24


「人を探してたんです」
「へえ、人を……」
「僕も元はサラリーマンだったんですけどね。毎日会社と家の往復ばかりで……これじゃあ探せないし、見つからないと思って」
「だから移動ショップですか」
「ええ。それでも全国津々浦々を巡るわけにはいかないんですが……社内に缶詰状態よりは、出会える確率が高いかと」
「ロマンチックだなあ。マスター、それって女?」

 馴染みの男は小指を立て、ニヤニヤと唇を歪めている。古臭いその仕草に苦笑した光太郎だったが、否定はしなかった。

「離れ離れになった恋人です」

 軽快な口笛で囃し立てる男を、青年は横目で引き気味に見ている。
 まるでコントか何かのようでもっと見ていたくなるが、車内に置かれた時計の針はそろそろ午後一時に迫ってきていた。

「ところで、お時間大丈夫です?」
「ん? おあ、そうだな。帰るぞ」
「はいはい。マスター、また」
「はい、は短く一回で! ……待てって!」
「ありがとうございます、また来てくださいね」

 急ぎ足で去って行く後輩を追いかける男は、偉そうに振る舞っているが尻に敷かれているようだ。
 仲良さげな姿に癒され、ふうと一息つく。

「さてと」

 午後の始業時間を迎えれば、ほとんど客は来ない。今日はこのまま直帰する予定なため、光太郎は自分用の珈琲を淹れて飲みながら片づけ始める。
 すると、タッタッタッと走る足音が聞こえてきた。

「マスターっ!」

 光太郎と揃いのエプロンをつけ、コンビニ袋を抱えた青年が息を切らせて駆け寄ってくる。彼はカウンター部分へ齧りつき、悲壮感たっぷりの表情で光太郎を見上げた。

「お、遅かったです……?」
「そうだな。牛乳一本のお使いにどんだけ時間かかってんだ」
「だ、だってだって! あそこのコンビニ、成分調整牛乳しか売ってなくて!」
「ゆーいーと?」
「ごめんなさい……」

 唯人が両手で差し出す牛乳を受け取り、「嘘だよ、怒ってない」と笑ってやる。しかし彼はしょげ返り、成人男性のくせに妙な愛らしさのある上目遣いで光太郎を見つめた。

「今日、ここで最後ですよね?」
「ああ、そうだ」
「俺……やっぱり不採用ですか……?」
「そういや今日で一週間か」

 唯人とは、数カ月前に別の場所で出店しているときに出会って今に至る。なんでも光太郎の珈琲に惚れたとかで、有り余る熱意を持って「一緒に働かせてほしい」と迫ってきたのだ。
 ちょうど雑用と接客のできる人員がほしかったのと、彼が職探しをしているタイミングが合致し、再三迫ってくる勢いに根負けしてお試し期間を設けたのが一週間前。
 今日が最後の日だった。

「まあ、たまの失敗が可愛いと思えるくらいにはよく働いたよな」
「はいっ、いつも言われます」
「厚かましいけど」

 冗談であることをわかっているのか、唯人は「ありがとうございます」とニコニコ笑っている。しかしすぐ悲しげに目を伏せ、チラチラとあざとく光太郎を窺った。

「マスター、駄目? 俺駄目? マスターと一緒に仕事したいです……」
「んー、あー」
「でもでも、好きなのは珈琲だけじゃないですよ? マスターに一目惚れしたのは、本当ですよ?」
「そんなことも言ってたな」
「忘れないでくださいよう……」

 めそめそとカウンターに顎を乗せる仕草はまるで子どもみたいだが、唯人の図体が平均より大きなせいで不恰好さは否めない。
 けれど光太郎には、唯人のすることなすこと、全てが愛しく見えた。

「唯人」
「はあい。……あ」

 飲みかけの珈琲を差し出してやると、目に見えて唯人の表情が輝く。美味しそうに飲む姿を眺める光太郎は笑っていたが、不意に目頭が熱くなった。
 ボロリと音がしそうなほど大粒の涙が、調理台の上へ落ちる。唇が震えてうまく息ができなくなり、手の甲を口元に押し当てた。
 十も年下の青年は呆気にとられたように、店主を見上げて息をのむ。

「俺が、あなたを泣かせてますか?」
「や、違えよ。なんでもねえんだ」
「好きって言わない方がいい? マスターが嫌なら、もう絶対に言わないよ。だから泣かないで、お願い」

 笑顔を仕舞いこみ、車内へ手を伸ばしてくる唯人は真剣だった。下瞼を超えたばかりの滴を指へ滲ませ、固く唇を噛んでいる。
 彼は光太郎が「嫌だ」と頷いたら二度と好意を口にしないだろうし、態度にも出さないだろう。出会って数カ月だが、光太郎にはわかる。
 珈琲に目がないのも、よく働くのも、無鉄砲で真っ直ぐな好意を惜しげもなく伝えてくれるのも――あの頃と同じだからだ。

「そうじゃない」

 彼にいつもの柔らかい笑みが戻るよう、光太郎は唯人の指先を袖で拭う。

「ずっと、会いたい人がいたんだ」


名もなき世界トップへ