企画


朝食、といっても午後に侵入仕掛けたギリギリ午前なのでほぼ昼食である。昨日ローと二人して前の島で買った医学書の内容についてああでもないこうでもない、と話していたら空が白んできていたのに気がつかなかったのだ。またペンギンにどやされる、なんて朝方布団に入った記憶はある。

握り飯に噛み付いてもしゃもしゃと咀嚼していたおれは、その一口を飲み下してから思いついたような自然さを装ってそうだ、とローの方に視線を向けた。眠そうな目を抉じ開けながらおれと同じように握り飯を噛み砕いていたローは、その気配を感じてなんだ、というようにゆったりと顔を上げる。

実は、他に好きな人が出来たんだ

「……?」

そうして突然引っ掛けた言葉に、ゆっくりと瞬きしたローは眠たそうに首を傾げた。あ、ダメだこれ、分かってない。

おれとローは、恋人同士である。毎日顔を合わせて毎日声を聞いて、毎日姿を見ている仲間同士でもある。そんな相手に突然衝撃的な発言をされて理解が追いつかないのか、はたまたまだ脳が覚醒しきっていないのか。半分閉じた目をゆっくりと宙で泳がせて、ローはもう一度おれに視線を戻して口を開いた。

「も、一度、言ってみろ」

「他に好きな人が出来た」

ぽつり、と至極真面目な顔で繰り返した言葉は、ローに届いたのだろうか。まぁこんな顔をして言っても、申し訳無い話、全くの嘘なんだけれど。

今日は、エイプリルフールだ。嘘をついていい日、とされているこの日を前から楽しみにしていたクルーもいれば、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑っていたクルーもいる。シャチなんかは専ら前者で、今朝は朝九時になった瞬間に奴の「敵襲です!起きてください!お前もだ名前!」という声でめちゃくちゃ起こされたのだ。もちろん速やかに跳ね起きて速やかに甲板に出て速やかにそれが嘘だと気がつき、速やかにローがシャチをサイコロステーキにしたのを見届けて二度寝した。因みにおれはどちらかといえば後者のスタンスを取っておきながら当日はなんだかんだ楽しむタイプだ。ダークホースですまん。

さて、おれに真っ赤な嘘を吐かれたローはというと。

「……おれ?」

その半分閉じた目の眠そうな表情のまま、こてん、と首を傾げた。なにそれ、卑怯すぎる。今までそんなに可愛く寝ぼけたことなかったくせに。うん、勿論可愛い。当然の如く可愛い。可愛すぎておれの語彙力の消失が進行している。可愛いけど残念ながらおれが言いたいのはそういうことではないんだ。

「いやあの、お前の他にね?」

せめて内容を理解した上での反応が欲しい。嘘の吐き損なんていやだ。少しくらいおれもエイプリルフールを楽しみたい。というか他に好きな人ができたって言ったときのローの反応が見たい。念を押すように話のパーツを小出しにして、少しずつ理解してもらおうと優しく話す。

「…おれの他?」

「お前が好きならわざわざ言わねぇだろう、これからどうなるか分からないとはいえ今のところは恋人なんだから」

わざと少し突き放した言い方をすれば、ローはじ、とおれを見つめた後にぼんやりとした表情のままぱちぱちと瞬きをした。だがそれが不規則に何度か続く。不思議に思っていると、その瞼がそのまますう、とローの眼球を覆った。

「ちょ、おい、食べながら寝るなって」

「…おれに、めいれい……」

「あーもう落とすから、飯落として困るのはお前だろ…」

ローの手から落ちそうになった握り飯をそっと反対側から支える。ローはぐずる子供のように唸りながらおれの手の上から自分のもう片方の手を添えて、握り飯を両手で持った。こう言ってはおれもシャチのように細切れにされるかもしれないが、まるで小動物が木の実を持っているようだ。いつもワイルドに片手で握り飯を貪るローはどこに言ったんだ。

