不可能なんかじゃない


  狸爺と隈野郎


どう思うかと聞かれたら、まあそこそこ悔しいと答える。女は目の前の男を少しだけ睨みつけながらそんなことを考えた。女は周りにちやほやされるくらいには家柄もいいし顔もスタイルも、頭もいい。そうしてこの島の花そのものとも言われることのある女達は、そうして男に注目される事を誇りとする。文字通り、高嶺の花である。この島の男たちは美しい物に目がなく、花に群がる蝶のように美女に集まる習性がある。

しかし目の前の男はそうではない。見た目は申し分ないどころか、この島にはいないミステリアスな雰囲気すら漂わせた恐ろしく整った顔の男だ。所謂イケメンというやつである。抜けるように白い肌に目の下を縁取る黒い隈が病的に見えて、しかしすらりと伸びた四肢は程よく筋肉をつけた戦う男のそれである。その男は今、島一番とも言われる高嶺の花である女には見向きもせず熱心にカルテを見つめている。その姿になるほど真剣さを察することができる。その辺でフラフラとハニーハントに勤しむ男よりはよっぽど好感を持つことができる。

「…この島には花粉症の患者は殆どいないのか?」

「そうですよ、普通花粉症というのはアレルギー性のものですが、もともと花と生きてきたこの街では私達の体自身が花を有害なものとしていないので、拒絶反応が起こらないのです、そこにあるカルテは旅行者や行商人の方のものですね」

「…なるほど、興味深いな」

この病院の院長である父と話し込んでいるこの男は海賊なのだという。人のいい院長は優秀な外科医でもあるらしいこの男からこの島でかかりうる病について教えてくれと尋ねられ快く了承した。曰く男は島に降り立つ度に当地の病院や診療所を訪ねて島の特有の病について話を聞いているらしい。それもトラファルガー・ローと名乗った彼のクルーが未知の病にかかってしまった時対処に困らないように、とのことだ。

「他に何か興味のある症例はありますか?」

「いや、特にはないが危険性の高い風土病があったら教えてほしい」

「そうですか、それなら…カーレン先生」

「…はい」

院長である父は、自分の娘であろうが仕事中は一人の医者として扱う。ふと呼ばれたその名前に一瞬対応が遅れるが、二人の方を見返せば四つの目がカーレンの方に向いていた。そのうちの二つ、優しい方の目が視線を外し、カーレンをトラファルガーに紹介した。

「私の娘でカウンセラーのカーレンです、親馬鹿でいう訳ではありませんが優秀ですので、お役に立てるかと」

手で指し示されて、礼を欠かないよう頭を下げる。それから怯まず強い眼光の男を見据えて名乗った。

「副院長のカーレンと申します、経営とカウンセリングに携わっております」

「…なるほど、よほど信頼していると見えるな」

「それはどうもトラファルガーさん、私が携わった厄介な風土病でしたら、確かにございますわ」

「ほう…例えば?」

「詳しい事はお教え致しかねますが」

カーレンがそう答えれば、トラファルガーの眉間にしわが寄った。だが誤解しないでもらいたいのは、カーレンも意地悪や我儘で口を噤んでいる訳ではないという事だ。カウンセラーの彼女が関わっているということは、患者の心理や個人情報に深く関わるということだ。だがまあ、症状と名前くらいは答えることが出来る。そこまで答えれば彼も納得したようで、椅子に浅く座り直した。

「…そうだな、なにも重病者なら院長が手掛けりゃ良い話だ、カウンセラーのあんただから治せる病気もあるのかもしれねぇ」

「ええ、その病はある意味心因性のものですので…」

心因性。カーレンが言うことは間違っていない。特殊な方法ではあるが伝染病とされているその病は、感染者の心に反応して発症するのだから。そう脳内で確認してからトラファルガーに話し続けようと口を開いた。

「その病気は、花吐きびょ」

ぐう。丁度カーレンの話を遮るように誰かの腹で虫が鳴いた。さっ、と顔を青くしたのはカーレン本人で、昼休憩の際に丁度相談者が被って食事をとりそこねた彼女の空腹を訴える腹時計だったからだ。

「……失礼」

「…いや、構わねぇ」

落ち着き払って詫びたものの内心恥ずかしさは否めない。構わない、と言ったように確かにトラファルガーは動じていない様子だが、院長は人当たりのいい笑みを濃くして娘の失態をやり過ごしていた。このタヌキ爺、と脳内で貶してから話を続けようと口を開く、が。

「トラファルガーさん、申し訳ないがカーレン先生はお昼時の相談で食事を取っていないもので、出来ればそのお話と一緒に済ませてもらってもよろしいですか?」

お代は出しましょう。そう言って大きめのベリー札を出してきた院長は、結婚適齢期になっても浮いた噂のない娘を心配でもしているのだろう。しかしカーレンにとってはとんでもない大きなお世話である。それ以前にトラファルガーは海賊なので公務員か企業の重役か堅実な方の医者しか眼中にないカーレンの恋愛対象には入っていない。細かいことを気にしない親のもとに生まれてくると子供は苦労することもある。

「お言葉ですが院長先生…」

「いや、おれもちょうど腹が減っていたところだ」

「…………そうですか」

この隈野郎、とカーレンの脳内で狸と熊が揃ったところで、彼女は無駄な抵抗は諦めた。大きなお世話の上司兼父親と腹が減って戦が出来ない海賊兼医者の前に、娘兼部下は立場がなかったらしい。院長の差し出すベリー札を受け取りながら、一応海賊のトラファルガーを配慮して個室の食事屋を脳内検索にかけた。





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