企画


「いや〜助かった!アンタ良いやつだな!」

そう高らかに笑ったのは目の前の底なし胃袋の男。あっけらかんとした笑顔にチャーミングなそばかす、オレンジのテンガロンハットが印象的な上半身裸の男だ。

言わずもがな、ポートガス・D・エースである。腕に自己主張の強い刺青だってある。疑う余地もない。おれは思わず苦笑して既に濃い出来事で満ち溢れた半日を振り返った。

今でこそドンキホーテファミリーに、もとの世界で言う義務教育を終えてない年齢の子供はいない。かつてはベビー5もバッファローも、そしてローも、ずっと子供の姿のシュガーだって本当の子供だった。だからこそ昔はコラソン、というかロシナンテがファミリーから子供を追い出そうと必死に振るいたくない暴力で追い払おうとしていたのだ。

そんな扱いに耐えかねてファミリーを去る子供たちに、あの頃は一応孤児院を斡旋してやっていた。ローには言ったことがあるのだがどうやら信じていなかったらしい。とはいえおれもあの時は破壊衝動に身を任せおれを悪のカリスマと慕いファミリーに入った少年の夢をわざわざ壊そうなんて思わなかったし、訂正もしなかった。お陰でおれは未だにローに特に酷い印象を持たれているらしい。まぁ、当然といえば当然のことだが。

悪の組織から子供を斡旋されて、孤児院もいい迷惑だったろう。宗教の影響が強く、人に施しをするのが当然だという信条の施設ではあった。だが一方的に子供を半ば押し付ける形で受け入れてもらっていたおれも、元一般人ハートが傷まない訳がなかったので、有り余るポケットマネーで支援はさせてもらっていた。

そしてもちろんファミリーを抜けて孤児院に行った子供たちが成長し、独り立ちしてからもその支援は秘密裏に続けている。ファミリーの誰も知らない、知ったら笑い者にされるか幻滅される。原作に反して勝手にこんなことしてると知られたら原作ドフラミンゴがすっ飛んできてイトイトでバラバラにされるのではないだろうか。おれはまだ死にたくない。

さて、そして今日は、そんな孤児院に支援金を届けに行くその日なのだ。なのだが。

何が悪かったのだろう、おれの運か、それとも日頃の行いか、珍しく国を歩いてから行こうなんて思ったおれの浅はかな判断か。全く笑えない。ともあれ、それは起きた。

「あ、アンタちょっと、そこ退いてくれ!」

孤児院に行く時の服装である少しレンズの色の濃い伊達眼鏡に、髪のワックスもオフ。普通のビジネスマン然とした大人しいスーツ、手には大きめのバッグを持って歩いていたおれの真横から、男が大声で叫びながら走ってきたようなのである。思わずそちらを振り返れば常人離れした速さで迫ってくる男の後ろから、コック服を着た小太りの男も走ってくる。こちらは随分と疲弊しているようだ。

「く、食い逃げだ!捕まえてくれ〜!」

「食い逃げ?」

食い逃げだそうだ。ゼェゼェと今にも倒れそうな程に疲弊したそのコックはよく見るとおれがひいきにしている飯屋の店主だ。知り合いならば尚更困っているのを見過ごせない。そもそもここはドレスローザ。今のところおれの国だ。騒ぎはないに越したことはない。

前を走るテンガロンハットの男の言うことはひとまず無視して、その男に見えない糸を飛ばして体の自由を奪おうとする。寄生糸。

「んお!?なんだ!?」

ぎぎ、と錆びついた人形のようにテンガロンハットの男の動きが遅くなった。これなら大丈夫だろう、と思った次の瞬間、視線の先で轟、と炎柱が立ち上った。男が、突然発火したのだ。

「ハァ!?おいアンタ!大丈夫か!?」

操って火の中から救い出そうにも、どうやら燃えて寄生糸も切れてしまったらしい。ち、と歯噛みしてその男に駆け寄ると、おれが手を伸ばす直前で何事もなかったように火は鎮火した。

「よし!これで逃げられる!」

「……」

ぶわ、と熱風でテンガロンハットが頭から外れる。その下から現れたのはどこかで見たことのある顔だった。

「…ポートガス・D・エース」

「ん?何だあんた、おれのこと知ってんのか?」

「知ってるも何も」

全国に手配書回ってんだろ。そう続けようとしたが、ゆっくりと後ろを振り返ったエースにつられて、おれもそちら側に目を向けた。エースの手首ががっしりと掴まれている。

「ゼエ…ゼエ…く、いに、げ…」

肩で大きく息をして、崩れ落ちてしまいそうな膝をガクガクと笑わせて、顔は赤を通り越して紫の小太りのシェフ。どうやらここまで食い逃げ犯を追ってきたらしい。エースもそのシェフのあまりの様子に同情心が湧いているのか、罰が悪そうに掴まれていない方の手で頭を掻いた。

「えっと…おれいくら食ったっけ…」

「十五万ベリー…ゼエ…」

「うわー…」

なるほどここまで追いかけてくるわけだ。エースが食ってる途中は店側は天国だったろうが、逃げられた瞬間に地獄絵図だっただろう。一人で十五万はいい客だもんな。問題なのはこの男だ。徐ろにリュックから取り出した財布を覗いて溜め息をつく。

「…おれ、今十万しか持ってねェ」

「そ、そんなァ!!アンタひでえよ!!あんなに食っといて!!ゴッホゴホ!!」

「分かったから!これから工面してくるから!」

「信用できるかァ!」

目の前で始まった掴み合い、と言ってもコックか一方的にエースを逃さまいとしている様子に、思わず天を仰ぐ。何してんだおれ。いや、でも食い逃げ犯は捕まえた。おれは正直関係ないけど何だか立ち去れない雰囲気だ。なんかすこし投げやりな気分になってきた。

