企画


ハートの海賊団の潜水艦は、この日穏やかな海の上を進んでいた。甲板にはここ数日のシーツやツナギなど大きな洗濯物が所狭しと日光の下に並んでいて、それを干し終わった当番のペンギンはふう、と腰に手を当てて一息ついた所だった。やはり人間は日光を浴びるのが常。潜水艦は隠密行動にも長けているし機動力も申し分ないが、たまには外の空気を吸わないと参ってしまう。

ちらり、と周りを見渡せば他にいる何人かの当番もそろそろ洗濯を干し終わった頃だった。甲板で日向ぼっこする船長のローは寝っ転がるベポを背もたれにして目を閉じている。海軍の襲撃もない、平和な日だ。

「おーい!お前ら、コックから差し入れ!」

ドアを蹴り開けてシャチが甲板に出てきた。その手には洗濯当番の人数分の飲み物が置かれている。どうやら柑橘系の飲み物らしい。おお!なんて歓声も聞こえてクルーたちが集まりその飲み物を受け取っている。最後にペンギンがグラスを受け取った。思わず勢い良く煽れば日光で火照った体にレモンスカッシュが染み渡って、親父くさく声を上げてしまった。

もう一口口に含んでその冷たさを堪能した瞬間、船内からドタドタと騒がしい足音が。

「っ、せんっちょおおおおお!!!」

聞こえた。と思えば、甲板に殆ど転がるように出てきた男が、リラックスモードなローを騒がしく呼んだ。

名前。涙目で目を閉じたままのローに駆け寄る男は、ローの恋人である。

「…なんだ?痴話喧嘩?」

トレーを小脇に抱えたシャチが首を傾げた。ペンギンはさぁ、と肩を竦めてからその成り行きを見守ることにした。ともあれ、疲れた体にレモンスカッシュを摂取させるのが優先だ。ペンギンはもう一口それを口に含んだ。

涙目の名前がローに食ってかかっている。なにやらわめき散らされているローは至極面倒そうに目元を隠していた帽子の鍔を上げた。

「何だ」

「何だ、じゃないですよ!どうも最近体調がおかしいと思ったんです!」

「…ひとまず落ち着け」

「落ち着いてられる事態だったら最初からそうしてます!」

ぎゃんぎゃん、と甲板にいるクルーの目も気にしないで叫ぶ男と、放っておくとまた眠りの世界へ旅立ちそうな男。甲板のクルー達の視線はその光景に釘付けだった。と、言うのも、この二人がこんな風に怒鳴り散らしている風景など、彼らには見慣れないものだったからだ。端的に言え。そう冷静な声で一喝したローに対し、痺れを切らしたように一度うぬぬ、と唸った名前は、近海にも響き渡るような声で怒鳴り散らすように言った。

赤ちゃんが出来ました!!

その瞬間、甲板のクルー達が吹き出したレモンスカッシュで、美しい虹ができた。

「ゴッホ…っ!?あっ、洗濯物…!」

「だ、大丈夫だ奇跡的に掛かってねぇ!」

炭酸が気管に流れこんでしまったが、懸命にも今洗ったばかりのシーツの心配をするペンギンに、それを宥めるシャチ。だがその視線はなんという事もない痴話喧嘩だと思っていた言い争いに釘付けである。目を丸くしているローに、肩を強張らせた名前が更にまくし立てるように続けた。

「…なんでお前の方が孕んでんだ」

「本当ですよどういうことなんですかこれ!なんでおれなんですかおかしいでしょ!なんかしましたか!なんかしましたね船長!」

あえてここでは何がおかしいのかには触れないでおきたい。いやそもそもまず男は妊娠しない筈だ。そんな考えが頭を過ったがシャチはただその風景を見守ることだけに専念した。暫く名前を見上げて戸惑ったように押し黙っていたローが、はぁ、と溜め息を吐いてから腕を組んで名前を見上げる。

「…まぁ、お前が寝てる間に何度か心当たりはあるな」

「えええええ信じられないどういう神経してんですか!」

「良いだろたまにはおれにもいい思いさせろ」

「良い思いってなんですか彼氏の寝込み襲って孕ませんのが良い思いなんですか!」

何も聞かなかったことにしたい。仲間と船長の性事情なんて知りたくない。ペンギンは遠い目をして、それから隣のシャチに目線を落とした。しかしシャチは既に甲板に片膝をついて眉間を押さえている。こっちの方が重症らしい。ペンギンはそっと目線をローと名前に移す。そこではちょうど名前に「船長のひとでなし!マジキチレイパー!」と罵声を浴びせられていたローが一つ舌打ちをして口を開いたところだった。

