不可能なんかじゃない


  眩しい人間


景色は、ぼんやりと烟っていた。何があるんだかわからない適当なパステルカラー程度しか色のついていない景色で、その人だけがおれの中で鮮明な存在だった。

おれは、その人を呼ぶ。彼を表す言葉で。その人を形作るには少し短いような気がするが、それでもその響きはとてもしっくり来るものだった。

(キャプテン)

「トラファルガー・ローだな」

白黒の線画の中に、黒と黄色の絵の具を零したように眩しい存在のキャプテンは、かつておれがハートの潜水艦に乗る前の手配書でみたそのままの姿だった。おれの手は腰に提げていた二本のヌンチャクに吸い付くように移動する。今はもう使っていない得物は自分の手にすう、と馴染んだ。キャプテンは首をゆっくりと回し、おれを目に写して面倒くさそうに顔を顰めた。

「誰だてめえは」

鼓膜に直接打ち込まれるような、聞き慣れた声だった。心地の良いその音の流れがおれに存在を示せと促す。今更何を、とおれは苦笑して言った。

(何言ってるんですかキャプテン、イッカクですけど)

「イッカク」

全く違う言葉が自分の声で聞こえて、え、と口が思わず動いた。気が付いたら、おれはおれを少し後ろから見ていた。目の前でヌンチャクを構えるおれは体勢を低くしていて戦闘態勢だ。あれ、と思って見ればその先にはキャプテンがいる。どうやらおれはキャプテンに戦闘を挑むらしい。

(え、ちょっと待った、死ぬぞおれ)

「ぽっと出のルーキーが億の首とは、世も末だな」

自分の意志とは関係なく紡がれる言葉に背筋が凍る。何を口走っているんだ、このおれは。いや違う。おれは、この言葉を発した事がある。

(…二年、前?)

そう目星をつければ、何もかもに心当たりがある。二年前、それは最悪の世代と呼ばれた億超えのルーキーが十一人も輩出された年。そして、おれがキャプテンに船に乗るように誘われた年だ。

ざ、と風が吹いて、白い壁に跳ねたパステルカラーの塗装が剥がれるようにべりべりと周りの景色が鮮明になっていく。しかし、色はない。鮮明と言ってもスケッチのような感じだ。景色は、治安の悪いらしい街だった。見覚えがある。

(…北の海の島だ)

そう、ここはおれの出身地ノースブルーのとある島だ。海賊なんかを始めとする賞金首を狩ることを生業として生きていた頃に、トラファルガー・ローというルーキーに鉢合わせた島だ。

酷い夢だ。こんな病気になってどうしてこの時の夢を。

若いキャプテンは賞金稼ぎのおれににたりと笑って、腕を伸ばして手の平を下に向けた。今は分かる。これはキャプテンの能力が発動されるポーズだ。

「ぽっと出でも、実力さえあれば伸し上がれる世界なんでな…ROOM」

ぶわ、とドーム状の空間が昔のおれとキャプテンを包み込む。今のおれまでは入らなかったが何も知らない方のおれはみすみす射程圏内に入ってしまったようだ。

「やはり、能力者か…っ!」

ざっ、と後ろに一跳びして距離を取る。それは正しい判断だがそれだけでは勝てない。分かっているのだが、オペオペの実は特殊だ。初めて見るそんなバケモノ能力に完全に的確に対応出来るほどこの頃のおれは出来た人間ではなかった。キャプテンの指が何の気無しにくい、と俺を引き寄せるように動いた。

「タクト」

その瞬間、距離を取るために後ろに飛んでいたはずの若いおれの体がキャプテンに向かってぶっ飛んだ。訳の分からなかったらしいおれは目を見開いてなすすべも無く宙を舞う。踏み切った方向とは真逆に空を飛ぶと、おれはそれを深く考えなかったらしく筋力だけを使って体制を立てなおそうと足掻いていた。

「身体能力は褒めてやろう」

「っ、にを…!」

ギリィ、とむかしのおれが歯を食いしばった音が聞こえる。そこまで見ていておれは苦笑した。此処から先、どうなってしまうのか知っているからだ。キャプテンの長剣、今となっては鬼哭と名前がわかるが、刃がおれの顔に迫っている。賞金稼ぎのおれはその刀に飛び込む形になっているのだが、刀を弾こうとヌンチャクを対抗するように構えた。が、無駄だ。

「え、あ…」

キャプテンの能力下でそんな抵抗は無に等しい。おれの目の前で、おれの体がバターのように真っ二つになって、キャプテンがそれにもう幾度か刀を振り下ろして、ちらばって床に転がった。顔のど真ん中で切られて転がっているので、裁断されたおれは声を上げることもできず目を見開いていた。

「残念だったな、賞金稼ぎのイッカク」

(はは!おれダッセェ!)

調理前の野菜のように細切れになったおれの横に挑発するようにキャプテンがしゃがみこんだ。じ、とまっすぐ観察するように見下ろす顔が今となっては少しだけ幼くて可愛らしい。がしり、と地面に転がったおれの首の左半分を持ち上げて、キャプテンが満足気に息を吐いた。

「生憎いまおれはクルーに困ってるって程ではないが、言うなればルーキーだ、猫の手も借りたい」

だからお前、おれのクルーになれ。そんな傍若無人な一言が、傍若無人な男の口から転がり出した。それから、初めてにやりと笑って、キャプテンは更に言葉を続ける。

「無言は肯定と取るからな、イッカク」

そこで、ゆっくりと、半分になったおれの顔、その目が眩しげに引き絞られる様子が見えた。今となって聞いてみればどこかの麦わら帽子の海賊か、と思うようなセリフだが、あの頃のおれにとってはこの人が初めてだったのだ。

こんなに、眩しい人間は。



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