運命に唾を吐け!
貴方は私の神様

皆さんは「運命」というものを信じるだろうか。いや、これは宗教勧誘などではないのでそこはご理解頂こう。

前提として、おれは運命というのを信じたことがなかった。と言うのも、詳しくは言及しないが幼い頃から、言うなれば底辺の暮らしをしてきたことも影響しているのだろう。だって神がいて運命で人が導かれているのならこの世界はもっと平等で悪人は制裁を受けるべきで善人は優遇されるべきだ。だがたいして悪いことをした記憶もないおれが物心つく前から他人の持ち物を奪って生きていかなければならないような生活をしているという事実から、おれは運命など信じない事にした。

幼い頃に母親は死んだ。父親はそれから酒ばかり飲むようになりおれの存在など初めからなかったかのように視界に映さなくなって、いつしか家にも帰ってこなくなった。おれは、捨てられたも同然の子供だ。そう、父親など、家族など何の役にも立たない。運命どころか、神だっていない。

だからおれは徹底的に自分の力だけを頼りに生きてきたつもりだった。その為には殺しも厭わないし自分が生きるためなら何でもした。そのせいで誰に恨まれようと、それは運命だなんてものではなく単におれのしたことへの結果だから、と。

おれは自分でした事に対して自分で責任を取っているに過ぎないのだ。

その日も手癖の悪い集団から金を横取りして逃げ切った。悪いことをしたら罰を受ける?そんな事はない。そもそもうまくやれば証拠も残らない、犯人だとばれる事はない、つまり罰も受けない。そうしていればおれはいつまでも誰からも責められることなどないのだ。

しかしその日は詰めが甘かったらしい。一月ほど間を開けて同じ奴らから金をくすねてやったのだが、奴らはどうやらおれにわざと金を盗ませ、泳がせたところで仲間ごと一網打尽にするつもりだったらしい。しかし、残念ながらおれに仲間はいない。

「オラァ!さっさと仲間の居場所を吐きやがれ!」

「な、仲間なんて…いない…!」

「テメェみたいなクソガキが一人でこんな思い切った真似するか!さっさと言えばすぐ楽にしてやるっつぅのに、よ!」

手足を縛られ床に転がされて、執拗に暴力を受ける。おれを見くびった浅はかな言葉と共に鳩尾を蹴り上げられ、肺から強制的に空気が追い出されて、ひゅう、という音がする。胃の中だって何も入っていないのにその衝撃にえづいて、喉の奥から胃液が込み上げてきた。

「ぐぅっ、げ…ぇ、あ…ぁっ」

「いてぇだろ?相手が悪かったなァ?」

おれ達もガキにやられっぱなしは名前に傷が付くんだ。そんなおれにとってはどうでもいい事をぬかしながらいもしない仲間について尋問してくる。そんな男達に、思わず唇を噛み締めた。

どいつもこいつも仲間仲間と、群れなきゃ何も出来ないクズの目線でしか物事を判断できない。おれは仲間がいない分身軽で、気にすることも少ないしリスクも少ない。大きな盗みは出来ないが自分一人が生きていける分で丁度いい。仲間がいないからつけ込まれる弱みもないし、もしこれから仲間になりたいとか手を組まないかとか言う奴が出てきても絶対に断るつもりだ。

前回はうまくやった。宝物庫の周りに見張りの一人しか居なかったから忍び込んで背後から近付いて石で頭をぶん殴ってやったのだ。そいつが生きているかどうかは知らないが、その時は死んだようにピクリとも動かなかった。あとは簡単だ、見張りのベルトに括り付けてあった鍵で扉を開けて現金だけを持ち出した。宝石なんかは換金したら足がつく可能性があったから。下調べから作戦まで、全てそこまで考えた、一人でだ。でも失敗した。おれはきっと殺される。それはやはり運命なんていうお綺麗なものではなく、おれが失敗したから殺されるという結果と過程でしかない。

「それで?仲間の居場所を吐く気になったか?」

にたりとおれを蹴りつけた男が笑った気配がした。そんなものいないと言っているのに信じて貰えない。もう逃げ出したい心持ちにすらなった。

その瞬間、だった。

「…おいおい、いつからテメェらはおれが来ても出迎えねェお偉いさんになったんだァ?」

どこからともなく聞こえてくる、優しい声色の言葉。しかしその内容は完全に今ここにいる全ての人間を見下し、紛れもなく自分こそが上位者だと確信している言葉だ。おれを甚振るのに興奮してざわついていた空気が張り詰めて一気に静まり返る。

「ま、まさ、か…」

体を硬直させた男達の内の一人がやっとのことでその言葉を発する。それとは別に一人、恐らく声の主を迎え入れようと声が聞こえたドアに向かってぎこちなく歩き出して、ドアノブに手をかけた。

「っ!?ぐわぁっ!!」

だがその瞬間、文字通りドアが粉砕した。ドアの目の前に立っていた男はその衝撃で弾き飛ばされ、壁に背中を打ち付けて床に転がった。意識を失っているようだ。扉がなくなった部屋の外からぬっ、と男が入ってくる。

