「見送るのは、つらくないですか」

 確信を持った問いかけは、恵を頷かせにかかる。許されるのなら、何度だって肯定したい。そしてこの男は、恵が何を口走ろうと危ういほど無防備に許してしまうだろう。
 そう感じるのに、恵は穏やかな気持ちで繋いだ右手に力をこめた。

「一人で逝かせるより、ずっといい」
「……言うと思いました。あなたは、そういう人だ」

 苦しげに顔を歪めるくせに、ジョンは表情を笑みへ近づけようと必死だった。
 だから恵はそのおかしな顔を指摘することなく、歩き出したカナコと共に足を踏み出す。
 暫くすると、ジョンが記憶の中にいるカナコの姿を見て驚いた。予想通りの反応を微かに笑い、恵は説明を加える。

「大人になったカナコだよ」
「カナコちゃんは……女子高生ですよね?」
「ああ。カナコが寿命で死んだわけじゃねえってこった」
「当たり前です。十代ですよ?」
「この世界で言う『寿命』ってのは、予め決まってた死期ってことだよ。言い換えれば……運命か」

 ジョンはその一言を耳にした途端、穴が空くほどの勢いで花嫁衣裳のカナコを見つめた。

「じゃ、じゃあ……本当ならまだカナコちゃんは、生きて……?」
「そういうことになるな。ここに映し出されてるのはあくまで未来の一つだけど、こうやって……幸せな家庭を築いてたかもしれない」
「もし、死んだのが寿命だったら?」
「未来は映らない」

 言い切ったのと同時にカナコが孫達に看取られ、ふつりと浮かんでいた映像が途切れた。
 そして、三人の目の前には簡素な造りの扉が現れる。
恵は背筋を駆け抜けた戦慄をなんとか堪えるが、ジョンは後退り、怯えた様子で水の中へ尻もちをついた。

「ふ……っふ、ふ」

 辛うじて呼吸しているが、顔を強張らせて震えるジョンを長居させるのは得策ではなさそうだ。

「動かないでじっとしてろ。大丈夫だから」

 恵は引っ張られる右手をそっと離し、一年経っても慣れない恐怖を押し殺す。震える指先で扉の取っ手を引くと、カナコがゆっくりと進み出た。

「じゃあな、カナコ。……元気で」

 少女には届かないが、慈しむ心で囁いた。
 目に痛い白を発光させる場所へ誘われるように、カナコが身を投げる。扉を越えた部分からほろほろと溶けていく少女は、残滓のような光の粒を白金色に煌めかせた。
 完全にカナコが見えなくなってから、扉を閉じる。すると跡形もなく扉は消え、元の白い空間が広がった。
 恵は緊張していた肩を撫で下ろし、ジョンの傍で膝をつく。

「立てるか?」

 扉が消えて冷静さを取り戻したジョンは、自分の反応を心底不思議がっていた。

「マスター、さっきのは?」
「始まりの扉って役人は呼んでたけど、俺らからしたら恐怖の扉だよなあ」
「なんであんな怖い……?」
「あれをくぐると個が失われるから、自我のある魂には恐怖なんだと。ほら、早く戻るぞ。飴がなくなる」
「え? あ」

 短い母音を耳にした瞬間、嫌な予感が駆け巡る。
 ジョンと目が合い、恵は問いかける数秒も惜しんで男の口を指で開かせた。
 予想どおり、飴は欠片も残っていない。

「……っの、馬鹿! 無意識に食うなよ!」
「ご、ごめんなさ……っ」
「いいから立て! 走るぞ!」

 ジョンの腕を無理に引っ張り上げ、恵は大慌てで白い空間を駆け戻る。酷い悪寒と体験したことのない焦りが精神を揺さぶって、どっと嫌な汗をかいた。

「ほら、もう少……っジョン」

 しかし店へ続く扉が見えたとき、ジョンが膝から崩れ落ちる。水の中へ片手をつく横顔は虚ろで、掴んだ腕も脱力していくのがわかった。
 このままでは浄化されてしまう。恵の目の前から、ジョンという存在が消えてしまう。

「……ッまだ駄目だ」

 恵はジョンの頭を抱きこんで、半開きの唇を自分のそれで塞いだ。舌を使って腔内に残った小さな飴を男へ与え、肩に腕を引っかけ直して扉を目指す。

「く、そ……重すぎんだろ……っ」

 扉だけに向けた視界の端で、透き通った記憶が浮かび上がった。赤ん坊を抱く若い夫婦が両親であることを悟ったが、見ている余裕などない。
 恵はジョンを支えて扉を蹴り開け、店内へと勢いよく雪崩れこんだ。

「つ、いた……」

 二人の身体が完全に店へ戻った途端、ひとりでに扉が閉まる。恵は安堵して、腹の上でグッタリと伏せるジョンの肩を叩いた。

「おい、大丈夫か? 俺がわかるか?」
「わかります……」
「どうしたんだい? そんなに慌てて」

 扉が見える位置まで勝手に椅子を移動させていた役人が、床に転がる二人をニコニコと見下ろしている。
 仰向けになって脱力する恵は、ジョンを指して役人を見上げた。

「こいつ、飴食い終わりやがってさあ」
「すみません……」
「それは大変だ。浄化されてしまったかい?」


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