企画


「船長の右腕がペンさんなら、ペンさんの右腕はおれでもいい?」

にかっ、と名前が笑うのを、ペンギンはどこかもやもやした、複雑な気持ちで見ていた。そんな風に名前はペンギンの特別を名乗るけど、かと言ってペンギンは名前の特別ではない。どちらかと言うと名前はペンギンよりシャチの世話を焼いたり、そちらと一緒にいるほうが多い。本当はそれは一番ペンギンが欲しかった立場で、欲を言えばもっとそれより色々なものを名前から貰いたいし与えたい。そう思えたのは、生まれてこの方名前が初めてなのだ。さて、どうしたものかと考えてペンギンは結局いつも名前にこう言う。

「右腕に右腕なんて聞いたことないな」

ペンギンなりの肯定はこれだ。そう言うと、普段は快活としている名前は、彼らしくなく綻ぶように笑ってみせるのだ。それにこちらも理由もなく笑顔で返しそうになってから首を傾げて、まったく思わせぶりな奴だ、と心の中で貶して苦笑する。これがいつものやり取りだ。

名前は、シャチの世話をよく焼く。シャチはせっかちで豪胆な性格柄たまに取り返しのつく程度のミスをしがちなのだが、その落とし前をつけるのは大抵名前だ。その度に決まって言う台詞がある。

「シャチはほんとそそっかしいよなー」

そう言って困ったように笑う名前に、ペンギンはその言葉にいくつか引っかかる部分がある。まず、シャチがそそっかしいのはいつもの事だが、それに関してやけに名前が知ったふうなこと。それこそ、名前の特別がシャチであるかのような、シャチのことを一番良く気にかけてよく見ているというような台詞であるということだ。ペンギンの右腕になりたいとまで言ってきているのに、一番に構うのはシャチなのか、と少しだけささくれ立ったような心持ちになってしまう。

気になる点はもう一つある。名前のクルーの呼び方といえば、キャプテン、ベポ、シャチ、ジャンバール、そして。

「ペンギン!」

はっ、と意識が引き戻される。カンフーの構えで敵と対峙している時に気を失っていた訳ではなく、ただ少し、少しだけ考え事をしていただけだ。名前は敵の肩の向こうで襲いかかってきていた敵の斧の柄を踵落としで蹴り砕いて、その足を上げたままバランスを崩した相手の鳩尾を押すようにして船から突き落とした。バッシャーン、と派手な音と共に水柱が上がっていた。

「オイオイ、こんな時に考え中かァ?」

目の前でニヤニヤと笑う海賊が挑発するように言ったのを、ペンギンは話半分に聞いていた。確かに考え事はしていたがこんな雑魚相手には丁度いいハンデだろう。後ろから別の男に体を真っ二つにするように真横に斬りつけられた刀を腰を落として躱し、床に手をついてぐるりと一周足払いを食らわせた。それから手の力で飛び上がって空中で体を捩って振り向き、後から斬りかかってきた相手の脳天を割るほどの強さの踵落としで沈める。

「後ろがガラ空きだぜ兄ちゃん!」

「それはお前だろ!」

さっきまでニヤニヤ笑ってペンギンを挑発しようとしていた海賊の男が鉄の棍棒を振り上げて飛びかかってきていたのが分かってすぐに迎撃する気でいたが、返り血塗れで走ってきたシャチのタックルによってそいつが早々にフェードアウトしていった。残りの敵はもう粗方他のクルーの活躍で片付けられたらしい。最後の一人の意識を名前が相手から奪ったククリ刀の斬撃で刈り取って、甲板は戦闘の喧騒から開放された。ローが長剣、鬼哭を一度振り抜いてから鞘に収めた。

「ベポとイッカクで積み荷を運び込め」

「アイアイキャプテーン!」

「行ってきますね」

白熊のベポが元気に手を上げて、ニット帽のイッカクが一度頷いてボロボロになった敵船に飛び移っていく。ペンギンはその二人の背中を見送ってからローの元に歩み寄った。

「船長、ベポの話じゃそろそろ次の島に着くらしいので今の戦闘で使った分込みで足りない弾薬等調べてリスト作って持っていきます」

「いや、それは島についてからでいい」

「そうですか?」

「それよりお前はあれを何とかしろ」

一人だけ血に濡れていないローは至極面倒そうにガシガシと頭を掻きながら、ペンギンの肩の上をすり抜けて背後を指差した。クエスチョンマークを浮かべながらペンギンが振り向いた先には、甲板掃除用のホースの先を指で潰してジェット噴射させている水で血濡れのシャチを動物のように洗い流している名前だった。