「ド、ドフラミンゴ…っ!」

「よォ…一週間ぶり、だなァ?フフフッ」

ひぃ、と引きつったような声が周りの男達から溢れた。おれには、何が何だかわからない。ただ分かるのは、この男達とは比べ物にならない脅威が、畏怖するべき存在が、今この空間に滑り込んできたということだけだった。

「…?」

かたかた、と自分の理解の範疇を超えて手が増える。分からない、怖くはないのだ。なのに体全体が震える。目の前に立ち上がったドフラミンゴと言うらしい男は少し猫背で、それでもこの空間の中の誰よりも大きく、そして堂々としていた。おれは床に拘束されて転がされ、立つことも許されない。その地面すれすれから、圧倒的な存在を見上げる。

神のようだ、と思った。

思わず惚けたようにその男を眺める。そうだ、相手からはおれは認識されていないだろうから、この表現が適切だ。こんな子供などないものと同じだろう。もしかして目の前の男は、人間が蟻一匹一匹の判別が出来ないように、そんな風にこの部屋にいる人間の顔が全て同じに見えているのではないだろうか。そんな考えさえ浮かんでしまうほど、男は人間離れしていた。

「さァて、待ってやった分は用意出来たか?」

サングラスで目元を隠したドフラミンゴは口の端をにたりと上げて三日月のように笑んだ。その言葉を予想していただろう周囲の盗賊たちはびくりと肩を震わせて、突然おれを指差して口々に糾弾し始める。

「あ、あぁ!見付けたさ!先月の分は半分、このガキに持って行かれたんだ!」

「そうだ!…だ、だから許してくれ…!」

「悪ィのはこいつだ!」

その責め立てられ方に恐怖を覚える。誰に何と言われようとそれはおれがしたことへの結果で変わりないし、文句を言うつもりもない。それどころかこの怖気付いた男共にいくら口汚く罵られようとおれは痛くも痒くもないのだ。

それでも、目の前に立つこの圧倒的な人は別だ。思考が読めない、何を考えているのか、何をされるのかも分からない。じっとりと身体が汗をかいているのを感じる。ゆるり、と盗賊達が示す先を追って男がこちらに視線を向ける。捉えられたその瞬間にぞわりと全身が凍りついたように感じた。男の口がゆっくりと動くのを、何も出来ずにただ阿呆のように眺める。

「…ふざけるのも、いい加減にしろよ?」

ぞくり、と全身が粟立った。ドフラミンゴの額にくっきりと青筋が浮かんでいるのも見える。サングラスに隠れた眼光が俺を突き刺してこないことが唯一の救いだった。盗賊たちは空気が変わったのに気が付いているのかいないのか、へへ、と取り繕うように笑う。

「そ、そうだよなぁ…あんたの金にガキが手を付けるなんて、許されな…」

「そうじゃねぇだろ、無能共」

怒りのあまりか、男は胸を弾ませて笑った。それとは対照的な地を這うような低い声。ひぃ、と周りから恐怖に慄く声が上がる。

「ガキが金に手付けられる隙だらけなてめぇらの無能具合の方が、よっぽど許されねぇ」

あぁ、初めて明確な恐怖がおれの体を支配している。男はおれに歩み寄り、目の前で膝を折った。激情のような怒りは鳴りを潜めて、おれに穏やかな視線が向けられる。

「…お前、名前は」

「グ、ラディウス…です」

吃りながらもどうにか名乗ると、男は少し面食らったように黙り、それからあんぐりと口を開けた。何だろう、おれの名前がどうかしたのだろうか。どくり、と心臓が大きく脈打つのを感じて、おれは目の前の男の言動をつぶさに観察した。

「あぁ…そう、なるほどな…フフ…フフフッ」

ドフラミンゴは額に手を当てて、噛みしめるように笑い出した。周りの男達はその様子に恐々として動けないでいるようだが、おれは笑うその人の表情を見て、思わず目を見開いてしまう。目が、離せない。

どうしてこの人は、こんなに苦しそうに笑っているのだろう。どうして何かを諦めたかのように、そんな風に。

「なァ、おれはな、運命も、カミサマも、実在すると思ってる、いや、毎回この瞬間だけは本当にそんなモンがあるんだと、尚の事思い知らされる」

運命、神様。

おれが一番嫌いな言葉だ。おれがどう足掻いても抜け出せないこの状況を言い訳にしたくなくて、絶対に認めまいとしていた存在達だ。足掻いて、足掻いて、それでも纏わり付いてきた言葉だ。

この人はどうして運命を、神様を、そんなものを信じているのだろう。こんなに大きな体で、こんなに大きな手で、自分の好きな未来なんて幾らでも選択できるだろうに。嫌いな物をなぎ倒して欲しいものを手に入れて、そんな風に好きなことが出来る人だろうに。ならば何がこの人にそんな顔をさせているのだろう。

いったいこの人は、何をその胸の内に仕舞い込んでいるのだろう。計り兼ねて見上げれば、その人は自嘲じみた笑みを浮かべて穏やかに続けた。

「海賊がこんな馬鹿げたことをと思うかもしれねぇがなァ…」

フフフッ、思わず、と言った様子で目の前の人から笑い声が漏れる。それからおもむろに右手が少し挙げられたかと思えば、その人差し指が何かを払うように動いた。ぶつり、と、おれの背中で音がして拘束が解かれる。四肢を縛っていたロープが切られたようだ。能力者、らしい。

