不可能なんかじゃない


  哀歌をうたう


おれはどうすればいいんだろう。酒にでも入り浸ればいいのか、薬でもやればいいのか。きっとキャプテンはそれを良しとしないだろう。でも、ならばおれはどうやって残りの命を過ごせばいいのか。鼻歌を歌いながら大通りを練り歩く。もうここ最近でマスクは馴染みの装備品になっていた。空模様は、鼻歌とは対照的にどんよりとくらい。ゴロゴロと空から落ちる音は勿論陽気な歌ではない。

中毒のようにまた砂糖漬けの花びらを買った。自分から吐き出された青いバラを巻き戻すように、黄色いバラの花びらを口に入れる。売ってくれた店員は言っていた。これは、イエロードットのバラ、花言葉は、君を忘れない。

思わず自嘲げな笑みが浮かぶ。例えばおれが死んだら、キャプテンはおれを忘れないでいてくれるだろうか。そんなクルーも居たなと、誰とも知れぬ相手への恋心を拗らせて死んだ愚かな男もいたなと、その程度には思い出してくれるだろうか。おれがこの気持ちを黙っていれば、その程度の思い出になることは出来るだろうか。

肩が反対方向に歩く男にぶつかる。すいません、と謝ろうとしたが男は気にせずに女の手を引いていた。恋人だろうか。そう、あれが正しい姿だ。

結ばれたいなどと思っていない。死にたいとも思ってはいない。ただキャプテンを思わずには生きられない。そういうことなのだ。ただそれだけなのだ。

雨が振りそうだ。だから少しおかしくなっているのかもしれない。それとも、ある意味ずっと嘔吐しっぱなしだから疲れているのかもしれない。昨日はあんな懐かしい夢を見て、途中で息苦しさに目を覚ませば喉奥に花弁が詰まって激しく咳込んだし、床一面絨毯のように真っ青に染まっていた。皆でトランプをして馬鹿騒ぎした夜だったがそんな楽しみも吹っ飛んで死を間近に感じたのをよく覚えている。

このままではいけない。このままでは自ら首でも掻き切りかねない。ふらり、とこの街で初めて入ったカフェに足を運んだ。今日はシャチといないから一人だ。

いらっしゃいませ、と呼び掛けられ店に入れば、席は雨が降るというのを見越した雨宿りの客で一杯だった。空いているのはカウンター席のみだ。と言っても、この込み具合で一人テーブル席を使うなんて真似はちょっと申し訳なくて気が引けたからそれでいいだろう。

「カウンターいいっすか」

「そちらでお願いします、混んでて申し訳ありません」

「いえいえカウンター好きなんで」

よかった、と微笑む女店主にこちらも笑顔を向ける。カウンターは好きだった。情報も収集出来るし、人と話すのは好きだ。でも今は、何を口走るかわからない。それでも、カウンターにしか席が開いていないからといって店を出ようという気は起きなかった。一番近くの開いていた席の隣に、一人客らしき女が座っている。鮮やかなブロンドのその髪に、後ろから声を掛けた。

「お隣、失礼しても…」

そこから先は、声にならなかった。喉が引きつったように動かなくて、頭の中でダムが決壊したイメージが炸裂する。青い、バラの花弁が。胸元をぐい、と掴んでむせ返れば、声をかけた時に振り返った女が甲斐甲斐しくおれの背中に手を添えて呼吸に合わせて擦ってきた。見たことがある。この顔は、この女は。

「だ、大丈夫ですか!?」

なあ、あんたはキャプテンの腕に纏わり付きながらその声でどんな言葉を紡いだんだ。そんな言葉も言えずにただただその見覚えのある派手な女の前で咳き込んだ。




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