「食べるか寝るかどっちかにしろよ」

「……ねる」

「できれば食べるを取ってくれた方が良かったけど、ほら、ついてんぞ」

よく見るとローの頬に米粒が付いている。もうそうしていると完全に眠気に負ける子供のようだ。仕方なく嘘は置いておくことにしよう。今にもこくこくと動きそうな頭を抑えるために握り飯を皿に置いて、それから片手をローの頬に添えて固定してから口元についた米粒を指で取った。それをぱくり、と自分の口に運ぶ。もったいない。

「…で、おれの話、わかった?」

「…?」

どうやらダメらしい。はあ、と溜め息をついてからもう一度自分の分の握り飯を手に取った。ローは顔を埋めるようにシャケ結びを食べている。こいつこんなに寝起き悪かったっけ、と思って顔をまじまじと観察するが、たまに白目を剥きそうになっている辺りこれガチで眠いんだろう。あの後おれより早く寝たんじゃなかったっけ、この人。

「…だから、おまえより、好きな人ができたの」

「…ん?」

「こ、こら!お茶熱いんだから気を付けろよ!」

おれの方に注意を向けたまま湯呑みに手を伸ばすローに、思わずまた話を中断する。その手が湯呑みに触れる前に止めて、おにぎりを置いた手で先にローの湯呑みを掴んだ。突然持っても火傷しない程度だ。それから一口啜って、お茶の方も言うほどではないと確認する。

「大丈夫だった、零すなよ」

「ん…、さっきの、話」

手を滑らせたのか、宙を舞うローの握り飯を皿を差し出して受け止める。どうやら相当眠いらしい。会話になるかは怪しいが、うん、と返事をして先を促した。眉間に皺を寄せて目を瞑りながら茶を啜るローが、溜め息を吐いてから口を開いた。

「…次はたぶん、わかる…」

「そうか、じゃあもう一回言うぞ?」

「言えるもんなら言ってみろ?名前」

「…」

もう一回言う、と断ってから口に出そうとしたのだが、どことなく言い知れない圧を感じて口を噤んだ。未だに顔は眠そうなローだが、なんだかさっきの言葉だけ嫌に明瞭に発音された気がする。さっきまでの舌っ足らずの寝惚け口調はどこに行ったんだ。

いや、しかしここまで来たんだからとりあえずもう一度くらいは言っても大丈夫なんじゃないだろうか。望みをかけて恐る恐る口を開いた。

「ほ、ほかに好きな…」

カチャリ。

脇腹に当たる硬いものの感触に、身の危険を感じて言葉を止めた。可笑しい。視線だけで何が当たっているのかを確認すると、さっきまで握り飯を持っていたはずのローの手には愛刀の鬼哭が握られている。そしておれの腹に突き立てられている鬼哭の鞘が、ぐり、と肋骨の間を抉るように動いた。

「声が小せェぞ」

地を這うような声に堪らず視線をローの顔に戻せば、眠気に細められていた筈の目はいつの間にか見開かれている。その光のない上に大きく開いた瞳孔を見て浮かんだのは「ヤンデレ」の文字だった。いや怖えーよ。おれだって流石にイベントを楽しむために諸手を上げて命を投げ出すような馬鹿ではない。ひくり、と引き攣った口の端を自覚しながら、それでもはは、と笑い声を上げた。

「なん、でもない」

「そうか、ならいい」

ローがそっとおれの肋骨から凶器を退ければ、その手からパッと音もなく太刀が消えた。なるほど、どこから引っ張り出してきたのかと思えばやはり能力で部屋から持ち出したらしい。オペオペの無駄遣いだ。おれが皿で受け止めた握り飯の残りをペロリと平らげた恋人様は、未だに凍りついたようになっているおれを余所に湯呑みを口元まで運んで傾けた。

「エイプリルフールだから許してやったが、次は無い」

「は、はーい…」

我ながら情けない返事だが、流石に命は惜しかった。勿論ロー以外に好きな人が出来たなんていうのは全くの嘘だったのだが、さっきのローの反応を見る限りどうやらエイプリルフールでもついていい嘘と悪い嘘があるらしい。おれは一度深呼吸をして朝飯兼昼飯を再開した。





市川様、リクエストありがとうございました!






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