「現にお前はおれの前に現れた…運命はあるぜ、グラディウス」

お前を探していた。

ぽつり、その言葉が目の前の人からおれに落とされる。雫のように降ってきた言葉は、じんわりとおれの身体に染み込んできた。心のどこかで渇いて荒んでいたひび割れていたところに、まるで、雨のように深く溶け込んだ。

ずっと一人だった。一人で眠りについて、一人で盗んで、一人で食事をとって、一人で生きてきて。その間何に縋るでもなく誰を頼るでもなく、ほんとうに、一人で。

それは本当は、辛くて苦しい事だった。

じんじんと縛られていた手首が痛む。投げ出された身体はそのままに、手を動かしてその人のズボンの裾、足首辺りの布を縋るように握った。今そうしてもこの人はおれに怒らないだろう。さっきまであんなに圧倒的で、畏怖すら感じていたのに。なのにこの人は、ドフラミンゴは、いや、ドフラミンゴ様は、今やおれを包み込み守ろうとしている神のような存在に他ならなかった。

「…な、何でもします、盗みでも殺しでも…だから、貴方についていくことを、ゆるしてください」

懇願のように、起き上がることも出来ずに地面に頭を擦り付ける。無様、そんなこと関係あるものか。今ここでこの人についていくことを許してもらえなかったらおれの未来はきっとない。それはこの人の金に手を付けたからではない。おれ自身の、この人の言う運命が、そう言っている。

「お願い、します」

おれが仕えるのに、おれが頭を下げるのにこれ以上の人はいないだろう。これこそ運命だ。今日まで縁遠く、信じることもなかった運命だ。おそらくこの人も振りかかる困難をその力で切り拓いて自分の糧にして、その全てを運命と受け入れてきたのだろう。

あぁ、もしかしたら今までこうして生きてきたのも、この人に出会う為だったのかもしれない。

フフフッ、頭の上で嬉しそうな笑い声が聞こえて、おれはぐい、と首根っこを掴まれて持ち上げられた。ぐう、と呻くと、すぐに尻の下に手が差し込まれて抱き上げられる形になる。片手で支えられてその腕に座るような体勢だ。

「金はこいつが盗んだんだろう?なら金を盗んだこいつを貰ってけばイーブンだ、今月分はいらねェ」

「ほ、本当か!よ、よかった!」

「あぁ、お前らからの金は、一生いらねぇ」

ひ、と一瞬喜色に包まれた男達が喉を引きつらせる。恐らくこの人のサングラス越しの眼光に黙らされたのだろう。

「後で幹部が来る、お前らは皆殺しだよ、フフフッ」

「そ、そんな、待ってくれドフラミンゴ!」

そんな冷徹な言葉にも、もう恐怖なんて感じない。だって、おれを抱き上げて包み込む体温はこんなにも温かい。それだけでおれは何もかもを許された気分になる。やっと見つけた、おれの生きる意味、おれの運命。

「あぁ、名乗り忘れてたなァ、おれの名前はドンキホーテ・ドフラミンゴだ」

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ…様…」

「ドフィでいい」

「いえ、そんな恐れ多いです…」

「…?そうか、それなら…」

その先に続いた呼び名を復唱して、小屋の外に出て開けた景色を見る。空はすっかり橙色に染まっていた。夕焼けだ。こんなに高い視点から夕焼けを見たのは初めてだった。とても美しい。きっと、この人と一緒に見ているからなんだろう。

「グラディウス」

名前を呼ばれて、はっと思考が引き戻される。若様が刺客を能力で縛り上げた所だった。芋虫のように地面に転がるのを見る限りどこかの海賊のようだ。すぐに合点がいってその男を担いだ。取り敢えずこの男がどこの所属かを聞き出さねばなるまい。

「尋問します」

結果おれはあの日あのまま、ドンキホーテ・ドフラミンゴについて行った。若様、と呼ぶことを許して頂いて、粉骨砕身この方に仕えてきた。力を与えられ、知識を与えられ、家族と呼ばれた。おれはもう一人で路頭に迷うこともない。これはおれの、運命だったのだ。

「吐きました、思った通りです」

「フフフッ、そうか」

おれが先ほど連れて行った男を若様の前に投げ出した。捕縛した糸こそ切れて無くなっていたものの、意識を失った男は片腕の肘から先が無くなっている。焼き切れて血も出ていない。若様から頂いたこの能力は痛みと恐怖の両方を与えることが出来るからとても便利だ。

おれは今、抗いに抗った運命に従って生きている。おれはなるべくして若様に傅いているし、なるべくして若様の部下になった。運命も味方につければ強い。割り切れないがそう思っていれば幾分か気も楽だ。どこか危ういこの方を、ずっと守れていけたらそれでいい。

こうしておれは、ドンキホーテ・ドフラミンゴに忠誠を誓ったのだ。








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