「ゾロ、あんたまーたサンジくんと喧嘩したでしょ!」
いつも通り巨大串団子のような石ダンベルで素振りしていたら、呆れてものも言えない、というようなナミが声を掛けてきた。否、ものは言っているのだが。これはほんの例えだ。今現在おれが振り回しているものが彼女に当たったら危険極まりないのでそっと手を止めてゆっくりと降ろす。転がらずにしっかり甲板にダンベルが横たわったところで、ナミに視線を移した。
「なんの話だ」
全く、心当たりがない。顔を顰めて言えば、ナミは溜め息を吐きながら額に手を当てた。おれとサンジが喧嘩したことなんて一度もなかったはずだ。おれはゾロほど気が短くないし、サンジがなんだか知らんが勝手に怒ることはあってもおれがそれに乗せられて喧嘩に発展することはあまりない。まぁゾロほどって言ったって、おれがそのゾロなんだけど。とりあえずナミが言っていたことの心当たりを探す。
「…あー、そういやあのコック、おれの言葉を聞くなり何か怒鳴り散らしてすっ込んでったな」
あった。喧嘩と言えるほどのことではないが、先程その件の人物が散々おれを罵倒してぷんすこ怒ってキッチンに引っ込んで行ったような記憶がある。その理由も、一体何だったか。思い出そうとして宙を見つめるが何も出てこない。ナミがもう一度溜め息をついた。
「アンタほんっとーに鈍いって言うかなんて言うか…サンジくんのことなんて考えてないみたい」
「なんでおれが」
そんなことはない。おれだって一応原作のゾロよりもサンジと喧嘩しないように努めている。まぁ何故かおれが気をつけている分、あっちが逆におれのことを嫌いなのか何なのか突っかかってきて、結局サンジが怒鳴っている分量は変わってなかったりする。
「とにかく、今すぐに話して来ること!」
「後ででいいだろ」
「延滞料金取るわよ」
ここはレンタルビデオ屋か。そう声を大にして言いたいがこの世界にはビデオもDVDも存在しない。某植物の名前のレンタルビデオ屋の名称をぐっと口の中で抑えて、ままならないなと頭をガシガシと掻いた。
「おれは悪くねぇ、あのクソコックが勝手にキレただけだ」
「なにか言って怒らせたなら言葉選びが悪かったんじゃないの?」
「あァ…?」
「あんたね…サンジくんに一体何言ったのよ」
ナミにそう言われて、はて、と記憶を辿る。初めは軽口こそ飛ばすものの、比較的和やかに会話していた筈だ。しかしおれが何か言って、サンジは一瞬呆気に取られた後、眉間に皺を寄せて、それから声を荒げてキッチンに引っ込んで行った。何だったか、確かトレーニングの話から今日の晩飯の話にして、それから。
「…あー」
「ほらやっぱり、心当たりあるんじゃない」
ナミの目が瞼が半分落ちて、じと、とした目を向けられる。しかしおれとしては一概に自分だけが悪いとは思えないのだ。それどころかこれは、おれ、被害者なのでは。
「なんて言ったのよ」
ほら、どんな酷いことを言ったの。と白い目が責め立ててくる。居心地の悪さを感じて、素直にサンジに言った言葉を一字一句違えずに口にした。一瞬呆気に取られたナミの顔が、キッチンに消えていく前のサンジを彷彿とさせる。違う所と言えば、彼女がその後、はあ、と肩を落として呆れを隠さずに溜め息を吐いた事だろうか。
「なんなのそれ…あんた達、ほんっとめんどくさい…ちゃんと話してきて」
一蹴。こんな母親のようなことを言うナミでも、おれたちの年下なんだから笑えない。素直に従っておこう、と肩を竦めて船内に向かう扉を一瞥する。きっとサンジは今頃おやつを作っている頃だろう。喧嘩をしようと食事には引き摺らず、おれの分まで作る男だ。それがいつも仲直りの合図のようになっている、のだが、今回くらいはおれから謝った方がいいのかもしれない。ガシガシと緑色の髪を掻き乱して、まだじとりとおれを煩わし気に見ているナミに背を向けた。
「分かってる」
ガチャリ、と開けたドアの奥では、案の定サンジがキッチンのカウンターの内側に立っていた。ぱたん、と丁度冷蔵庫が閉まった音がする。テーブルの上にはもう使い終わった調理器具もない。成る程、冷やして固める系統のスイーツなんだろうか。後ろ手に閉めた扉の音で、サンジがこっちを向いて、それからあからさまに顔を顰めた。
カウンターから出て、カツカツと革靴を鳴らしてアクアリウムの前に立つ男。そのまま胸の内ポケットから取り出したタバコを咥えて、金色のジッポで火を点けた。ふー、と煙の塊が吐息と一緒に空気に溶ける。
「…ンの用だ、クソマリモ」
まるで何事も無かったかのようにそう尋ねてくる男。サンジの視線は一切こちらに向けられない。一応声こそ掛けてきたもののどうやら徹底抗戦の姿勢らしい。このコック様がへそを曲げているとナミが煩いし、おれも、少しばかり調子が狂う。別に喧嘩をしたくてしている訳でもないのだから。至極面倒ではあるが、自分が撒いた種なのだから仕方がない。無意識のうちに一つ舌打ちを零して、一言、悪かった、と言おうとして、口を開いた、が。
「サン…」
