企画


ドレスローザ。その国がドンキホーテファミリーの根城となってから、数カ月経った。素朴な国柄から新国王の趣味趣向によりいつしか姿を変えた愛と情熱と玩具の国。その中心、王宮にギャンギャンと説教の声が響く。通り過ぎる者達は何だと首を傾げたり、またかと肩を竦めたりと反応は十人十色だった。

「大体お前は若様への態度がなってなさすぎる!敬語を使わないし口を開けば殺す殺すとそればかり!部下の言うことじゃないだろう!それにお前は…おい、聞いてんのか名前」

「説教が長いから殺してもいいか」

「寧ろ今からお前を殺してやろうか…!」

殺気すら滲み出る説教の声に無感情で冷淡な文句が突き刺さる。ぐ、と苛立ちから地を這うような声を出したグラディウスは、数年前にファミリー入りした少年、名前を睨み付けた。グラディウスの胸程度には伸びた身長から寄越される泉に張った氷のような視線は一般人なら縮み上がる眼光だろう。表情も、まるで仮面のようにピクリともしない。

「ったく…、少しは表情を変えろ」

「これはおれの個性だ、おれのことを否定するならお前も細かいことで一々キレんのやめろあとその刺さりそうな髪型も」

「これはおれの個性だ!」

「えっ…?」

「こういう時だけ露骨に表情を変えて「え?その髪型好きでやってるの?」みたいな顔すんのはやめろ!」

「あ、じゃあおれドフラミンゴに呼ばれてるから」

「なんだと…そ、それならそうと早く言え!若様を待たせるな!」

じゃ、と名前はグラディウスの返事を聞く前に踵を返す。若様大好きなグラディウスが説教をしてきた時はドフラミンゴの名前を出せば脱出が出来るというのはこの数年で学んだ事だった。今まで怒られていたなんて苦い表情もその顔には出ない。廊下を進んでドフラミンゴの部屋まで来れば、軽くノックして許可を得てから部屋に入る。重厚なドアを開けるなり、ドフラミンゴは名前の顔を見て愉快そうに笑った。

「フッフッフ!おいおい名前、今日もグラディウスの説教かァ?」

「どうして分かった」

確かに名前は今日これからドフラミンゴに呼ばれてなどはいない。かと言ってそれだけでは突然ここへ避難してきたからといって説教だと推察するに不十分な理由だ。名前は無表情のまま首を傾げた。

「いや?お前が面倒臭そうな顔で入ってきたからなァ」

「そんな顔してない」

そんな顔してない。これは名前の感情をただ一人言い当てるようになったドフラミンゴに対する名前の口癖だった。そう言いつつも大抵ドフラミンゴの言うことは当たっているので名前は否定しながら自分の顔を触って確認することにしている。この顔は、自分が意識しなければ自動で動くことはまず無いはずなのだ。しかし、ドフラミンゴは必ずその後決まって言う。

「してるさ、お前の事なら…もう何でも分かる」

或る日、その無表情を、脅かす者があった。

ドフラミンゴが見るに、確かにそのメイドは可憐な娘だった。ベビー5のような苛烈な美しさではなく、雑草の中に一本だけ咲いているような小さな花のような娘だった。性格にも邪気の無い純粋な。そんな娘は世界を歩けばどこにでもありふれているけれど、名前のお眼鏡に留まったのはそのメイドだった。歳の同じベビー5と仲が良いようだし、どうやら彼ら二人には友達のように接しているようだ。

娘はいくら根気よく話しても表情を変えない名前に根気よく話し掛けているようだった。それで散々名前の表情を変えようと必死で話して、一通り迷惑にならない程度にそうすると肩を落として「またお話しましょう」と悲しそうに笑って去っていく。最初のうちは興味の無かったらしい名前の方からもたまに話し掛けるほど、その姿は一生懸命だった。ドフラミンゴの目にその二人の話している風景が止まるくらいに。

ドフラミンゴは、焦っていた。気に入っている自分の餓鬼の鉄仮面のような表情を、自分以外に変えられる存在が現れるのでは、と。

「よう名前、メイドでもたらし込んでんのか?フッフッフ!」

「わ、若様!おはようございます、ご機嫌麗しゅう…」

「あぁ、気にするな、お前は仕事に戻れ」

「はい!失礼します!」

ドフラミンゴが声を掛けると、メイドは突然の雇い主の登場に腰を折って挨拶した。ドフラミンゴあくまで丁寧に接してやると彼女は深く頭を下げて踵を返す。名前はその背中を見送り、面白そうに笑うドフラミンゴを振り返った。

