嘘みたいに甘い今日


カレーの匂いがする。

けど、隣の席からはカレーとは思えないほど、辛い匂いがした。辛いものが好きとは言っても…、これは…。つい引いてしまうほど辛そうなそれを、爆豪くんは平然と口に運ぶ。もう私を帰すのは諦めたようだ。爆豪くんにも苦手な物があったなんて、しかもそれが母親だなんて…彼も人の子だったということか。少し安心した。

「…おいしいです」

お世辞なしで本当に美味しかった。手料理なんて食べるのは本当に久しぶりで、大事に大事に咀嚼した。

「よかったわ〜!どんどん食べてね!…あ、女の子だもんね!ほんと娘もいたらよかったのに〜!」
「作ればいいじゃねえ、がっ!!」
「なまえちゃんはお料理するの?」

カオスだ…。爆豪くんのお母さんは、どんどん爆豪くんの頭を叩いていく。強い…。あの爆豪くんを叩けるなんて、爆豪くんのお母さんはきっとそんじょそこらの敵よりも強いだろう。

「あ、はい。簡単なものだけですが…」
「この子ったらほっといたらね、好きなもんしか食べないのよ!栄養管理、よろしくね!」
「は、はあ……」

それはどういう意味だろうか。私の微妙な表情に、さすが女の勘と言うべきか、爆豪くんのお母さんが「あんたたち付き合ってないの?」と言った。私は答えにくい。答える権利はすべて爆豪くんにあるからだ。息子が初めて女の子を連れてきたことに喜んでいる爆豪くんのお母さんには悪いが、"付き合ってない"と言ってほしい。

「ゆくゆくはそうなんじゃねーの」
「ふーん。難しい年頃ね」

思わずずっこけそうになった。爆豪くんのおかあさーーん!!それでいいの!!?爆豪くんもそれでいいの!?ていうか私たち、ゆくゆくは付き合うの!?まあ、そうだよね!?従順に言うこと聞いたら養ってくれるもんね!?

突っ込みどころが多過ぎて、心臓がばくばくしてきた。落ち着かせるためにお茶を飲んだり、サラダを食べたり。何で今日1日でこんな忙しい思いをしなくちゃならないんだ…。結局呼び出された真意もわからない。まあ意味なんてないだろうけど…。

「なまえちゃん、甘いもの好き?デザートもどう?」
「……お言葉に甘えて」

いつになったら帰れるだろうかとも思うが、実際のところ、あまり家には帰りたくなかった。どうせお母さんもお父さんも、誰も帰っていないだろうし、帰っていても空気が重いだろうから。爆豪くんには悪いけど、できるだけここにいたかった。爆豪くんのお母さんはとても明るくておもしろい人で、この人がお母さんだったらよかったのに、そう思えた。この人も、私が個性不明と知ったら、嫌な顔をされるのだろうか。

「いやあ、本当。勝己、あんた見る目あったのねえ。私みたいな女の子連れてきたらどうしようかと思ってたもの」
「そんなやつ俺が嫌だ」
「私もやあよ」

だからよろしくね!と、また爆豪くんのお母さんが笑った。このままちゃんと私が爆豪くんのご機嫌を取って、約束通り養ってくれることになったら、爆豪くんのお母さんが私の義母になるのか…。うん、やっぱり、爆豪くんの言うことはちゃんと聞こう。

爆豪くんに媚を売るのは、正しい選択だ。

そう言い聞かせながら、紅茶を飲んだ。

「なまえちゃんの個性は?」

がちゃん、とはしたなく音を立てて動揺した。視界の端で、コーヒーを飲みながら爆豪くんが笑っている。答えられない私の代わりに、爆豪くんがうっすらと笑いながら、お母さんに答えていた。

「こいつ、個性わからねえんだよ」
「出久くんみたいに無個性じゃなくて?」
「………。こいつの場合は個性不明」

一瞬、デク、と眉が上がったが、今は緑谷くんのことじゃないと気をそらさなかった。爆豪くんのお母さんは、「あらあらまあまあ」と驚いている。そりゃあそんな子あまりいないだろう。次の言葉をぐっと待つ。

