役員が授業サボっていいわけ?とは、隣の頭悪そうな金髪の台詞だ。

授業中。空き教室。服に匂いがつくからやめろと言っても、隣の男は言ったそばから新しいそれに火をつける。
白く濁っていく空気。現在は非喫煙者だったとしても、俺の肺はもう手遅れだ。

そしてあれももう、手遅れなんだろう。

「和野ー」
「んだよ」
「あれあれ。見て、お前が猫可愛がりしてる会計ちゃんじゃね?」
「どこ?」

腐れ縁野郎の視線の先は外で、俺も汚い床から立ち上がって隣に並ぶ。食いついた!と騒ぐ男にはボディブローをかましておいた。
視線はただ、燦々と輝く太陽の下で、きらきらと眩い笑顔を振り撒く背の高い男。絶やす事のない甘い笑顔は、見ている者をとてもとても優しい気持ちにさせる。らしい。俺は一度も、そんな風に思った事はないけれど。

「ついでに副会長様じゃん。あの二人付き合ってるってマジバナ?」
「微妙」
「なにそれ。あ。…あー」

不可解な顔を隠しもしなかった男は、それからぐにゃりと顔を歪ませた。

燦々と輝く太陽の下。
木陰で休んでいた甘い笑顔の男を蹴り飛ばし、校内一下半身の緩い男は何事もなかったかのように去っていった。隣に、別の男を連れて。

「…俺、見ちゃいけないもの見た感じ?」
「わかってんならその情けない顔やめろ」
「いやだって、あれ酷いよ会計ちゃん何もしてないじゃん何で蹴ったのさ」

俺は何も答えずに、隣の男の顔に手のひらを打ち付けて座らせた。
見せたくはなかった。木陰で蹴られた場所をかばう事もなく、痛そうな顔をするでもなく、無表情を隠そうと目を閉じる気に入りの先輩の顔を。

これで、二度目だ。
あんなに甘く笑う人がその綺麗な顔に表情を乗せない姿は、俺の庇護欲をちくちくと刺激する。

「和野、会計ちゃん大丈夫なの」
「見てわかんねぇのお前」
「なにが?」

何一つ大丈夫じゃない。
どこから見ても、あの人たちは手遅れだった。

+++

生徒会に入るしかないぞ、と外堀を埋められたのは、つい最近の出来事だ。

成績はいいが品行方正とはかけ離れた場所にいた。煙くて、汚くて、血と砂と薬品にまみれている方が性に合っていた。
喧嘩は好きだし、喧嘩繋がりで親しくなった仲間たちも好きだ。下手に顔がどーのとか、家柄がどーのとか煩くない。
強いか弱いか。ただそれだけで優劣を決める生き物らしい社会だった。

そんな俺でも、唯一成績と顔はよかったらしい。必死に勉強なんてしなくても教科書を読めばある程度の点数は取れるし、危ない男ってやつが好きな年頃のバカ女にはモテる。なぜかそれは男子校なはずのここに居ても変わらないが、まぁ、そういう事だ。

そして前会長直々に推薦され新会長となった須田は、何をとちくるったか不良クラスで日々を楽しんでいた俺に書記とかいうくそ面倒な仕事を押し付けようとしてきた。

しかも副会長は俺の嫌いなタイプである田所。優しくて真面目な顔して、毒も吐けばところ構わず精液も吐く。俺の中のイメージはそんなところで、こう見えて硬派らしい俺にとっては視界に入れたくもない人種だった。

ちなみに会計と庶務は知らない。そんなアウェー感満載な場所に毎日通い、意味のわからない仕事をしろなどと言われてはいそうですかと頷く奴はいない。いや、この学園にはアホほどいるだろうけど、少なくとも俺は須田の顔に魅力も性欲も感じないからパスだと思った。

これがせめてもう少し線が細くてアンニュイな表情の似合う美人なら、少しは考えたかもしれないけど。とりあえず須田は偉そうで、その上確かに仕事も出来そうで常識を弁えていて、更にはワイルドなイケメンだしニヤリと口角を上げる表情が似合いすぎるいけすかない男前だった。

