不可能なんかじゃない


  どちらが残酷か


ノックは決まって四回。この船に乗ってから初めてキャプテンの部屋に入った時からそれは変わらない。四回は礼儀が必要な相手に対して行うノックだ。それくらいの常識は一応どこかで詰め込んできた記憶があるのでありがたく活用させて貰っている。

「キャプテン、おれです」

ドアに手を滑らせる。いつもの如く奥に居るだろうキャプテンにそう声を掛ければ、中からいつもの如く返事があった。

「入れ」

「失礼しますよ」

ガチャ、と自分でドアを開ければ、暗い色の表紙の本がキャプテンの手から机に移動する。いつもより隈が濃いように見えるその様子に思わず眉間に皺が寄る。やはりおれはキャプテンの手を煩わせているのだろう。それでもどうにか笑顔を浮かべて手のケーキの入った箱を少しだけ持ち上げる。

「疲れてる時には、甘いもの、ですよ」

キャプテンはちらり、と箱に視線をやって瞬きをして、それからもう一度おれの顔を見た。何か言いたげに開いた口に、おれは首を傾げる。

「どうしました?」

「…体調は、どうだ?」

「あぁ、今日はいい感じです」

嘘だ。この空間に、キャプテンの前に、キャプテンの匂いのするこの部屋にいるだけでまずい。激しくまずい。咽るのを我慢しながら部屋の中まで入り、机の上に箱を置いてからキャプテンから少し距離を取って思わずしゃがみ込んでから、空いた両手でつなぎの胸元を掴んだ。

「!、っぐ、え…げっほ!おぇ…っは…」

「…いい、我慢すんな、咳で移るもんでもねぇからな」

す、と、背中を骨張った手が優しく擦る。乱れ切った呼吸を整えるように上下に往復する手は本当ならすぐに息が落ち着くようになるのだろうが、この病に関しては逆効果だ。おれの思い人が、キャプテンである限り。

あぁ、優しい人だ。優しくて、それ以上に残酷だ。

歯を食いしばって咳を無理やり止めてから、口の中に残った花びらがはらりと零れるのを感じながら唇を開く。喉の痛みに涙が出た。しかしこんなの苦しくとも何ともない。今から言わなくてはいけない言葉を考えたらこんなもの。

「キャプ、テン、おれ、船を降ります」

キャプテンに背を向けたまま、そう声を発した。ぴたり、と、キャプテンの手が止まる。そりゃそうだ、相談もなしにこんな事を言い出すクルーに驚くのも無理はない。船長の許可を取らないで船を降りる程の恩知らずではないが、今回は相談すら出来なかった、理由が理由だ。おれはキャプテンに告白する気もないし、キャプテンを諦め切れるとも思っていない。だからこの船にいたら悪戯に死期を早めることになりかねないし、キャプテンに自分のクルーが病で命を落とす所を見せることになる。キャプテンと同じ場所で戦うのに視界に映す度青い薔薇を吐いてなんていたら世話もない。おれはもう、この船で役に立つこともできないし、何よりペンギンはおれの思いを知っている。ベポなんか心配そうな顔をさせるだけで罪悪感にかられる。死ぬまでそんな環境に居るなんて、おれには無理だ。キャプテンもそんな事くらい想像に難くないだろう。

「…寝言は寝て言え」

「おれには夢遊病の気はありませんよ」

「っ、そんなことを言ってる訳じゃないくらいお前でも分かるだろうが…!」

少しの沈黙の後、キャプテンが口を開く。至極真っ当に答えたつもりだったが揶揄していると捉えられたらしく、理不尽な力で胸倉を掴まれて立ち上がらされて、そのまま後ろの壁に背中を叩きつけられた。ああ、これくらいは覚悟していた。寧ろ命すらない物と思っているので、ここで能力なしに首を落とされたとしても、文句を言うつもりもない。掴まれた胸元を責め立てるように揺らされて、おれは久し振りにキャプテンの顔を間近に見た。

「イッカク、お前…この船を降りてどこへ行くつもりだ…!」

なんでこの人は、こんなに傷付いた表情をしているんだろう。





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