「っせぇな…そんなに言うなら証拠持って来い」

ぽい、とローから名前に向けて放られたのは長方形の小さな箱だった。な、と目を見開いた名前がその箱に視線を落とす。おいおいまさか、と甲板の心の声がひとつになった。

「…妊娠…検査薬…っ!?」

名前の読み上げた声にやっぱり、と何人かのクルーが頭を抱えた。

「なんであんなもん持ってんだ船長…」

「ってかベポよくあんな所で寝てられんな…!」

「いや違うよく見てみろあいつ目開いてる!毛並みで見えないけど顔真っ青!」

「なにそれかわいそう!」

ローの背もたれになっているベポは未だ懸命にその役目を果たそうと必死に何も聞いていないふりをていた。いや、そこはもう寝たほうが楽だぞベポ…!ペンギンは思わずそのしろくまに声援を送りたくなった。その視界の端で、名前が唇を戦慄かせる。

「…おれがまさか、何の根拠もなしに妊娠したなんて言うと思いましたか…!」

「あ?」

ペシィッ、と貴族が白い手袋を投げつけるようにローの足元に投げつけられたのは、開封済みの長方形の箱だった。先程ローが投げつけた方のものと同じ模様のそれは、中身も同じだということを表していた。

「ンだからなんでお前も持ってんだよ!」

「もうおれ部屋戻ろうかな…」

見ているだけで精神が磨り減っているような気がする。ローがそれを徐に拾い上げて、眉間に皺を寄せた。

「…陽性…だと…!?」

「ここはグランドラインです…!雷の降る島があろうがサイクロンが神出鬼没だろうが男が妊娠しようが、ありえないなんて決めつけちゃこの先やっていけませんよ…!」

「テメェ…無駄に説得力のある事を…!」

ぐ、と歯を食いしばったローに、名前はニヤリと笑った。もう痴話喧嘩でも何でもない。ただの修羅場である。ふ、と勝ち誇ったように笑った名前はやれやれ、と肩を竦めて踵を返した。

「大きい声を出したらお腹減ったんで酸っぱいものでも食べてきます」

さり気なく妊婦の特徴を携えて。

「…おい、名前」

その背中を、ローが追いかける。ベポの腹に手をついて立ち上がったローは、片手で鬼哭を拾い上げて名前に歩み寄った。

まさか、といつの間にか床にまで手をついていたシャチはハッと顔をあげる。まさか、航海に妊婦(?)は邪魔だと切り捨てるつもりなのだろうか。じり、と下がった名前はローに果敢にもまた喚き散らしていた。

「な、何するつもりですか!やめて!もうおれ一人の体じゃないんですからね!」

「だからこそ、だろうが」

「ぎゃーっ!ちょ、まっ、船長!ごめんなさいこれ実はあの…!」

ペシ。一足で名前との距離を詰めたローは、その顔に突然ポケットから出した紙を押し付けた。ぐぬ、という呻き声の後、恐恐とその紙に手を伸ばした名前を見た後、そっと手を離す。顔から紙を引き剥がしてそこに目を通した名前は、ハッと片手で口元を抑えた。

「一人が二人になっただけだ、名前書いて持って来い…まとめて幸せにしてやる」

ふ、とローが笑む。その時確かにクルーには名前から発せられた、きゅん、という音が聞こえた、様な気がした。

「……婚姻、届…」

「残念だが、出生届けは持ってねぇ」

それは自分で役所から持ってくるんだな。ぽん、と自分より数センチ高い名前の頭に手を置いて、ローはふらりと甲板から姿を消した。残るは状況を飲み込めていないクルーと、身悶えする名前だけが残る。

「…ろぉおお!なにもう好き好き!大好き!イケメン結婚して!ごめん嘘だから!妊娠なんて嘘だから!出生届けはいらないからぁぁあ!あーやばいおれの嫁イケメン!ロー大好きもおおおお!お前の為なら妊娠するのもやぶさかじゃない!」

婚姻届を抱き締めながら甲板を後にする名前。今まで寸劇でも見ていたかのようにその状況に引きこまれていたクルー達はぽかんと口を開けて名前の背中を見送った。バタン、と扉が閉まったかと思えば、もう一度ガチャ、と開いて名前がひょい、と騒然とした甲板に顔を覗かせる。

「あ、そういやお前ら、ハッピーエイプリルフール!」

じゃ!と彼がおざなりに手を振ったその瞬間、毎年恒例の如く名前とローのエイプリルフールに巻き込まれたクルー達は膝から崩れ落ちるのだった。何週間か前からカレンダーをいじって周到にエイプリルフールを隠してくる名前。その名前の考えを見通して毎年騙されるどころか更に嘘を重ねてノッてくるローのせいで、今年は何人のクルーが巻き添えを食らったのだろう。頭痛すらしてきたペンギンは今年もあの二人に騙された、と、眉間を抑えた。

因みにローと名前は毎年打ち合わせ無しであのクオリティの寸劇を演じてくるのだから本当に一瞬信じかけてしまう。毎年四月一日のハートの海賊団クルーの心労は、どうも計り知れないところがあるのだった。






虹色様、リクエストありがとうございました!






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