They are...?


トン、と肩を叩かれ、真智は振り返った。
しかし腕の中で鼻先まで積み上げられたクラス二つ分の問題集が邪魔をして、真ん前の白いシャツしか見えない。顎で支えるのは名案だと思っていたが、顔を動かせないという初歩的ミスだ、と内心ゴチた。

「っと、なんだよお前、持ちすぎだろ。虐められてんの?」
「ありえない疑いをかけないでほしいな」

頭上から降ってきた声の主が、ノートのタワーを半分以上奪い去っていく。顎を解放された真智は漸くその人物を仰ぐ事が出来た。

「半分持ってやるよ」
「ありがとう。ホント、見かけによらず紳士だね、和野君って」
「一言余計」

軽々と片腕にノートを抱えた和野は、真智を嗜めつつも穏やかな表情で隣に並ぶ。
二人揃って歩き始めた廊下に殆ど人は居ない。外気は未だに鬱陶しい暑さを保っているのに、季節は秋へと移り変わろうとしていた。

「これ職員室?」
「うん。皆選挙結果が気になるみたいだからさ、暇な僕が係りの代わりにね」
「行かなかったのかよ」

和野はクスリと笑った。答えをわかりきっているくせにと、真智も笑って見せた。

「行かないよ。興味ないもん。和野君もそうなんでしょ?」
「まぁな。どうでもいい。俺の中で、生徒会長は須田だし、会計はきょーや先輩以外ありえねぇから」
「だからって、辞めなくてもよかったんじゃない?」
「……あそこに通う理由、なくなっちまったからな」

淡々とした真智の言葉に、和野は無表情で言い切った。
今頃は、もう新生徒会役員の顔ぶれが発表されているだろう。しかし真智も和野も、そして恐らく和野と共に役員職を辞した阿笠も、これから作られゆく学園に興味がない。

仕方がなかった。
真智が尊敬し、和野が密かに気に入り、阿笠が楽しみを見いだしていたあのメンバーは散り散りになってしまったから。だからきっと、和野と阿笠を生徒会に引き留めるものがなかったのだろう。

「そうだね。僕たちはまだ…何にも終わってない」
「あぁ。まだ三ヶ月しか経ってねぇよ。なのにもう、学園の奴らは」

ギリリと歯を食いしばる音が隣から聞こえたが、真智はそちらを見なかった。
同じような表情を自分もしているのだから、わざわざ確認せずともいい。心の中で浮かんだ感情は別だとしても。

「皆忘れたいんだよ。あの人達は特に人気があったから」
「だったらなおのこと、もっと探すべきだろ」
「そう出来る人ばかりなら、きっとあの人達は居なくならなかったんじゃないかな」

須田も恭也も、壊れる事はなかったはずだ。強い心の持ち主ばかりに支えられていたのであれば。
真智は口には出さずそう呟いて、俯いた和野を苦笑で見上げた。

「和野君は優しいね」
「俺が?んな訳ねぇだろ」
「そうかな。僕が会長に会いに志藤様のお部屋へ行った時、和野君も説得しに行ってたんでしょ?」

気まずそうな視線が真智とは反対側の窓へ向けられた。
真智から見える左耳と頬はどうしても素直じゃない。

「だからね…いつか和野君は、志藤様と会長にも会えるんじゃないかなって思うよ。二人の事を心から心配していたのは、君だけだから」
「お前もそうだろ。あの日一人で、須田の様子を見にわざわざ来たじゃねぇか」
「…それとこれとは、意味が違うよ」

須田は純粋に先輩である須田を心配していたが、真智は違う。阿笠にけしかけられ、寝覚めの悪さを回避する為仕方なく須田に会っただけだ。
更に励ます事も慰める事もせず、おかしくなった須田をそのままあの部屋へ誘った。
恭也の事だってそうだ。周りの意思など総無視で、真智は真智の期待と思惑だけで動いた。