そんな俺が何故今生徒会に入り、毎日通いつめて鬱陶しい雑用のような仕事をしているのか。話しは簡単だ。

どこでどう調べたのか知りたくもないが、須田は俺が目に入れても痛くないと思っている義理の父親に手を回したのだ。

一回り離れた年齢を乗り越え再婚したはいいが母が病気で他界し、天涯孤独って四字熟語はまぁかっこいいなとぼんやり思っていた俺を当たり前のように引き取り、お父さんとかじゃなくていいから、ひとりぼっち同士仲良く生きて行こうよとアホみたいに泣きながら俺にすがったアホな義父に。

俺は憤慨した。
が、生徒会なんてすごいね、さすが拓海君だね、俺すっごい鼻が高くて、あぁ俺が自慢する事じゃないんだけどでも嬉しいなぁ。と、アホで間抜けで死ぬほど可愛い義父に満面の笑みを向けられて、するわけねぇだろ、とは言えない訳だ。

生徒会には入りたくない。が、今更入らないとも言えない。四面楚歌な状況が変わらない以上、曲げられるものは俺の意思だけだった。

そうして須田の思惑通り生徒会に入ったはいいが、実際そこまで悪いものでもなかったとは思う。

須田に性的魅力は感じないが、仕事の割り振りも指示も的確で、教師みたいに喧しくなく、フラットに肩の力を抜いて付き合える、ただのいい人だったし。
庶務の阿笠は口煩いが、何の物怖じもせずに毎日ピーチクパーチク喧嘩を吹っ掛けてきて面白いし、何だかんだで気が利く。
問題の副会長はやっぱり嫌いな人種だが、殆ど仕事をしに生徒会室へ来る事もないし、来たとしても俺や阿笠には全く興味がないようで、話しかけてくる事もない。無用な接触がない分、こちらも空気扱いができた。

あと、会計の志藤恭也。
いつもにこにこしてて、緩い話し方しかしなくて、第一印象は義父の次にアホっぽいやつ、だった。
頭を掴んでシェイクすればカラカラと音が鳴りそうだと言えば、やってみる?と頭を差し出されて確信に変わった。
けれど、それがまた曲者だったわけで。

「あ!和野ーっ」
「お疲れっす。今からっすか」
「うん、そー。うちの担任話しなっがいんだよねー。和野のとこも?」
「や、麻雀打ってて」
「お金かかってない事だけを祈っとくねー」

毛先を遊ばせたふわふわ頭が、俺の隣で揺れる。
何が楽しいのか、たいした話しもしていないのにニコニコ、ニコニコ。
勿論お金かかってるっすよ、と言えばもしかしたら驚いた顔をしてくれるのかもしれないが、作った顔には興味がない。

俺はこの人の、恭也先輩の、無表情にばかり目が止まるのだ。

「遅くなったからさー、かいちょー怒ってるかなー」
「怒んねぇっすよ。少なくとも俺たちには」
「あは、そーだっけ?」

並んで生徒会室までの道をだらだら歩きながら、どうでもいい会話を続ける。

噂では恭也先輩は副会長と付き合ってるとか、遊ばれてるとか、片想いだとか色々言われている。ちなみに酷い噂は口に出したくもないもので、主に副会長を好きな連中が囁いていた。

あの頭おかしい副会長の恋人らしい、と聞いてから、俺もこの人があまり好きではなかった。なんせ下半身の緩い奴が嫌いだ。嫌悪感を感じてしまう。
だからあまり近付かないようにしていたけれど、生徒会室で一緒に仕事をしていれば、嫌でも事実が目に入る。

話しかけても無視をされる。
視界にも入れてもらえない。
当たり前のように仕事を肩代わりして、名前すら呼ぶ事はない。

これは全部恭也先輩の事で、相手は副会長だ。バカにも程がある、と思う。
まるで遠ざけられているのに、恭也先輩は怒りも、悲しみも、引き留めもしないのだ。
ただニコニコ笑って、ごめんね、と繰り返す。一途で盲目的なそれは、いっそ気持ち悪かった。