「ドフラミンゴ、たらし込んでない」

振り返ったその顔を、ドフラミンゴが目に映して、その笑みが洗い落とされた塗装のように剥がれた。額に青筋が走る。殺気すら滲み出るようなその表情は一般人からしてみれば命の危険すら感じるようなものだろう。

いつも笑顔を崩さないドフラミンゴが気に入っている餓鬼をそんなに睨み付けるほどに、名前の今の表情は許し難いものだ。

「…その割には楽しそうな顔してるじゃねぇか、クソ餓鬼」

「……」

名前は、微かに口の端をあげていた。それは本人ですら自覚のある表情の変化らしく、名前はそのままドフラミンゴを見据えたまま、からかうように首の角度を変えて。

「…分からないのか?ドフラミンゴ」

にたりと歪に大袈裟に、獰猛に笑って見せた。

「……あァ?」

「尻尾を掴まれるような間抜けがしゃしゃり出てきてるのが愉快で堪らねぇんだ」

それはお世辞にも、ドフラミンゴが懸念したメイドへの好意だとか興味だとか、そんなものとはかけ離れているように見える。否、興味は興味で合っているのだけれど、名前のその顔はさっきの娘を人間としてではなく、他の何かとして見ている。それは名前の目線からでないとわからない事なのだろう。ドフラミンゴは勿体つけて話すような餓鬼に問うてみた。

「どういう、事だ」

「…あのメイド、どこの出か調べたか」

「パラダイス中盤の冬島らしい」

「嘘だな」

「何故」

「おれが直々に洗った、あれはノースでおれ達の潰した街の出身だ、両親と姉と弟をその時に亡くしている、詳しく調べたらここのメイド採用試験に使われた経歴は死んだ人間のものをベースにした偽装だ」

ほう、と片眉を上げたドフラミンゴは、名前のあのメイドへの興味の理由がわかった気がした。そうして引き結んでいたその口の端をゆるりと三日月のように釣り上げて、少し屈んで名前の顔を覗き込む。

「どこまで調べた?」

「あの女がノースを出てからの足跡、グランドラインに入りどうやってこの島に辿り着いたかだ」

「フッフッフ!仕事が早えなァ!」

「ジェノ海賊団、手引きしたのは恐らくそこだ、おれが入る前から敵対してるな?力のない女が一人で商船を乗り継いで運良くここに辿り着く?そんなもん出来過ぎてる、大方おれ達を貶めようと策を練っている最中あの女を見つけ、目的は同じだとか言う甘言で丸め込みドレスローザまで同乗させ内通役として送り込み利用しているんだろう」

唐突に名前の表情、何故笑っているのかをドフラミンゴは理解した。

「根拠は?」

「普段は電伝虫でやり取りしているらしいがあの女は一度だけ転送された資料を受け取っている、その資料の筆跡がジェノ海賊団副船長のものとほぼ一致した、前回の戦闘でドンパチやってる間に部屋から手書きのものを一枚拝借してそれと見比べたから間違いはない、メイドの方の資料は部屋から失敬して複写して戻したからバレちゃいない」

この餓鬼は、あのメイドを「獲物」として見ているのだ。そう理解した瞬間に今までの懸念が全て馬鹿馬鹿しいものになって、思わず腹を変えて笑いたくなった。全くこれだからこの餓鬼は面白い。

名前はドフラミンゴに殺す殺すと嘯くが、ただドフラミンゴが死ねば良いという訳ではないのだ。そのまだ少しだけあどけなさの残る顔が、不相応な狂気じみた笑みを作っている。その顔を見つめてやれば、餓鬼は更にうっそりと笑みを深くした。

「お前を殺すのは、おれなのに横からホイホイ出てくる輩を許すと思うか?」

「フッ、フッフッフ!名前、イイ顔してるじゃねェか!」

「お前の笑い方を参考にしている」

ひた、と屈んだドフラミンゴの顔に名前の掌が寄せられる。もう片方は彼自身の頬に。歪な作り笑いと、楽しげな心からの笑み。昔よりはうまく表情を作れるようになったか、と二人の顔に触れて名前が見当違いのことを呟く。その言葉にまた愉快そうに声を上げて笑ったドフラミンゴの、その唇の端にませ餓鬼の唇が寄せられた。翌日にはこの国から一人のメイドが姿を消すことになるだろう。それは命を落とすという事か、はたまた生きていた事実ごとか。

「おれがお前を殺すまで、おれがお前を守ってやる」

そう、ドフラミンゴには名前以外の殺人者など要らないし、名前の表情を変える人物はドフラミンゴ以外に要らないのだ。




彼方様、リクエストありがとうございました!




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