「あいだだだだだ名前!お前威力強えよ!」

「っせぇわ!ちょいちょいトチるくせにこういう時だけいいとこ持ってきやがって!」

「なんの事だよ!」

「なんでもねえよ!顔面も優しく洗って差しあげるわオラァッ!」

「ガボッ!優しさが痛いですッ!」

ギャンギャンと怒鳴りあうシャチと名前は、しかしどちらかといえば何かを仕出かしたらしいシャチのほうが押されていた。なんですかあれ、さあな、とげんなりした様子のローと言葉を交わし、ペンギンはとりあえず名前に話し掛けるべくその騒ぎに近づいていった。シャチに対して名前が冗談交じりとはいえあんなに激昂するのは珍しいことだ。

「…おい名前、何があったかは知らないがその辺にしといてやれよ」

「あれはどー考えてもおれが…、ペンさん!」

ばっ、とホースを持ったまま振り向いた名前の手元が狂い、シャチの顔面にまたもクリーンヒットする。溺れたような奇声をあげるシャチを気にも止めず、名前はすぐにホースを後ろ手に放り出した。

「ペンさん、さっき戦ってる最中考え事してただろ、危ないじゃん」

その言葉にああ、とやはり先刻ペンギンを呼んだのは名前のだと思い至った。よく見ていたな、と思うのと同時にシャチよりも自分が優先されていたとどこか優越感も感じる。

「ん?ああ、でも怪我は…」

そこでふと、違和感に気がついてペンギンは顎に手を当てて思案する。なにか忘れている気がするのだが。ふむ、と首を傾げるベンギンに名前が横から申し訳無さそうな表情で近づいて来た。

「あのー、さっき、どさくさに紛れてペンさんのこと思っきし呼び捨てにしちゃって、ごめん」

「さっき?」

「ペンさんが敵の前でボーッとしてた時、危ねえなって思って、つい」

言われて、そこで初めて戦闘中の事を思い出す。あらぬ方向へ意識を飛ばしていたペンギンの名前を呼んだのは確かに名前だった。確かに珍しく、というか殆ど初めて名前で呼ばれた気がする。しかし名前にしてみればペンギンを名前で呼ぶことはどうやら失礼に当たるらしい。それがなぜだかはペンギンの知るところではない。

「そもそもお前なんでおれの事ペンさんって呼んでたんだ?」

前からペンギンが疑問に思っていたことを、努めて自然に口にする。何せ他のクルー達は普通に呼び捨てで通っているのに、名前はペンギンのことだけ「ペンさん」と呼ぶのだ。ある意味特別ではあるけれど、寧ろ距離を感じるし違う意味で特別視、つまり苦手意識があるようならペンギンが困る。

と、自分の考えに僅かに違和感を見つけた。名前に苦手に思われて困る、とは、どう困るのだろう。もやっとした物がどことなく胸につかえる中、名前がうーん、と眉間にしわを寄せて言った。

「だって、おれペンさんの事尊敬?してるっていうか、憧れてるっていうか結構好きだし、おれはペンさんの右腕だからそれっぽいかなって」

ぱちくり、とペンギンが瞬きをする。名前が言うには特別扱いは特別扱いだが、どうやら良い方の特別扱いだったらしい。

「いや、だから右腕に右腕は…」

「さっきだって本当はおれがペンさんを守ろうとしたのに、シャチに横取りされたんだ」

「え、お前よりシャチの方が近かっただろ?」

「それでも、おれが守りたかった」

しゅん、と音がしそうなほど目に見えて落ち込む名前を心のどこかで可愛いと思いつつ、ペンギンはその言葉を反芻していた。そんなの、右腕じゃないだろう。

「……呼び捨てでいい」

「え、いいの?」

「呼んでみろ」

「へ?え、ペン、ギン…?」

よし、とペンギンが満足気に口元で弧を描いてそれじゃあ、と船長のローの方に足を向けた。歩く度に二人の会話を見守っていたローが近くなって、そして比例するようにげんなりとした表情になっていく。

「…船長、用事終わったんで今からリスト作ってきます」

「そこまで言うならやってもらうがペンギン、お前その帽子で良かったな」

どうせ耳も顔も真っ赤なんだろう。はあ、と溜め息をついたローの言葉に図星を突かれたペンギンはそっと右手で帽子の鍔を引き下げた。ペンギンも名前も、さっさと帽子でも何でも取り払って腹を割って話せばいいのに。ローはペンギンの向こう側で同じように自分がかぶっているマリンハットの鍔に手を伸ばす名前を見て、奥手同士の恋とはままならないものだと遠い目で甲板を見渡した。




かもめ様、リクエストありがとうございました!




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