企画


「で?今度はどんな病気を拾ってきたんだ?」

心底呆れました。そんな声色で名前に尋ねたペンギンは、もちろん顔も然りだった。

「う、うざぎ病…?い、いば、ぎゃぷでんが調べてくれでる…」

「また風土病か…」

ペンギンがガックリと肩を落とす。なるほど、先程ハートの海賊団船長で船医のローが早足で自室に飛び込んで未だ出てこないのはそう言う訳か。そう納得して、テーブルに肘をついて座る名前に硬く絞った濡れタオルとコップに入ったスポーツドリンクを手渡した。ありがど、とだみ声で答える名前の両目からは、止めどなく涙が流れている。

「ウサギ病」とは、この島の古い古い風土病らしい。それこそこのご時世この島で、今この病にかかる者が殆どいないとされているほど古い病だ。症状はと言うと発熱や痛みはなく、発症したらただただ両目から一定期間涙が止まらなくなる、というとても体力を使う病気らしい。買い物の最中の世間話のついでに聞かされた話だったのでなぜそんな名前になったか、ということも聞いてみる。気前の良さそうな八百屋の婦人は高らかに笑ってしっかりと答えてくれた。

「一番は泣き続けてると、目がウサギみたいに真っ赤に腫れ上がるからさ!他にも理由はあるけどね!」

あ、これもしかしてうちの病気キャッチャーが掛かるんじゃね?と一緒に買い物をしていたシャチと顔を見合わせて急いで船へ帰れば船には船番のベポのみ。流石に島につくたびにこの心配はしなくて大丈夫か、と肩の力を抜いた所に患者は医者に手を引かれて戻って来た。杞憂では無かった。舐めてた。そう、ハートの海賊団が誇る風土病キャッチャー・名前は、寧ろそれが生き甲斐かのように面倒な病気を拾ってくるのだ。ここまで来ると尊敬の念すら感じる。

えぐえぐ。ぐすぐす。

ペンギンは目の前でタオルを目元に当てて肩で息をする名前に目を向ける。いくら病と言っても目の前でこんなに泣かれては何となく胸が痛むというものだ。生憎茶化し役のシャチは自分のどうしても必要だという買い物にもう一度出掛けているし、ベポは船番も兼ねてここには居るが海図の製作で忙しい。他のクルーは皆出払っているし、頼みの綱である恋人のローは部屋から出てこない。

「あー、まぁ、ストレス発散とかにはなりそうな病気だよな」

「もぅ、すどれすなんて全部流れだ…」

「…ほら、これ飲め、ずっと水分放出してるんだからいくら飲んでも足りないだろ」

「ん、ありがど…」

悪いな、なんて言いながらスポーツドリンクを煽る名前に、どことなく青春の一ページ的な要素を感じてペンギンは身震いした。まるで振られた友達を慰めている女子のようだ。ほらもう、きっと名前子にはもっといい人いるって!だなんて薄ら寒い。人知れず戦慄していると、二時間程前にローが篭った彼の自室のドアがガチャリと音を立てた。

「あ、キャプテン、終わりましたか」

「あぁ、まぁな…」

徹夜もしていないのに少し隈が濃くなったように感じるのは、その心労故だろう。デートの途中に突然恋人が正体不明の風土病で号泣し出したら誰だって疲れる。名前は目元にタオルを当てて冷やしたまま疲弊した喉で「ぎゃぷでん」と呼んだ。ローは無言でその正面まで歩みを進めてボロ泣きする男に問い掛けた。

「…今、無性に悲しくないか」

「悲じいでず、この世の終わりみだいでず」

そんな悲惨そうな事を口走っておいて名前の口元が笑っているのは目の前にローがいるからか、それとも病気に掛かり過ぎて病床の精神状態に慣れているからかどちらだろう。ペンギンは殻になったコップにスポーツドリンクを足しながら思った。ローがそうか、と一つ頷いた。

「ウサギ病はどうやら普通の風邪などと言った体内で有害と判断されるようなウイルスと免疫系との戦闘が起こるのに起因して発熱等の症状が発生するようなウイルスではなくウイルス自身が人体に影響のないものであると身体に判断させ免疫系を通過して脳内ホルモンのオキシトシンやエンドルフィンやドーパミンなどの分泌量を急速に減衰させる事によって…」

「…んん…?」

「この泣いてる馬鹿にも分かるように説明してやってください」

ペンギンにはそこはかとなく理解出来ているが、泣き過ぎて頭がぼうっとしているだろう名前には難しい説明だろう。そうでなくとも、脳味噌的には聡明なローやペンギン寄りではなく考えるな感じろ、なシャチ寄りな名前には難しい説明であると言える。この男は器用ではあるがこう専門的な分野になると人並だ。口を噤んだローが少し考えるように空間を仰ぎ見て、それから泣き続ける名前の頭に手を置いて、子供に言い聞かせるように少し屈んで言った。