「アァ!?舌打ちしやがったなテメェ!」
ぐあん。と油断していた横っ面を声量でぶん殴られて、思わず少しふらついた。サンジ、悪かった。その一言が相手に届く前にポロッとおれの手元から転げ落ちる。何かと思ってサンジの顔を見遣れば、こちらを射殺さんばかりの目で睨み付けていた。謝罪しようと身構えていた気持ちに針が刺さったように、ぷす、と空気が抜けて萎む。あぁ、そうかい。そっちがその気ならこっちだって。
「…だったら何だっつーんだ、クソコック」
ぐ、と眉間に力を入れて、負けじと睨み返した。確かに舌打ちはしたけれど、それは決してサンジに対し文句があるとかではなく、今この状況を引き起こしてしまった自分に対して、というといい子ちゃんに聞こえてしまうな。違うんだ、取り敢えず、喧嘩がしたかった訳ではなくて。ふい、と視線を切って眉間のシワを解すように押せば、サンジもキッチンの方へ踵を返した。
「…出てけ」
「嫌だね」
拒絶の言葉に、間髪入れずそう返す。怪訝そうに振り返ったサンジの目を真っ直ぐに見据えて、おれは重ねるように口を開いた。
「ここにいる」
ぐ、とサンジが押し黙る。少し思案した様子で何か言いたげにこちらを見ている。サンジも恐らく、戸惑っているのだ。いつもなあなあに終わってしまう喧嘩にしっかり決着をつけようとしているおれに。踵を返したサンジの後頭部が、少しだけ下を向いた。ぽつり、とギリギリこっちに聞こえるか聞こえないかくらいの声。
「まだ、出来てねぇぞ」
どこかぎこちないその言い方に、おれまで釣られそうになった。近くの椅子を引いて、そこに腰掛ける。腕を組んで、ドアの丸い窓から外に視線をやると、色画用紙でもはっ付けたような水色の空一色だった。
「お前がいるから、いるだけだ」
腕を組んでそう返すと、沈黙が返って来る。無視か、と思ってサンジの方を見ると、目を見開いておれに視線を向けていた。その表情がじわ、と険しくなって、くるっと背中を向いた。冷蔵庫が開いて、その中から幾つかフルーツが姿を現す。見ると、カウンターの上にプリンが並んでいる。プリンアラモード。原作のゾロにだったら代わりにせんべいでも出ていたのだろうか。そんな風にぼんやりと考えていると、サンジが冷蔵庫の扉を閉めて言葉を選びながらおれに文句を言った。
「…おれだって一応…ちゃんとメニュー考えてんだよ、無理難題言いやがって」
忌々し気に、と言うには少し優しい口調だ。一瞬何のことを言っているのかさっぱり理解出来なかったが、その通り口に出すとまた怒らせるだろうと踏んで、暫し脳内で検索を掛ける。やや間があって、喧嘩の原因になったおれの言葉に対しての苦言だと察することができた。なるほど、もしかしてこの世界ではこういった言い方はしないのかもしれないと自分の考えなしを少し恥じた。確かに、前世基準でものを言ったと考えたらそうだ。合点がいって、複雑な心持ちになりながら額に手を当てた。
「ものの例えだ、何も本当に毎朝味噌汁じゃなくていい」
「はァ?」
顔を上げると、信じられない、とでもいうような表情をしたサンジが、殆ど睨みつけるようにおれを見ていた。「テメェが言ったんだろうが」と顔に書いてあるので、自分の本来の目的を思い出した。そう、おれは謝りに来たんだった。謝る、というか、誤解を解きに、だ。だが、ゆっくり誤解を解くのもそれはそれで恥ずかしい。
「…いや、そういうのあるだろ」
「アァ!?あるだろってなんだよねーよ!」
悩み抜いてぼそ、とそう呟くと、巻いた眉を釣り上げたサンジが声を荒げた。お気に召さない答えだったらしい。全く笑って貰えなかった冗談の解説をするくらい気恥ずかしいが、これは開き直ってしまうのが一番良い方法だと、おれは腹を括った。はぁ、と溜め息を吐いて、がしがしと頭を掻いて立ち上がった。
「ならその小せえ頭でも分かるように、言い方変えてやる」
「小顔と言え!!」
ぎゃん、と吠えたぐる眉コックに近付きながら、どことなく憂鬱な気持ちになる。プロポーズとは、断られるかもしれないという懸念とか、もちろんそういうのもあるけれど、一番は如何にこの気恥ずかしさを乗り越えるかというのが一番の問題だ、とおれは思う。そう思っていたけれど、まさか欠片も伝わらずに喧嘩にまで発展してしまうなんて思わなかった。確かに前世基準でも「遠回しなプロポーズだな」と思っていたけれど、サンジに言うならこの言葉が一番喜ばれると思っていたから。手が届く正面に立ったやけに神妙な顔をしているおれに、サンジが意図を掴みかねたように怪訝そうな顔をした。
「…おまえ、の料理が…毎日食いてぇ、いいか、毎日だ、これから、一生」
意味が分かるか。そう続けると、意味を掴み損ねていた様子のサンジの顔が、沸騰したように真っ赤になった。伝わったようで何よりだ。なら喧嘩もこれで終わりにしよう、と黄色い頭に手を置いてから、おれはまた椅子に座ってそっぽを向いた。とてもじゃないがお互い、こんな真っ赤な顔は見せられたもんじゃないから。
龍様、リクエストありがとうございました!
←→