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「ただの確認だ」

 いよいよ、恵の抱く確信は真実となっていく。息苦しいほどの切なさをのみこみ、なんとか煙を吐いた。

「概念は魂を管理して、巡らせるためだけの存在じゃねえの。なんで、こんなことした」
「こんなこと、とは?」
「とぼけるなって。お前らは早々に魂を浄化して輪廻させたいんだろ? なら、あいつを俺に会わせる必要はなかったはずだ。現にあいつは……ジョンは、ほとんど浄化されてたはずなのに、ここに来て自我を取り戻した」

 どう考えても、きっかけは恵だ。能率をあえて低下させた役人の行動には、疑問しか浮かばない。
 けれど役人は腕を組み、ううん、と唸った。

「おかしいかい? 僕は、これが一番いい方法だと思ったんだけど……ああ、君には側面しか見えていないものね」
「側面? お前がしたのは、生前の恋人同士を会わせることだろ。どう考えてもおかしいと思うぞ」

 男は生白い顔の中で最も赤い唇を、にんまりと両端へ吊り上げた。

「僕は昔、もっとおかしな人間を見たことがあるよ」

 意図的に答えをはぐらかされたことは知っていたが、恵は問い正さずに続きを促した。

「へえ、どんな?」
「僕がこの区域を担当するより前のことだ。ある死者だけを集めた特殊な場所があるんだけれど。そこに……とっても暴れん坊な男がやってきてね」

 幼き頃を懐古するような眼差しで、役人はなんの変哲もない食器棚ばかりを眺める。

「彼は言ったよ。『私は宗教を重んじてきたのに、ここには地獄も天国もない。裁かれたくて大罪を犯したのに、これでは贖えない。不公平じゃないか』……とね。平等に浄化されていく自分を責め、僕達に当たり散らした」

 特殊な場所に集められているのは、罪人なのだろうか。しかし恵は過去に見送った魂の中にも、犯罪者がいたことを思い出して首を捻る。
 役人は漂う煙草の煙を、指先で混ぜながら続けた。

「少しも平等じゃないのにねえ。彼らは人より浄化に時間を要するし、巡り廊下の施しも受けられない。僕からすれば『人』に生まれたことが既に、罰を受けているようなものだ」
「酷えな。人生は罰ゲームかよ」
「違うのかい? だって、自殺ができる生き物は人間だけだよ」

 ひゅ、と息をのんだ恵を横目に、役人はオーバーな仕草で肩を竦める。

「けれどね、僕は思うんだ。そんなことはどうでもいいから、早くこの魂不足の世界に綺麗な魂を返しておくれよ、と」
「……最低だな」
「失礼な」

 恵へと向けられた男の目は、少し怒っているのか軽く吊り上がっている。

「信仰心も死生観も、キミ達人間が勝手に作って勝手に信じているだけじゃないか。魂に罪はないだろう?」
「ああ……まあ、お前らしい」
「僕に個性はないよ。皆同じ考えさ」

 あっさりとした物言いに苦笑する。
 しかし次に役人が発した「だからね」という前置きの、声の頼りなさに驚いた。

「これでも僕は、とてもたくさんの人間を見てきたんだ。そして人間は抑制より共感を与えた方が遥かに従順になり、扱いやすいことを知ったよ。だからね、死を贖罪だ、愛だと呼ぶ人間を理解しようと務めた」
「……理解できたか?」
「さあね。でも、自らを殺すことを罪だと言うのなら、その先の生を知らずにここへ来てしまったことは、十分な罰になるんじゃないかな」

 役人が恵に何を教えたくてこんな話をしたのかは、もう明白だった。

「駄目押しすんなよ……わかってんだ」

 まだ長い煙草を灰入れの底に押しつけて消し、片手で目元を覆う。直視したくない真実を言葉にされ、大きすぎる喪失感で頭がぐらついた。
 そんな恵の肩を、ポンと叩く手があった。

「なら、もういいんじゃないかな。彼はあまりに長く、苦しんでいるよ」
「……ああ」
「僕が人間であるならきっと、可哀想だ、と言っただろう」

 スルリと手が離れた。視界を閉ざしたままの恵には見えないが、音と気配が遠ざかる。

「早く眠らせておあげ。彼が、キミを憶えている内に」

 役人は普通に扉を開け、出て行ったようだ。
 手を下ろし、息を吐く。恵の心には迷いが渦巻いていた。

「そんなこと、簡単に言うなよ……」

 特殊な場所に集められている自殺者は、浄化に時間がかかり、巡り廊下の優しさを知らずに転生する。理不尽な理にリンクしたのは、昨日語られた白紙の人生だった。

「ジョン……」

 あまりに彼が報われない。生前の自分達に何が起きたのか、思い出せないことがもどかしい。先に逝ったのは恵だ。その後、何故彼は死を選んでしまったのだろう。
 恵は閉店中の札を外から見えるように置き、その足で二階へ上がる。寝室に入ると朝見たままの位置でぼんやりと外を眺めるジョンがいて、目頭が熱くなった。

「ジョン」

 ベッドの端に腰かけた男は振り返らない。
急速に浄化が進んでしまったのか、昨夜はポツポツとでも話せていたのに、今朝には動かなくなっていた。


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