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「共に扉の中へ溶けても、メグミ君が消滅せずに生まれ変われる確率は僅かしかない。その上、君たちが揃って同じ時代、同じ国に記憶を持って生まれ変われる可能性はないに等しいけれど……覚悟できているかい?」
「ないに、等しい……」
「僕は……僕は、キミ達が幸せになればいいのに、と思ってる。だから、本当は……こんな無謀な賭けに、二人の未来を託してほしくはないんだ」
この世界に二人で居続けることは不可能だ。
記憶を取り戻した美貴春は、徐々に浄化されていく。動き始めた時間を止める術がないのなら、共に扉をくぐり再び来世で出会いたかった。
元より叶う確率の低さは承知しているが、役人がここまで渋る様子を見ていると迷いが生じてしまう。
「恵……」
何が自分達にとって最善か。浄化が進んできているのか、霞む頭を振って考える。
そんな美貴春の背に、冷えた恵の腕がまわる。抱き返してくれる弱々しい力を感じ、男の声に耳を傾けた。
すると恵は幸せな溜め息で美貴春の首元を湿らせて、いい夢でも見ているかのように微笑んだ。
「つれてって、あなたの、いくとこ、ぜんぶ」
――くだらない迷いは払拭された。
美貴春は愛しい恋人の願いに突き動かされ、「ああ」と頷く。何かの拍子にはぐれてしまわないよう、精一杯しっかりと恵の腰を抱いた。
「もう置いてくかよ。どこにだって、連れて行く。お前が嫌だって言っても、絶対だ」
役人を振り返る美貴春の手は、始まりの扉にかかっている。
「心配してくれてありがとな。でも一緒にいないと駄目なんだよ、俺ら。どっちかでも欠けたら、世界がなくなっちまう」
「それはそれは……引き留めるのは野暮だね」
呆れ笑った役人の笑みを最後に、美貴春は躊躇いなく扉を開けた。
見慣れた何もない空間に喉を鳴らす。今感じているのが恐怖なのか期待なのか、正直どちらか判別できない。
「元気でね、美貴春」
役人の優しい声が二人を見送る。
美貴春は目を閉じ、恵を抱いたまま扉の向こうへ身を投げた。
共に生きた十年も、死して過ごした一週間も、二度と忘れ去りはしない。次に生まれ変わったとき探してやれるように――最期の瞬間まで、恵の顔を思い浮かべた。
***
光太郎が脱サラして移動式コーヒーショップを始めたのは、今から五年ほど前だ。
軌道に乗るまでは金銭的に苦しい日々が続いたものの、今では漸く固定客もついて、一般的なレベルの生活ができている。
春風が吹くと、ワゴン周辺に漂う珈琲の香ばしさが人通りの落ち着いてきたビル街へ運ばれる。ランチ後の時間帯は昼食帰りの会社員が続々と珈琲をテイクアウトしていくのだが、季節柄、微笑ましい光景をよく目にするようになった。
「ちわっす。マスター、一昨日ぶり」
「いらっしゃいませ。今日は……お一人じゃないんですね」
顔馴染みのサラリーマンが、若々しい青年を連れてやってきた。真新しいスーツを纏う青年は、ペコリと光太郎へ会釈する。
そんな彼の肩を、先導する男が気安く抱いた。
「そうそう、こいつ俺の部下。マスターの珈琲教えてやろうと思ってさあ」
「ありがとうございます。いつもので?」
「おう。こいつも同じで」
「先輩、僕ココアしか飲めないんスけど」
「はあ?」
眉を寄せた男は、抱き寄せた肩をポフポフと叩いている。
「だーからお前はナヨナヨしてんだ。ここの珈琲飲んでみろ、絶対いけっから」
「ココアと軟弱さは関係ないと思います」
「るせえ」
力関係はともかく、後輩の方が口達者だ。
光太郎は砕けていて和やかな会話に時折参戦しつつ、ミルク多めのカフェラテを青年へ差し出した。
「どうぞ。まずは飲みやすいものから挑戦するのがいいと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
「先輩さんはエスプレッソですね」
「サンキュ」
カップを渡し、代金を受け取る。他の客がいないからか、二人はその場で珈琲に口をつけた。
「結構いける……」
青年が思わずといったふうに呟くと、男は得意げに口角を上げる。
「だっろ?」
再び肩を叩かれた青年は顔を顰めた。
「やめてください。これパワハラですよ、っていうか痛いんですよね」
「そんな睨むこたねえじゃん……」
しゅんとする様子が妙に愛嬌を持っており、つい声を出して笑ってしまう。
するとカフェラテを半分ほど飲んだ青年が、光太郎に目を向けた。
「僕、移動販売車って初めてです。なんで店舗持たなかったんですか?」
「おいゆとり……お前には遠慮とかねえのか……?」
「え、訊いちゃ駄目なことでした?」
先輩は気を揉んでいるが、後輩はキョトンと目を丸めている。
吹聴することでもないが隠す必要もなく、光太郎は純粋な好奇心へ答えを返した。
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