「あー、なら後の五万はおれが立て替える」

この場を収束させるには、それしかなさそうだ。はぁ、と溜め息を吐く。一応今はこんな格好をしているが一国の、というかむしろこの国の国王だ。国王としてなら五万くらい端金だし、国民が困っているのを見過ごすわけにも行かないだろう。前世なら五万どころか千円くらいでも出すのを渋った気がするが環境とは偉大なものだ。目を見開くエースとコックの男。それを尻目にビジネスバッグから財布を出して、ベリー札を五枚取り出した。

「え、い、いいのか…?」

「良いのかってお前、金持ってねェんだろう?」

「そうだけどさあ…」

ほら、とコックの男に手渡せば大変安心した様子で、可哀想になるくらいペコペコと頭を下げて小走りで戻っていった。もしかしてあれがあの小太りなコックの全力疾走なのかもしれない。財布を閉じてバッグの中に戻す。まだ戸惑っているのかとエースに視線を戻せばはっと我に帰った様子で、突然ガバッと音がしそうなほど頭を下げた。

「!?」

「わりぃ!本当に助かった!ありがとう!」

「あ、あぁ…気にすんな、そこまで頭下げる事でもねぇよ」

「本当か!?いや〜助かった!アンタ良いやつだな!」

返事をすれば顔だけ上げておれの様子を伺った男は、その後ににっ、と爽やかに笑った。

「やっぱりそうだ、アンタ、七武海の…」

「ちょっとまて」

ちょっと待て。心からそう思ってエースの言葉を遮る。一瞬不思議そうに首を傾げたエースに事情を説明するべきか、と考えて、それから思い直す。

恐らくこの男は海賊であるものの、分類でいうと良い海賊に入るだろう。海賊王の息子という境遇を抱えながら屈託なく笑い、その重みに負けずに立っている。自慢の弟、白ひげをはじめとする「家族」を誇り、胸を張る男だ。「いいことをしているので黙っていろ」なんて、エースからしたら訳が分からないだろう。そうではないとしてもおれのイメージに反することが広まったらこれからそれが障害になり得るかもしれない。少し罪悪感を憶えながら口の前に人差し指を立てて小さく笑った。

「七武海っつうのは目立つ、今日はお忍びで来てんだ」

「へぇ、そうだったのか」

七武海は捕まんねえんだから堂々とすればいいのに。エースは腑に落ちなさそうに言うがとんでもない。普段着のピンクのコートでこの国を歩こうものならすぐさま全方位されてもてはやされるか好奇の目に晒されるかが関の山だ。とかく今は目立ちたくない。身長三メートルが何を言うか、なんて言わないでほしい。

「あァ、今おれのことは、そうだな…、呼ぶとしたら、名前で頼もうか」

「なんだ、偽名か?」

「フッフッフッ…そんなところだ」

使い慣れていた名前を偽名扱いされるのはなんだかおかしな気分だ。ふうん、とどこか不思議そうなエースを微笑ましく思う。そりゃお前みたいに背中の「誇り」丸出しで歩いている輩には正体を隠すなんて考えは不可解極まりないだろう。何とか納得させて、胸ポケットから懐中時計を取り出す。思わぬ刺客に時間を使ってしまったらしい。これでは着いた頃にはちょうど孤児院の子供たちの昼寝の時間になってしまうかもしれない。騒いで邪魔をしては悪いだろう。ぱたん、と懐中時計の蓋を閉めて目の前の青年に言った。

「悪ィな、これから取引があるんだ」

「そうなのか?んじゃあこれだけ聞かせてくれ」

ふと、エースの周りの空気が張り詰めたような気がする。少し色のついたメガネの向こう側から、その顔を見遣った。ああ、きっとこれは。

「黒ひげ、と名乗る男を知らねぇか」

そうか、もうそんな時期か。

「…いや、知らねぇな」

「だよなぁ…ここに来てたらアンタと戦うことになってる筈だし…また外れか〜…」

あーあ、と肩を落とすエース。きっと彼のためには黒ひげと出会わない方が良いのだと思う。運命は変えられない、事の方が多いからだ。

「まぁ何があったかは知らねぇが…死ぬなよ」

それは無理な注文だと分かっている。おれが今まで生きてきて散々決まった未来に苦しんだのだ。何も知らない彼が死ぬ未来を回避するなんて、そんな芸当がどうやったらできるだろうか。我ながらおかしなことを言う。苦笑すれば、エースは目を丸くしてから、にっかりと破顔した。

「ありがとな!ここは良い国だ!」

「フッフッフ、そりゃどうも」

踵を返し、洋菓子屋の方に足を進める。どうせ遅れるなら手土産の一つでも買って行ってやろうか、と思う。あんなローでも幼少期は甘いものを好んだのだ。間違いは無いだろう。ふと大きなモフモフの帽子を被った子供が頭を過る。あいつは、エースのいくつ上だっただろうか。少し上の空になった思考に、割り込むように大声が追いかけてくる。

「今度会った時はおれの弟の話でもしてやるよ!」

思わず振り返ると、両手をメガホンのようにしたエースと視線がかちあった。やれやれ、こちらはお忍びだと言っているのに。

「…おれにも、弟がいる」

思わずそう返事をすれば、もともと笑顔だったエースの顔が、星でも散らしたかのように喜色に満ちた。ああ、根っからの素直なんだろう。いつかお前の弟がこの国をぶっ壊しにやってきても、少しは大目に見ることにしようか。ふ、と笑って、もう一度視線を外した。

「またな!名前!」

仕方がない、その太陽のような笑みに免じて飯代も許してやることにしよう。おれは苦笑して後ろ手に手を振った。




蓮様、リクエストありがとうございました!







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