「僕は和野君とは違うから」
「意味わかんねぇ」
「わからなくていいよ」

根本的に優しさを履き違えている事くらい、真智自身気付いていた。
兄の為、恭也の為、須田の為。そんな大義名分を振りかざし、三人分の未来を一纏めにした。いくつも伸びていたはずの他の未来を勝手に踏み潰した。

真智は、今になって思う。
恭也が恭也でなくなったのは、過去に恭也を捨てた親のせいでも、傷付けた椎名のせいでも、突き放す事しか知らなかった田所のせいでもない。
今までの恭也を見ればわかる。恭也はいつだってその時その時に正しい態度を取っていた。まるで中身のないロボットのように、するべき対応を決めたら必ずそれを守ってきたのだ。

だから今回もその性質に則っただけ。
真智が望むように、あの部屋で王者として君臨しただけなのだ。

(よく出来た人形みたいだ。もう僕は人形遊びをするような年齢じゃないけれど)

この三ヶ月で、行方不明になった須田を探す学園は一時混乱したものの、徐々に収束を見せ始めている。
須田が居なくなった事も、恭也が留学した事も、田所が学園を辞めた事も、いずれは誰の口からも聞く事はなくなるだろう。人なんてそんなものだ。薄情くらいでないと、辛くて生きていけない。

「なぁ、金本」
「え?あ、なに?」
「お前さ、さっき俺なら会えるかもしんねぇとか言っただろ?」

和野の声で沈みゆく思考を途切れさせた真智は、顔を上げて首を傾げる。
和野は開け放した窓から吹き込んでくる風に煽られた問題集のページを押さえ、厳めしい顔に少しの微笑みを浮かべて口を開いた。

「そうだといいなって俺も思ってる。いつかあの二人に会えたらいい」
「和野君…」
「人ってそんな簡単に変わんねぇだろ。だから須田もきょーや先輩もひょっこり帰って来てさ、いつも通り話せるんじゃねぇかって思うんだよ」

込み上げてくる罪悪感を、真智は唇を噛み締めて押し殺した。
そんな些細な葛藤に気付く事なく、和野は続ける。

「だからそん時はクソ怒鳴ってやろうと思ってんだよな。んでうちの可愛いのが作った焼き菓子をたらふく食わせて…あ、とりあえず反省するまで正座が鉄板?」
「…そうだね」
「だよな。金本も呼んでやっからちゃんと来いよ」

くく、と悪戯っ子染みた笑みを顔全体に刻んだ和野は、上機嫌で歩を進める。
反して真智はどんどん足が重くなるのを感じていた。目の前を歩く友人と言っていいかどうかわからない男が、やたらと眩しくて尊いものに見えた。

「…やっぱり、君はあの人達に会えないよ」
「何?金本ー、早く来いよ。さっさと終わらせて帰んぞ」
「うん」

小さな呟きは届かず、真智はニコリと笑んで同級生を追いかけた。

和野が、懇意にしていた先輩二人に会う事はないだろう。
ほんの少しだけ会わせてやってもいいかと思いかけていた真智の気持ちは、和野のあまりに純粋な言葉で消えてしまった。

会わせるべきではない、会わせてはいけない。人は簡単に変わってしまう。和野は変わってしまったあの二人を知ってはいけない。
心から人を案じる事の出来るこの男が、恭也に傾倒し潰れなくてよかったと真智は心底安堵していた。

(和野君だけはそのままで居てほしい。僕もきっと、手遅れだから)

あの日流した涙の中に、真智は後悔を込めて捨てた。
背中にかけられた声は、今でも覚えている。

『幸せだよー。だってねぇ』

あの時は辛かったはずなのに、今の真智は恭也の言葉を思い出す度、自分が誇らしくなるのだ。

『ここは俺を傷付けない。真智が作ってくれた、俺の為の愛情に満ちた場所だもん』

(誰も幸せに出来なかった人を、僕だけが幸せに出来たんだ)

ヒエラルキーの頂点はとても気分が良く、真智はひっそりと唇を歪めた。

(愚かで可愛い、完璧な僕のーー)



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