「ーーいいじゃない!専業主婦!!」
「は、」

この発言には爆豪くんも驚いていた。

「何でテンション高ぇんだババ…!!!」

ババア発言で、爆豪くんはテーブルに沈んだ。……強い。

「じゃあなまえちゃんずっと家にいるのね〜!わ〜!!私のお茶の相手になってもらおー!」

爆豪くんを片手で捩じ伏せておいて、当の本人は未来を馳せて、うきうきと笑んでいる。……強い。(3回目)その姿は現役女子高校生の私よりもきゃぴきゃぴとしていて、とても可愛らしかった。どうしたらこんなお母さんから、こんな暴君が育つんだろう。反抗期なのだろうか。お母さんに反抗できない代わりに、外で発散しているのだろうか。…反抗期で片付けられるほど可愛いものではないけど。

「なまえちゃん泣かせたらぶっ殺すからね?」
「………その前に、俺が、お前を殺す…!」

コーヒーまみれになった爆豪くんが、怒りをこめて呟いた。怒鳴らないから、やっぱりお母さんには逆らえないんだろう。なんだか爆豪くんが、ほんとに少しだけ不憫に思えた。

「あら、笑うと可愛いわね」
「何笑ってんだぶっ殺すぞ」
「その前に私があんたを殺すわよ」

笑うつもりはなかったのに、無意識で笑っていたらしい。爆豪くんにぎろりとにらまれ、心臓がきゅっと締まった。死ぬ。その睨み方は死ぬ。爆豪くんのお母さんがいなかったら私、死んでたかも。





そのあとも、爆豪くんのお母さんが「泊まっていったら?」と言うので、明日も学校があるなどの理由をつけて断った。私としてはどちらでもよかったのだが、爆豪くんが横で「断らねえと犯すぞ」オーラを発していたので、瞬時に断った。その脅し方はどうかと思う。

それならと爆豪くんに私を送るようにめいれ……言って、渋々爆豪くんが着いてきてくれた。こんなこと、爆豪くんのお母さんじゃないと絶対しない。

「……今度から俺がお前んとこに行く。いいな」
「そ、それは…」
「いいな?」
「はい…」

げっそりとした爆豪くんが、前を歩きながら言う。私の家はだめなのに、有無を言わさない声のトーンが怖くて、断ることができなかった。弱いなあ。

「まあ、よかったじゃねえか」

爆豪くんが頭をかきながらそう言う。何が良かったのか、なかなか気づけなかったけど、爆豪くんのお母さんが私の個性のことを悪く言わなかったことだと気づいた。気遣われたのが擽ったくって、少し嬉くって、「ありがとう」と礼を言うと「調子ノんな」とデコピンを食らった。

なんだか。

(付き合ってるみたい……)

思いの外痛すぎる額を押さえながら、少し熱のこもった眼差しで、爆豪くんの背中を見つめると、「背中が熱ぃ」と彼が言った。

「こ、ここまででいいです、よ」

曲がり角まで来て、爆豪くんの前に回って言った。すぐに踵を返すか、命令すんなと言うか、そのどちらかと思ったが彼は動かない。じっと私を見つめて、動かなかった。

これは、そういうことなんだろうか。蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くしていると、痺れを切らしたのか、制服の襟を引っ掴んで、私にキスをした。いつかのあの乱暴な口づけと同じで、外だというのに何度も角度を変えて深く口づけた。私ももう抵抗はせず、目を瞑って受け入れた。ちゃんと言うことを聞いていれば、爆豪くんは優しくしてくれる。

「…その察しが悪ぃの治したら、まあ、悪くねえな」
「が、頑張ります…」
「は。当たり前ぇだ」

満足したのか、やっと来た道を戻っていった。長かった1日がようやく終わっていく。爆豪くんと一緒にいて、初めてすごく楽しかったから、酷く名残惜しくて。調子にノってるかもしれないけど、これ以上彼が離れる前にと声を出した。

「お、!おやすみなさい、ーー勝己くん!」

爆豪くんは少し前のめりになった。驚いたのだろうか。ぎろりと目だけを私に向けて、苛立ったような口元で「明日覚えとけよ!」と言った。あんなに嫌いだったのに、絶対仕返しされるのに。

どうしてかとても嬉しかった。
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