「つまり悪いやつが感情を操って無理やり悲しいと思わされてるから涙が止まらねぇんだ」

「なるほどわがりまじだ」

「お見事です」

小学校の先生にでもなれそうな画期的な要約に名前は力一杯頷いた。これなら猿でも分かるだろう。そして死の外科医であるトラファルガー・ローが医学的な説明をここまで噛み砕いて聞かせるというのも中々レアである。

「…でもそれ、治し方とかあるんですか?」

「そもそもそんなに強いウイルスじゃねぇからほっときゃ消える、今すぐ治すならウサギ病のウイルスとは全く逆のハイになる薬をぶち込むくらいしかねぇな」

「え…それってドラッグじゃ…」

「そういう事だ、毎回厄介な病気拾って来やがって」

はぁ、と溜め息を吐いたローは、邪魔だからとニット帽の外された髪をくしゃくしゃと掻き回した。ペンギンとてローがクルー兼恋人、それ以前に患者に麻薬を処方するような人間でないことを知っているから、今回は長丁場になりそうだな、と苦笑した。

「…ん?あれ?」

唐突に名前が目元のタオルを外した。久し振りにその一般的な色の目が姿を表す。濡れタオルで冷やしていたからかウサギと例えられる程目元は腫れていない。ローが名前の髪を弄びながらその目を覗き込むようにして更に屈んだ。ずっと泣き通しだからか、ペンギンから見るといつもより対応が優しいような気がしないでもない。

「どうした?」

「…涙が、止まっでます」

名前があれ?と自分の涙袋あたりに触れる。ふやけて柔らかくなったそこには確かに涙が流れてはいない。ローは少し思案している様子だ。

「おかしいな、少なくとも丸一日は泣き続けると思ったんだが」

「あ、おれも街でそう聞きました、一日二日って」

「…もう少し調べて見る余地はありそうだな」

もう一度部屋に籠もる。ローがそう二人に告げて、最後に名前の髪を一撫でしてその手を離した、が。

「…お、おぉ?」

その瞬間にぼろぼろとまた名前の目から涙が溢れ出す。ペンギンは思わず目を丸くした。丁度目を見合わせたローもそんな顔をしていたが、一番驚いていたのはやはり本人だったようだ。

「あ、あれ、止まっだのに、ど、して…」

くしゃ、と眉間に皺を寄せた名前は腹立たしげに手の甲で涙を拭った。それでも涙は止まらない。本人の意志ではどうしようもないのだからそれは仕方ないとも言えるだろう。タオルでそっと拭えと教えたのに、とペンギンが辟易すると、それを見兼ねたローが名前の手首を掴んで静止した。

「やめろ、腫れる」

「だ、だっで、止まら…ん?」

「あ?」

べり、と顔から拭う手を引き剥がしてみれば、名前の目からまた一雫零れ落ちて、そして。

「止まった…?」

ペンギンが口元に手を当てて考える。もしかしたらこれは、いや、もしかしなくとも。何かを察したふうなローが、口元を引きつらせて恐る恐る、名前の手首を解放した。

「ああ?」

「あああああ!!?」

「…あぁ…」

三者三様の反応であった。首を傾げるペンギン、騒ぎ立てて手探りでタオルを探す名前、ローはそろそろ痛み始めてきた額に手を当てた。ペンギンがその二人にもしかして、としらけた目線を向けると、それを感じ取ってローが放り出されたタオルを拾い上げる。

「うわ、ギャプデンすびばせ…」

ひた、と名前の濡れた頬にローのタオルを持っていない方の掌が触れると、魔法の様に涙が止まった。やはり、とペンギンが肩を竦める。

どうやら名前はローに触れると、ウイルスすらも敵わない喜びを感じるらしい。

ペンギンはその瞬間にもう仲間の病気などどうでも良くなった。無言で惚気けられているような雰囲気すら感じて、あまりの甘ったるさにこの場を去りたいとすら思った。ハァ、と溜め息を吐くペンギンを尻目に、ローは濡れたタオルで優しく名前の頬を拭う。

「ったく、しょうもねぇなお前は」

「え?え?…なんれすか?」

「今日は一日中、ずっとおれから離れるな」

「んん…?わかりました!」

鼻が詰まっているらしく、な行の発音が覚束ない名前を見てももうスポーツドリンクを差し出す気にもなれない。ペンギンはそっとドリンクを注ぎ足してやったコップをバカップルの傍らに置いた。素晴らしい治療法が見つかって良かったのではないだろうか。ペンギンは至極面倒そうに、しょうがないと言いながら満更でも無い様子のローと、何故一緒にいろと言われたのか分かっていないらしいのに返事をした名前を一瞥した。二人っきりにしてやろうと言う気遣いは、寧ろペンギン自身の精神状態の為でもあるのだ。

因みにウサギという動物は、厳密に言うと寂しくても死なないらしい。




トウ様、リクエストありがとうございました!






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