「ねー和野」
「なんすか?」
「やっぱごめーん、先行ってて」

立ち止まった恭也先輩は、ニコニコと手を振る。
俺も立ち止まって振り返り、少し細くなったその手首を掴んだ。

「付き添いしますけど」
「え?」
「足。痛いんっすよね」

驚いたように目を丸くするのが、なんだか小動物のようだった。
別に彼が足をかばっているとか、歩き方が不自然だとかじゃない。ただ俺が、副会長に思いきり足首を蹴られた恭也先輩を見ていたからに過ぎない。

そんな事を知る由もない恭也先輩は、それでもすぐ笑顔に戻り、やはり庇う事なく一歩下がった。
日常的に喧嘩ばかりしていたからわかる。あの強さであの位置を蹴られたら、相当痛い。スラックスで隠れた足首は歩く度に痛みを訴えているだろうし、恐らく腫れて熱も持っているはずだ。

「ちがーうよ、教室にねー、忘れ物」
「って事にしてほしいっすか?」
「なんだか今日の和野は怖いねー?怒ってる?」
「そうっすね。もしかしたら、そうかも。嫌なもの見たんで」

これで二人は幸せなんだろう、だから口だしする必要はない。そう思っていた。でも、いつしかそう思えなくなった。

副会長は相変わらず恭也先輩にばかり辛く当たるし見ないし、恭也先輩はそれを当たり前に受け入れている。
個人の幸せの基準なんてアテにならないし、これが俺たちの愛なんだって言われたらぐぅの音も出ない。形のないものに物差しを宛がおうとするのは、馬鹿のする事だ。

それでも、俺は見てしまったから。
一人ぼっちで人の目から隠れるように膝を抱いて、ぼんやりと無表情で宙を眺める恭也先輩は、悪寒が走る程人間から遠い存在に見えた。
その柔らかそうな唇が紡いだのが、寂しいとか、会いたいとか、なんなら副会長の名前でもよかったんだ。そこに感情が籠っていればなんでも、まだ安心できた。

けど、この人は全く俺に気づかないまま、一人ぼっちで囁いた。

「うーん、なんかごめんねー?じゃあ行ってくるー。かいちょーにうまい事言っといてー」
「了解っす」

平然と歩いていく恭也先輩に、無理矢理でも肩を貸して保健室へ付き添うべきなんだろう。

なのに俺はただ背を見送って、生徒会室へ早足で向かうだけだ。

(だってそれはきっと俺の役目じゃない。副会長が使えないアホなら、頼れるのは一人だけ)

確かに恭也先輩は好きだ。
でも、それは、義父に似たアホの雰囲気が可愛いのと、ペットを愛でる時のような気分になるからで。

あの日は、副会長に言葉の暴力を受けた恭也先輩がふらりと生徒会室を出たから、俺が追いかけた。
そこで見つけた彼は、無表情で膝を抱え、小さく、でも確かな声で。

『痛くないなぁ』

囁きながら胸の真ん中に触れていた。

ふざけるな、とも思ったし、痛くない訳あるか、と怒鳴りたくもなった。
それなのに、一端の不良のくせに、ぞっとして何もできなかった。

力が強くて威圧感のある奴よりも、気狂いのような恭也先輩の方が何倍も怖かった。

(でも、あの二人はもう手遅れだ。引き返せない。だって、少なくとも恭也先輩は壊れかけてる)

あの力で蹴られれば、人間は意識していても普通に歩けない。身体が反射的に庇おうとする力が働くからだ。

なのに、何故、あの人は普通に歩いていたんだろうか。
俺に声をかけてきた時、少し駆け足じゃなかったか。

『痛くないなぁ』

そう呟いたのが、本当なんだとしたら、痛覚を認識出来ないのだとしたら、大事でしかない。早くどうにかしないと、あっさりと命すら手放しそうな雰囲気が、恭也先輩を包んでいた。

