企画


ゾウの国、とはよく名付けたものだ。踏みしめたらぶに、と凹んだ地面を見て名前はそう思った。

ドレスローザからルフィ達とふた手に別れ、ビブルカードを頼りに辿り着いた巨体。象主と呼ばれるこの巨大な動物の上に、目的としていたゾウの国は存在する。そこに住むという人間嫌いのミンク族、その民族が、どんな凶暴な種族かとチョッパー、ナミはサニー号で終始不安そうにしていた。

「大丈夫!ナミさんの事はおれが守るからね〜!」

「できればおれの事も守ってくれたら嬉しいな、サンジ」

怯えるナミさんも素敵だ、と言いながら表情を曇らせるナミの周りをサンジがウロウロと動き回る。それを横目で見ながら、壁に寄り掛かって座らされた名前が微笑みながら言った。

先の戦い、ドレスローザで相見えたドフラミンゴ。その襲撃から船を守りつつサンジと共に戦った名前は、船体を守るためいくつかの攻撃を溢れるアドレナリンに任せて身体で受けたのだ。その結果、船医であるチョッパーを大いに嘆かせる結果になり、今は典型的なミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされている。そんな我が身を顧みない男を、サンジが振り返ってじろりと睨みつける。

「テメェは守られるより守るほうが性にあってんだろーが」

「よくお分かりで」

ふふ、と笑う名前に、不満げに歯を剥くサンジ。喧嘩は駄目だぞ、とはらはらする船医の心労は大変なものであった。が、ゾウに辿り着いた一行の心配は、全てが杞憂に終わる事となる。

名前の傷が開くまでもなく、侵略者との戦いは終わった。既に凄惨な状況だったゾウの国の国民たちは、それでもジャックの手先を退けた麦わら海賊団に深く感謝して暖かくもてなしてくれたのだ。もう少し早く来ていれば、という考えが頭を過る反面、これ以上多くの被害を出さずに済んで良かった、と彼らも厚意に甘えて歓迎を受けた。その歓迎、というのが。

「トリスタンちゅわ〜ん!!ガ〜ルチュー!!」

「あら、サンジさん!ガルチュー!」

リスのミンク族のトリスタンに踊るように歩み寄ったサンジは、その頬にすりすり、と自らの頬を擦り合わせる。トリスタンも、名前の腕の包帯を替える手を止めずに、それに応じてふふ、と微笑んだ。

そう、このゾウの国の挨拶、ガルチューというのが曲者だった。男女関係なく、相手の頬に自分の頬を擦り合せて好意を示す、それはまさに女好きのサンジにとっては女子と関わる免罪符的存在だ。サンジが国中を回って挨拶を繰り返しいることは知っていたが、目の当たりにすると嫉妬を通り越して呆れてしまうな、と名前は笑った。相手からはガルチューは挨拶としか認識されないのだから、そもそも嫉妬する必要すらない。名前の笑い声で彼の存在に気が付いたのか、サンジが散らしていたハートの海から浮き上がって、トリスタンからバッと距離を取った。

「げっ!名前!」

「げっ、は酷いな」

ぴし、と飛び退いた形で固まったサンジが、恐る恐るトリスタンと名前を見比べた。包帯を替え終わったトリスタンは余り気にした様子もなく道具を片付けていて、名前はいつも通り柔和な笑みを浮かべている。その笑みに実際他意はないのだが、過去の経験からありもしない不穏を感じ取ったサンジがあたふたと弁明を始めた。

「や、誤解だ名前…!お前だってするだろうが!挨拶だこれは!」

ね!と念を押すサンジに何を必死になっているのかと首を傾げながらも「ええ」とトリスタンが微笑む。当然の事を確認されて少し不思議そうにしながらも、手元の医療器具を片付け終わったらしい。それを見計らってか、名前が目を瞑って彼女にす、と左頬を差し出した。

「ありがとうトリスタン、ガルチュー」

「いえいえ!はい、ガルチュー!」

「あァ!!?」

すり、と触れ合う頬を見て、サンジがバタバタと後退った。トリスタンがその場を後にして、サンジと、まだドフラミンゴに袈裟懸けにつけられた怪我が治らずベッドの住人の名前だけが残る。しれっと居住まいを正す名前に、サンジの胸にふつふつと嫉妬と怒りが湧いてくる。自分は挨拶と説明しておきながら、これだ。

