最近よく、初めて会った日の事を思い出す。

前会長から会長職を引き継いで、一年間の任期を共にやり遂げてくれる仲間を探していた時の事だ。

第一条件として成績がいい事。これは同時に最低条件でもある。生徒会の仕事自体事務職のようなものでもあるから、ある程度の時間を割かなければならない。しかしそのせいで成績が落ちては本末転倒だから、俺は面倒を避ける為に秀才型ではなく天才型の人間を集める事にした。

そんな中で見つけた四人。
同学年から田所麻侍を副会長に、志藤恭也を会計に、二学年からは和野拓海を書記に、阿笠彼方を庶務に引っ張りこむことに成功した。

優秀であれば、この際日々の生活態度や家業、そして性格はもう諦めよう。そう溜め息をついたのも懐かしい。

田所は噂通りの下半身馬鹿だし、恭也はまともそうに見えて精神病患者一歩手前だし、和野は不良で阿笠はヤクザの息子だ。とりあえず俺が一番平和な中身だとは思う。

そんな奴らと顔を合わせて説得する為に、奔走していた頃。

「…あれ?かいちょー、どしたの、怪我ー?」

恭也はまだ、こんなにやつれていなかったはずなんだ。

+++

和野と阿笠に急き立てられるように生徒会室を出た俺は、足早に保健室へ向かった。

基本的に傍観の姿勢を崩さなかった和野と、何を考えているかわからなかった阿笠は、意外と恭也を心配していたらしい。
奪っちゃえ、などと簡単に言いやがって、とは思うが、俺の知らなかった情報を与えてくれたのはありがたいと思う。

「それはお前だろ」

教員不在の保健室で棚を漁っていた恭也は、目をまんまるくして首を傾げる。長めで斜めに流してある前髪が、その拍子に彼の肌を滑っていった。

「怪我したんだろ」
「うーん、どうだろーね?」
「誤魔化すな。足か?」
「頭の中が重症だってよく言われるよー?」
「恭也…」

棚を漁るのをやめてしまった恭也は、額を押さえる俺を見てへへっと笑う。
そしててくてくと普通に歩き、回転椅子に腰かけた。

「かいちょーは、どこが痛いの?俺、手当てしたげるよん」

ほーらおいでおいで、と手招くから、従わない訳にはいかない気がした。
恭也の向かい側に座り、溜め息を吐く。

「はい、かいちょー…じゃない、薫くん。どこが痛いのー恭也先生に言ってみて」
「俺の名前覚えてたのか」
「え?もちのろんだよ?須田薫でしょ。名前の通り、優しい匂いのするかいちょーでしょ」
「匂いはわかんねぇけど。つか、それ初めて会った時も言ってたな」
「かいちょーそんな事覚えてたの」

何となく恭也の笑顔が嬉しそうに見えたから、俺はその腕を掴んだ。離さない。誤魔化させない。決意だ、これは。

「覚えてる。女みたいな名前だからあんまり好きじゃねーけど、嬉しかったから」
「へへ、そっかー。あ、じゃあ俺の印象どんなだったー?」
「なよっちくて、頭弱そうな奴」
「うはーひどいね!」

けらけらと笑う顔を見つめながら、ひんやりした手のひらを握りしめた。

「…かいちょ?」

笑い声が止まる。恭也は不思議そうな、困惑したような、そんな顔をしていた。

「でも、今は違うぞ」
「俺なよっちくて頭弱いから、合ってるよ?」
「そうだな。なよっちいのは合ってる。でも、お前賢いよ。けど馬鹿。一途で、芯が強くて、頑固で、嘘つきで、臆病で、泣き虫で、努力家だ」