「、須田」
「だからせめて会長と呼べって」
「うるせ。なぁ須田、きょーや先輩好きだろ」

勢い良く生徒会室の扉を開け、会長席の人物に詰め寄る。
副会長は今日もいない。阿笠は静かに、冷静に、俺たちの方を見ていた。

「…だったらなんだ?」
「さっさとものにしろ」
「和野、落ち着け。何が言いたい」
「言葉の通りだろ。何まごまごしてんだよ、俺を嵌めた時みたいに積極的にやれよ」

嵌めてねぇよ、と一応聞こえたが無視して、適度に気崩した胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「副会長より須田のが何倍もマシだろ。出来んだろ、やれよ」
「落ち着けよ和野、」
「なーなー和野」

自分で思っているより焦っていた。あんな姿を見れば落ち着いていられない。ヤンキーと不良は動物に優しいと相場が決まっているらしいから、ペットみたいな恭也先輩も守ってやらなければならない。

そんな俺と、嗜める須田との間に割り込んできた阿笠は、驚く程簡単に俺の手から胸ぐらを解放した。
そして見上げてくる。俺の代わりに須田の胸ぐらを掴んで。

「なー和野、もしかしたらあの二人はあれでいいのかもよ?」
「いいわけあるかアホかてめぇ」
「恭也先輩の幸せ壊すの?」
「壊すも何も、もう壊れてる。二人も、きょーや先輩の精神も」
「あ、わかってたんだ。じゃあいいや。ほら会長、仕事ですよ」

あっけらかんと宣った阿笠は、ぐ、と須田の胸ぐらを引き寄せた。

「お前らほんと可愛くねぇ後輩だな」
「須田がまごついてるからだろ」
「そうですよ会長、遅いんですよ、恭也先輩今ごろ保健室なんで行ってきてください」

は?と須田と俺の声が重なる。なんで知ってんだと見つめる俺と、意味がわからないと言いたげな須田の目線。

阿笠はいつものうざい笑顔で、さらりと口を開く。

「言ってなかったっけ。俺も恭也先輩気に入ってる。兄貴的な意味で」
「知ってるけど」
「そう?心配で堪らないから舎弟に監視つけさせてんの」
「待て、何者だお前」

須田は何かを悟ったのか、胸ぐらから阿笠の手を乱暴にほどいて立ち上がる。

「恭也先輩、昼に副会長に蹴られた所手当てもしてなかったからさ、そろそろマックス腫れてる事に気付いたのかもしれませんね。行ってらっしゃい会長」
「サンキュ。ちゃんと和野に説明しとけよ」
「あいあいさー!ほんとさっさと奪っちゃってくださいね」

呆然とする俺をよそに、二人は軽い会話だけで別れた。
生徒会室を出ていく須田。残されたのは、俺と阿笠だけ。

「阿笠」
「あ?うん、俺ね、ヤクザだから舎弟いっぱいいんの」
「は?」
「そろそろ副会長はおいたが過ぎるよね」

けろりと笑い、阿笠は自分のデスクへ戻っていく。
その姿を見つめ、俺は長く大きな溜め息を吐いた。

「わかってんなら、俺が来る前に須田けしかけとけよ」
「えー、和野が何かするまでは大人しくしとくつもりだったんだもん。別に会長がどうにかしなくても、我慢出来なくなったら勝手に葬るし。実はちょっと弱ってる恭也先輩も可愛くて好きだし」
「…あそ」
「うんそう。もう少しの間我慢して。三ヶ月以降じゃないとリコール出来ない決まりだから」
「こえぇなお前」
「いやいや、これ会長の意向だから。メンバー揃えた責任?なんだって。真面目な人は大変だよね」

俺なら三日も立たず沈めてるけどね。

幼さの残る笑顔で吐き捨てた阿笠に口許がひきつるが、味方であるなら一先ず問題はない。

俺は気配の減った生徒会室を見回して、ふと一つのデスクに目を止めた。
長らく座るもののいないデスクに、最近は書類自体がない。
それは、もはやその人物を必要としていないと、声高らかに嘲笑っているようだった。

でも、そんな事はどうでもいい。
俺は須田がどう動こうが、阿笠の家業がなんであろうが、ただ、ペットのようなきょーや先輩が、怒ったり泣いたり喜んだりしているところが見られれば、それで。

(だから須田、死ぬ気であいつら引き離してこいよ)

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