「お、まえ、おれの目の前で…」

怪我人でも容赦はしない、浮気は罪である。サンジは自分のことは棚に上げまくって利き足の踵を上げた。全く気にした様子のない名前は、それでもサンジの怒りの理由を理解しつつ両手を広げてに、と笑った。

「ほら、サンジも」

「アァ!?んだとテメ…えっ?」

もはや殺意すら見せるサンジに、名前が笑顔のまま首を傾げる。ウッ、とまた下がろうとしたサンジに、ダメ押しの一言が掛けられた。

「おいで」

「…〜ッ、クソ…ッ!」

ぐっ、と心臓辺りの服を掴んで、サンジが大股で靴を鳴らして名前に近寄った。一応今の名前は怪我人なのだし、歩くのも一苦労だろう、と自分に行き聞かせる。名前はベッドの横に座ったサンジの左頬にそっと手を添えた。かちん、と石のように硬直したサンジの顔を、名前の右手がそのまま引き寄せる。

そうだ、分かっている。仮にも恋人にベッドに招かれて何も考えないサンジではない。名前の瞼がゆっくり伏せられて、段々と二人の顔の間の距離が詰められていった。あぁ、唇が触れる。ちらり、となけなしの余裕で部屋の入り口に目をやって、誰も入ってこない事を確認して目を閉じた。思えば、キスをするのはいつぶりだろうか。そう思って唇への柔らかい感触を待った、のだが。

「はいサンジ、ガルチュー」

「む…!?」

むに、とサンジの左頬を潰すように柔らかいものが押し付けられる。ばっ、と目を開ければ、それは紛う事なく名前の頬だった。突然身体を強張らせたサンジに、名前も驚いて目を開ける。

「…?どうした?」

心底驚いたように目を丸くした名前は、サンジの顔を覗き込む。ガルチュー。確かに今、名前はそう言った。最初からキスをするつもりなど無かったのだろう。信頼を表す、挨拶の動作だ。だというのに今、サンジは近付いてくる名前の顔を見て、何を期待したのか。ぶわ、と顔に血液が集中するのが自分でも分かる。その突如とした赤面に、名前が思わず目を細めた、その時だった。

「名前、来たよー!あっ!サンジがいる!いいなー、わたしもガルチューしたい!」

「!?っ、キャロットちゃん!?」

スタッ、と僅かな音を立てて、部屋の入り口の前の踊り場にキャロットが着地する。がばっ、と名前の上体を押して距離を取ったサンジと、流れかけた甘い雰囲気を壊したキャロットの登場に苦笑する名前。名前からしてみればこんな酷い怪我で興奮でもしたら、傷口から血が吹き出してしまうのではとハラハラしていたので、むしろ心の中でキャロットに感謝すらした。楽しそうに弾みながら歩いてくるキャロットに、大人しく頬を差し出す。

「…はいはい、キャロットもガルチュー」

「ガルチュー!体調はどう?」

「おかげさまでとても良いよ、ありがとう」

「よかった!サンジもガルチュー!」

「が、ガルチュー!キャロットちゃん!」

ガルチュー、の挨拶のあと、キャロットは名前のベッドの隣の椅子、サンジの正面に座った。名前が話す外の世界や海の話を聞きに来たのだという。そういえば数日前、彼女に今までの冒険の話を面白可笑しく話した事を思い出した。もちろん全て事実の話だ。

「そ、そうなんだ〜!じゃあ、おれは戻ろうかな…」

「どうして?キャロット、サンジの話も聞きたいよな?」

「うん!聞きたい聞きたい!」

どことなく気落ちした様子のサンジが立ち上がるのを、袖を引いて阻止する名前。う、と言い淀んでもう一度座ったサンジにすり、と頬を寄せた名前は、彼にしか聞こえない声でぽつりと言った。

「キスは、また後でね」

「…この、クソキザ野郎…!」

「サンジ!?名前が死んじゃうよ!?」

「ははは、あいたたた」

サンジの嫉妬の蹴りを甘んじて受け入れて傷を再発させた名前は、当然の如くチョッパーに大目玉を食らう事になった。サンジは、まったくの自業自得だ、とそう思う反面、後で病人食でも作ってやろうと思う。結局、何だかんだサンジも名前も、他人を巻き込んでいちゃついているのに他ならないのである。





匿名様、リクエストありがとうございました!







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