛からなければ。

こんな病気にかからなければずっとこの船に乗っていたい。クルー達と馬鹿やって、喧嘩を売ってきた相手をぶっ飛ばして、宴で騒いで、飯うめえとか言って笑って、キャプテンにまたプレゼントでも買って。それで、それで時たま笑顔が見られたら。その眉間の皺が取れて、仏頂面が少しでも緩んだら。それだけで幸せだったのに。

どうして結ばれないと死ぬなんて、そんな極論に追い込まれてしまったのだろう。見てるだけで幸せだったのに、笑って貰うだけで幸せだったのに。

結ばれたいと思った事がないと言ったら嘘になる。それでも、届かないものに手を伸ばせるほどおれは純粋でも、強くもない。それでも。

「…本当は、おれだって…この船を降りたくないんですよ」

とん、と、すぐそこにある壁に体重を預けて、キャプテンの方の向こうを眺める。見慣れた部屋だ。本棚、薬の瓶の並んだ船長室。キャプテンの頭は上がらない。一度口に出した言葉は戻ることは無いし、そう簡単に止まることもない。

「でも、仲間の足手まといになんてなりたくないし、あいつらに心配した目で見られるなんて真っ平御免ですよ」

真っ平御免、とは言い方が悪いが、おれがどんな病気を拾ってこようと「またかよ!」「お前免疫乳児かよ!」と茶化してくるような奴らだ。おれが本当に死ぬ病にかかったと知ったらペンギンだって苦い顔をしていたのに、ベポやシャチが知ったらまともな会話をしてもらえるかすら危うい。そんな最後を過ごすなんて、ただただ変な蟠りを残して死ぬだけじゃないか。

「それに、貴方がいる」

そう言葉を紡いだ瞬間、喉の奥から圧迫感が込み上げてきた。それにももう慣れたものでキャプテンの、おれの胸ぐらを掴んでいる手に花弁が掛からないように口元を手で押さえる。ぼろぼろと手に零れてくる青い薔薇を床に撒き散らすように捨てて、親指で口の端を拭った。

「キャプテンの前で無様に死ぬなんて、絶対に嫌です」

目の前で仲間のおれが死ぬところを見せてしまう?持っていた患者が治療の甲斐なく死ぬ?そんなことをキャプテンに味あわせるのが嫌なんじゃない。人間誰しもいつかは死ぬ。仲間と言ったって海賊だし、患者だって病気が命に関わるものなら死ぬこともあるだろう。ただ、おれが嫌なだけだ。おれが、この人の前で衰弱して命を落とす姿を晒したくないだけだ。

「だから、船を降りることを許してください」

その言葉を口に出せばキャプテンがばっ、と顔を上げて、人を殺しそうな目でぎりり、と睨み付けてきた。人を殺しそうというか、まあ厳密には殺しているのだろうが、そうではなく自分が今まさに殺されそうな目、という意味だ。射竦められて思わず口を噤めば、キャプテンの色の薄い唇が開いて、震える声が呻くように訴えた。

「…おれに、命令するな…!」

それから服が破れそうなほど引っ張られ、キャプテンに突っ込む形になる。首が絞まるかと思った。そのままたたらを踏んで文句の一つでも言ってやろうと口を開けば、唇になにかがぶつかって言葉が堰き止められる。

「……んむ!!!?」

まて、どういう状況だ、これは。目の前に広がったキャプテンを顔を、呆然と眺めてそう脳内で呟いた。




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