並べ立てた言葉に恭也は中途半端な笑顔を浮かべたまま固まっていた。
俺はふ、と笑い、恭也の手首に指を回す。それは簡単に指先がつくほど、細かった。

「かいちょー」
「なんだ」
「俺、そんなんじゃないよ。そんないいもんじゃないよ。そーゆーのはまともな人間に言ってあげるべきだよ」

矢継ぎ早なそれは、何故か焦っているように聞こえた。
いつでものほほんと笑っている恭也とは全然違う、切実な声だった。

「…怖いのか、恭也」
「は…?」

狼狽える恭也は、ぼんやりと俺を見つめ返してきた。
手を伸ばして、前髪を耳にかけてやる。露出した肌は血色が悪く、隈は濃さを増していた。

「優しくされるの、慣れてないのか、お前」

無駄な肉どころか必要な肉まで削げていそうな頬を、持てる限りの優しさを込めて撫でてみる。
そこはまだ柔らかくて、暖かくて、指先から俺の心を揺さぶった。

「やめてよ、かいちょ」
「やめねー。お前が田所に振り回されるのはもう見たくねーから」
「俺が好きでやってんの」
「いいや、ちげーな。お前は賢いからもうわかってんだろ、あいつとは無理だって」
「うるさいよ」
「いくらお前が尽くしたって田所はお前だけのもんにはならないって」
「いいんだよそれで!」

ぱちん、と手のひらに衝撃が走った瞬間、目の前の男は一瞬だけ、今にも泣きそうな顔をした。
ほんの一瞬だけ。ちゃんと見ていなかったら気づかない程僅かな時間だったけれど、確かにそれは、彼の本当の感情だった。

「お前…何に縛られてんだよ」

叩き落とされた手をもう一度伸ばす。
叩いた事にショックを受けているのか、恭也は避けなかった。

恭也は田所を好きだと言うけれど、俺はその主張を嘘くさく感じていた。
だって、そうだろう。恋だの愛だのっていうのは、様々な感情が入り乱れてぐちゃぐちゃに絡まって固まってやっと形になるものだ。
従順で笑顔しか見せず、ごめんねの言葉しか言えない恋なんて、胡散臭い。恭也の田所を見る目は、そんな生暖かいものではなかった。

「田所の事、好きな訳じゃねーんだろ」
「すきだよ、ちょう愛してる」
「嘘。お前の言葉は恋情じゃなくて、恐怖ばかりだ」
「…なに、いってんのか、わっかんないな」

柔らかい髪を撫で下ろし、そのまま引き寄せた。
緊張して強ばった肩。抵抗の仕方を知らないかのように怯えていて、可哀想だ。
けれど、今は解放してやれなかった。揺さぶられている今しか、こいつの本音が聞けない気がしたのだ。

「辛いならやめればいい」
「…やめないよ」
「田所じゃなきゃダメなのか」
「そうだよ、だって、ふくかいちょーは、」
「田所は?」
「ふくかいちょーは…俺の、神様なんだもん」

ふ、と肩の力が抜け、恭也はするりと俺の腕を抜け出した。
椅子から立ち上がり、出口へ。

けれど、その途中で突然かくんと、床にへたりこんでしまった。

「…蹴られたんだろ、田所に。誤魔化さなくても知ってんだぞ」
「そーみたいだね」
「神様になら何されてもいいって?本気で思ってんの、お前」
「思ってるよ。元より、なくなるはずの命だもん。どうなろうと構わないじゃん」
「は?」

近付いて、しゃがみこむ。
俺の手が足首に触れてもスラックスを捲り上げても、恭也はリノリウムを見つめたまま大人しくしていた。

「ふくかいちょーだけだったんだ。俺を見つけてくれたの。傍に置いてくれたの」
「恭也…」
「だからね、俺は、今のままでもすっごく幸せなんだよ。ふくかいちょーは俺に優しくしないけど、その代わり絶対捨てないって約束してくれたんだ。約束を守れば一人ぼっちにならないんだよ?…裏切られないんだよ」

震える息を吐き出して、俺は今日の説得が全く意味のないものだったと知った。
熱く腫れ上がった足首は、きっと湿布だけじゃ誤魔化しきれない。冷たい俺の手なんは、ちっとも役にたたないだろう。

恋人から奪うのなら、まだ光はあったかもしれない。
けど、神様から、信者を、どうして奪えと言うのか。

顔をあげた恭也は笑う。
いつもの笑顔で、いつも通り楽しそうに。

「ふくかいちょーはね、お人形みたいなのが好きなんだって」

最近ね、痛くないんだ。
すごいでしょ?

そう言って立ち上がった恭也は、幸せそうな、濁った瞳をしていた。

「ごめんね。かいちょーは、優しい匂いのする人でいてね」

(聞こえてきたのは誰かの嘲笑と、心の壊れる音だった)

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